中高年の山旅三昧(その2)

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奥州街道(白河の道);総集編(5);宿場一覧

2017年08月10日 10時05分45秒 | 奥州街道

 

           奥州街道(白河の道);総集編(5);宿場一覧
                第1回~第5回    
               (クラブツーリズム)
               2017年3月~7月

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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/04c38bacf3ff52c7ea0e72c131f32152

宿場の概要

<宇都宮宿(日光街道)>

■宇都宮宿詳細図

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■宇都宮宿の概要
 「宇都宮宿(うつのみやじゅく)は、日光街道(日光道中)および奥州街道(奥州道中)の17番目の宿駅(宿場町)で、下野国河内郡宇都宮にあった。宇都宮城の城下町にあり、両街道の追分であったほか、国内各地を結ぶ主要道路が通る交通の要衝で、日光街道で最も賑わった宿場町と云われている。現在の栃木県宇津宮市中心市街地中西部地域。」(以上資料1から引用)
 資料2(p.198)によれば,
 宿内人別   6,457人(男3302人,女3,154人 )
 宿内惣家数  1,219軒(本陣2軒,脇本陣1軒,旅籠42軒)

<白沢宿>

■白沢宿詳細図

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■白沢宿の概要
 「慶長5年(1600年),徳川家康は会津上杉景勝討伐のため北上,小山に布陣した.このとき白沢へは結城宰相秀康が陣を布き,その先陣として井伊・酒井・榊原の諸将が,白沢の宇加地因幡と上岡本の福田源六郎の道案内で鬼怒川を渡り,氏家へ兵を進めた.この直後,家康は石田三成の回線を聞き急遽関ヶ原へ向かった.関ヶ原の戦後,宇加地・福田は功により問屋を命ぜられ,白坂の宿が発足した(資料2,p.201より要約引用).
 宿内人別    369人(男 179人,女 190人)
 宿内惣家数   71軒(本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠13軒)

<氏家宿>

■氏家宿詳細図


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■氏家宿の概要
 慶長2年(1597年),宇都宮落城にともなう勝山城の廃城により禄を失った宇都宮旧臣の一部,36人衆が,氏家に住みついた.奥州道中開設にともなって宿を形成した(資料2,p.207から要約引用).
 宿内人別      879人(男 449人,女430人)
 宿内惣家数     235軒(本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠35軒)

<喜連川宿>

■喜連川宿詳細地図

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■喜連川宿の概要
 宇都宮から4番目の宿.
 領主塩谷氏15代惟久は古河公方の流れをくむ足利家の島子と結婚していた.天正18年(1591年),惟久出奔,名門足利家が耐えるのを惜しんだ豊臣秀吉は島子の3,800石を与え,その弟国朝を後継者にした.このときに狐川を喜連川に改めた.
 徳川時代になって,徳川家康は喜連川藩足利氏を重視し,知行5000石にもかかわらず10万石の格式を与えた,その理由は,徳川家康が新田氏(足利市の同族)の末裔と称していたからである.
 喜連川氏は代々馬頭,参勤交代免除の優遇処置受けていた.
   宿内人別          1,198人(男611人,女587人)
   宿内惣家数        290軒(本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠29軒)

<佐久山宿>

■佐久山宿詳細図

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■佐久山宿の概要
 佐久山は那須氏発祥の地.文治3年(1187年),那須次郎泰隆(資隆の子,余一の兄)が佐久山城を築いた.康隆の子孫は佐久山と称した.永禄6年(1563年),同族の福原安芸守資孝に攻められ廃城になる.
 元禄15年(1703年),福原刑部資倍が佐久山城を修築,明治に至るまで福原氏の居城となる(資料2.p216から要約引用).
  宿内人別     473人(男 230人,女243人)
  宿内惣家数   121軒(本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠27軒)

<大田原宿>

■大田原宿詳細図

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■大田原宿の概要
 宇都宮から5番目の宿.
 平安末期から鎌倉時代までは那須氏の所領だった.明徳2年(1391年),阿保康清(武蔵七党の一つ)が那須氏の客将となり,前室村を属邑にした.このときに阿保氏は大俵(だいひょう)氏を名乗った.
 天文14年(1545年),大俵氏13代資清が,前室山に築城し城下町を経営し始めた.これが大田原の始まりである.このとこ大俵氏は大田原氏に改名した.その後,明治維新までこの城を領していた(資料2,p.219より要約引用).
  宿内人別      1,428人(男672人,女756人)
  宿内惣家数     245軒(本陣2軒,脇本陣1軒,旅籠42軒)

<鍋掛宿>

■鍋掛宿詳細図

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■鍋掛宿の概要
 慶長5年(1600年),関ヶ原の戦いの前に,上杉討伐のために北上した徳川家康の先鋒,水野勝俊が鍋掛に陣を取った.那珂川が増水で川止めになった旅人達が泊まりきれず,住民が総出で鍋釜を持ち寄って炊き出しを行ったことから鍋掛という地名になったという説がある(資料2,p.224より要約引用).
  宿内人別      346人(男160人,女186人)
  宿内惣家数     168軒(本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠23軒)

<越堀宿>

■越掘宿詳細図


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■越堀宿の概要
 越掘宿は,奥州街道の他の宿場に比較すると,かなり遅く正保3年(1646年)に開設された.
 寛永6年(1635年),伊達侯が参勤交代で江戸に向かう途中,那珂川の増水に遭遇,なかなか渡れず,この越堀で小屋を建てて水が引くのを待った.後にこの小屋を中心にして町が開けて,宿駅となった.
 この堀越宿の成立によって,明治維新まで奥州道中十宿が完成した(資料2,pp.226-227).
    宿内人別     565人(男283人,女186人)
  宿内惣家数   113軒(本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠11軒)

<芦野宿>

■芦野宿の詳細地図

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芦野宿の概要
 芦野氏は鎌倉時代初期からこの地の地頭であった.後に那須氏の一族から養子が入り,江戸時代まで那須七騎の一家としてこの地を治めていた(資料2.pp.230-231).
 宿内人別       350人(男160人,女190人)
 宿内惣家数      168軒(本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠25軒) 

<白坂宿>

■白坂宿地図

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■白坂宿の概要
 芭蕉は.白坂宿の手前で右折すると旗宿へ向かった.この分岐から少し先,左手に大垣藩士の墓碑がある.この辺りには戊辰戦争当時の戦死者の墓が多い.
 昔の白坂宿は「雨が降っても傘いらず」といわれたほどびっしりと軒を並べていたという(資料2.pp.238-239).
   宿内人別     289人(男139人,女150人)
   宿内惣家数   71軒(本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠27軒)

<白河宿>

■白河宿詳細図

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■白河宿の概要
 4世紀に白河の関がもうけられた
 奥州最初の宿場である.天正18年(1590年),豊臣秀吉は小田原北条氏との戦に勝利する前に,伊達政宗に会津への街道整備を命じた.その際,芦野と白河の間が長すぎるので白河を宿場にしたといわれている(旅行社の配付資料より引用).
 資料2(p.244)によれば,
 宿内人別        5,959人(男3,041人,女2,918人)
 宿内惣家数       1,235軒(本陣1軒,脇本陣2軒,旅籠35軒) 


宿場間の距離  

      宇都宮宿
         |
         | 2里28町余 
         ↓
       白沢宿
         |
         | 1里18町 
         ↓
       氏家宿
         |
         | 2里 
         ↓
      喜連川宿
         |
         | 2里30町36間 
         ↓
      佐久山宿
         |
         | 1里25町41間 
         ↓
      大田原宿
         |
         | 3里1町57間 
         ↓
       鍋掛宿
         |
         | 8町48間 
         ↓
       越掘宿
         |
         | 2里11町42間 
         ↓
       芦野宿
         |
         | 3里48町35間 
         ↓
       白坂宿
         |
         | 1里33町 
         ↓
       白河宿

(資料1から引用)

[参考資料]
資料1;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%AE%BF
資料2;今井金吾,2004 『今昔三道注独案内;日光・奥州・甲州』,JTB出版事業局
                                         (宿場一覧終わり)
                                         (宿泊ホテル一覧)
つづき(宿泊ホテル一覧)の記事
   ↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b23b687d95084961851fbb29b2c45518

「奥州街道」の目次
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「奥州街道」の索引
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