中高年の山旅三昧(その2)

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歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第2日目(6):五料から横川へ

2013年06月03日 03時54分19秒 | 中山道六十九宿

                               <夜泣き地蔵と茶釜石>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第2日目(6):五料から横川へ
           (五十三次洛遊会)
       2012年10月12日(金)~14日(日)

※本稿の初出は2012年10月20日である.
 初稿の本文の加除修正を行って再登録する

2012年10月13日(土) (つづき)

<五料・横川地図>



<五料の茶屋本陣>

■鳥居坂と庚申塔
 15時26分に信越本線第十中仙道踏切を渡る.
 暫くの間,右手の少し高いところに信越本線の線路を見上げながら,北西の方向に歩き続ける.地図で確かめると,この辺りの坂を鳥居坂と呼ぶようである.
 15時30分,左折して未舗装で草付きの脇道に入る.坂を少し下ると道幅は狭いが舗装道路に合流する.この道が旧中仙道である.予め準備していた地図では,あまり細かいところは分からないので,多少の不安があるが,まあ,間違いなかろうということで先へ進む.
 私が地図を眺めながら,”庚申塔は未だな”と不安がる.すると,今回初めて参加された方が,
 「地図では,まだ先になっていますよ・・・」
という.この方,地図に史跡や社寺の場所を記入したのが私だということに気がつかなかったらしい.どこかから権威ある地図をコピーしてきたと勘違いしていたようだ.資料を参考にしながら,予めプロットしていた場所のいくつかが,実際に現場に来てみると,少しずつずれていることが度々ある.その度に私はウロウロしてしまう.
 15時45分頃,国道18号線と上信越自動車道と交差する.ここで,自分の位置を確認する.そして.15時47分,目標の庚申塔の前を通過する.


<庚申塔>

■茶屋本陣案内杭
 予め資料で調べた範囲では,茶屋本陣や高札場の位置がどうも正確には分からなかったので,多少不安を感じながら歩き続ける.
 15時43分,進行方向左側に茶屋本陣を示す案内杭があるのを見付ける.正直なところホッとする.案内杭の指示に従って,ここで右折する.

<茶屋本陣の案内杭>

■高札場跡
 右折して直ぐ左手に,「安中藩板倉伊豫の神領分五料村高札場跡」という案内板が立っている.勿論,付近には普通の住宅が建ち並んでいるだけで,昔を偲ぶよすがもない.
 案内板の直ぐ先に信越本線の踏切が見えている.

<高札場跡


■五料の茶屋本陣案内板と案内杭
 踏切を渡って直ぐに「茶屋本陣」の案内板と案内石柱が立っている.その指示に従って先へ進む(五料の茶屋本陣の見学については資料9を参照).

<五料茶屋本陣の案内板と案内杭>

■茶屋本陣お東
 15時50分,茶屋本陣お東に到着する.板塀に囲まれた壮大な敷地の奥に立派なお屋敷が建っている.
 ここの茶屋本陣は中島家”お西”と“お東”が並んでいる.“お西”が本家,“お東”が分家とのことである.
 案内板の指示に従って,まずは向かって左側にある“お西”の方へ行ってみる.

<茶屋本陣お東>

■茶屋本陣お西
 ”お西”は“お東”と地続きになっている.
 まずは,少しばかり“お西”を覗いてみる.近くにある案内板には次のような説明がなされている.
 茶屋本陣お西は江戸時代の名主屋敷であり,同時に茶屋本陣でもあった.お西の中島家は16世紀から代々名主役を務めていた.後に天保7年(1836年)から明治5年(1872年)までは“お東”と1年交替で名主を務めていた.この建物は“お東”と同年(文化3年)に建てられたもので,間口十三間,奥行七間の切妻造りで,両家の屋敷規模,平面とも殆ど同じである.白壁造りのよく映えた屋敷構えに当時を偲ぶことができる.

<”お西”の建物>

■お西の案内杭と赤ポスト
 “お西”の入口付近にある案内杭と,昔ながらの赤ポスト.

<案内杭と赤ポスト>

<横川へ>

■夕暮れの妙義山
 少々時間が押してきたので,15時50分頃,茶屋本陣を後にする.
 信越本線踏切手前で,夕日が眩しい妙義山をデジカメで写す.

<夕暮れの妙義山>

■郷土料理茶屋本陣「おきりこみ」
 地図を確かめながら西北西に進む.15時59分,進行方向左手の民家の軒と畑の間から,並行に走る道路が見える.そこに「茶屋本陣」と書いた看板が立っている.
 「多分,あの辺りに有名な「おきりこみ」の店があるんでしょうね・・・」
と同行のお一人が教えてくれる.
 私は,食べ物や草花にとても疎いので,「おきりこみ」という店など知らないが,名店なんだろうなって漠然と考える.その先に,相変わらず峨々とした妙義山の山々が連なっている.
 資料10によると,どうやら“おっきりこみ”というらしく,「おっきりこみ(おっ切り込み)は,煮込み麺料理の一種で,群馬県や埼玉県北部・秩父地方の郷土料理.お切り込み,煮ぼうとうとも表記される.」という.
 また,同資料によれば,「おっきりこみ(上州ほうとう)の原型は,中国から伝来し京都の宮中で食べられていた料理である.12世紀に上野国新田荘を開発した新田義重が,宮中の食材を管理する大炊助として務めていた際に習い覚えて,本拠地の上州に戻ってからも好んで食べ,一族に伝えたとされる.」ようである.
 私は,
 “まあ,饂飩のような味がするものなんだろうな…”
と想像する.


<「おきりこみ」付近から妙義山を望む>

■道祖神
 隙間から「おきりこみ」を見たところで,再び信越本線の踏切を渡る.
 踏切を渡ったところに立派な道祖神が祀られている.

<道祖神>

夜泣き地蔵と茶釜石
 16時04分,夜泣き地蔵と茶釜石に到着する.
 資料4(P.19)によると,写真に写っている2体の内,右の大きな地蔵が夜泣き地蔵である.馬方が荷のバランスを取るために地蔵の首を利用したが,深谷で用済みの地蔵の頭を棄てたところ,夜ごとに「五料恋しや」と泣くので,里人がこの首を元のこの場所に届けたという伝説がある.
 茶釜石は叩くと金属音がする珍しい石である.傍らにある案内文によると,蜀山人はこの石を叩いて音色を聞いて直ぐに次のような狂歌を作ったという.
  “五料(五両)では
     あんまり高い(位置)
         音打(値打ち)をきいて
            通る旅人”
 この石は,叩くと空の茶釜の音がするというので,旅人はこの石を叩いて音色を懐かしんだ.
 なお,この石は五料の七不思議のひとつの数えられているという.


<夜泣き地蔵と茶釜石>

■馬頭観世音
 18時07分,大きな石に馬頭観世音と刻字した石柱の前を通過する.辺りには夏草が繁茂している.

<馬頭観世音>

■碓氷神社
 中仙道は,やがて信越本線の線路に突き当たる.ここからは線路を左手に眺めながら北西の方向に,暫くの間,歩き続ける.進行方向右手には山裾が続く.
 16時19分,碓氷神社の参道入口にある赤い鳥居に到着する.鳥居から山裾の上に向かって長い石段が続いている.
 折角,参道入口にいるのだから,とにかく階段を登って参拝することにする.階段を登り切ると質素な社殿がある.勿論参拝を済ませる.
 境内にある説明文によると,「この神社の創立年代は不明のようである.しかし,碓氷峠熊野神社の分霊が祀られていて,碓氷峠の鎮守産土神として崇敬されている.慶安年間(1648~1852年)に社殿を改築し,碓氷峠山熊野神社の里宮として碓氷神社と呼んでいる.
 明治42年,中木の菅原神社,小管の波子古神社,平の諏訪神社,横川の八幡宮,そのた五料にあるいくつかの神社を合併合祀した.
 建久年間(1190~1199年),源頼朝が信州浅間の牧狩りのときに,この神社で祈願し,境内に御所を置いた.それ以降,碓氷郷総鎮守崇敬されている.」


<碓氷神社>

信越本線の電車
 16時33分,信越本線横川行の電車が通過する.私は,ネコと電車は出会ったときに必ず写真を撮ることにしている.
 見たところ,電車には余り乗客が乗っていないようである.若い頃,列車マニアだった私は,この年になっても,電車を見掛けると心が躍るから困ったものだ.

<信越線の電車>

■百合若大臣足踏石
 16時38分,百合若大臣足踏石とやらに到着する.傍らにある案内板の文字はすっかり消えていて全く読めない.
 資料4(p.19)によると,この石には「百合若大臣という大男が向かいの山を強弓で射る際に,石が削れてしまい足跡がのこった」という伝説があるようだ.

<百合若大臣足踏石>

<横川に到着>

■閑静な横川の集落
 16時44分,第十五中仙道踏切を渡って,再び線路の右側の歩くようになる.
 17時少し前に頃,横川の集落に入る.道路の両側には古い町並みの家が続くようになる.ただ,道路を歩いている人はほとんど居ない.まるでゴーストタウンのような趣である.


<人っ子一人居ない横川の集落>

■横川駅に到着
 17時01分,無事,JR横川駅に到着する.途中でかなり道草をしたので,到着時間は予定より
30分ほど遅延したが,見たいところは余す所なく見てきたので,まあ,満足である.
 さすがに横川駅には,私達以外にもチラホラと人影がある.
 “さて,これからどうしようか”と戸惑う.食事のことなどは考えるのも面倒なので,同行の女性軍お二人に,
  「どうするかお二人で決めて下さい・・・」
とお願いする.
 目の前に,「峠の釜飯」で有名な「おぎのや」の店舗がある.
 今夜の宿は,昨日と同じホテルルートイン高崎駅西口である.高崎へ戻ってから夕食をするのも良し,あるいは横川で釜飯を食べてからホテルへ戻るのも良し,とにかく女性軍にどうするか決めて下さいとお願いする.

<JR横川駅に到着>

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;安中市産業部商工観光課,発行年代未詳,「旧道日和(パンフレット)」安中市観光協会
資料6;松井田商店連盟;まついだどっとこむ,発行年未詳,「松井田宿まち歩き」安中市役所松井田支店地域振興課
資料7;http://www.geocities.jp/way_to_aizu/matsuida.html
資料8;http://www.geocities.jp/mrmaxsakura/jyousyuu02.html
資料9;http://www.city.annaka.gunma.jp/kanko_spot/goryou.html
資料10;http://udon.mu/okirikomi

[加除修正]
2013/6/3 本文の加除修正,誤字脱字転換ミスの修正,記事の追加を行った.

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/cb83f2407ddc342c76d760e63eaf732d
「中山道六十九宿」第6回目の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d07a6d75e3b121bf37c6d9c3f955e08d
「中山道六十九宿」の次回の記事

http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f9f46f04b22cef68e2a89fae17c72482
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

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