ふるやの森
地球文明の再生に向かう
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登呂遺跡発掘の鍬入式を報じる毎日新聞 1947年 昭和22年7月14日版(登呂博物館所蔵)

「登呂遺跡!なんと懐かしい名前だろう。

 1945年(昭和20年)、小学4年生の時に私は終戦を迎えた。 当時日本人が敗北感で自信喪失していたときに、勇気づけてくれたニュースが3つあった。 子供心に覚えている。

① 「フジヤマのトビウオ」 こと古橋広之進さんが
 水泳の世界新記録を連発(1947年) 
② 湯川秀樹博士が日本人最初のノーベル賞を
 受賞(1949年)
③ 「登呂遺跡」で日本最古の水田跡の発掘調査
 (1947年)

 それ以来、ぜひ見学したいと思いつつ果たせなかった登呂遺跡を訪ねる機会が、ついに来た。 私が参加している横浜市遺跡公園のガイドボランティア有志で登呂遺跡を見学する企画を、仲間の天野さんが立ててくれたのである。   (2001年7月)

1943年の第2次世界大戦中、軍需工場建設の際に発見された登呂遺跡は、戦時中にもかかわらず当時の専門家による発掘が行われた。 戦後2年経った1947年に本格的な発掘調査が行われて以来、数次に亘る調査が実施された。 登呂遺跡は、弥生後期(約1800年前)のわが国の農村の全体像が分る貴重な遺跡として、1952年に国の特別史跡に指定された。 今年度は住居跡と倉庫跡の再調査などが行われている。

登呂遺跡----弥生時代の水田跡がわが国で 最初に発見された歴史的遺跡

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敗戦間際の昭和18年に登呂遺跡が発見されたことは、「神のみぞ知る」重要な意味を秘めている。同じく敗戦直前の昭和19年に日月神示が岡本天明氏に降りて、敗戦後の対米従属化におかれた日本の混乱と破滅の未来を告げて、その中での人民の生き方に指針を示したことと併せて考えてほしい。

縄文文明は一般に考えられているような「原始的な」文明であったわけでは決してない。高度な知識を備えた文明人が核戦争による放射能汚染と洪水(津波災害)から避難して形成した階級支配の無い共同社会(コミュニティー)だったのである。私たちの祖先たちが日本列島に残した遺物からは、その生活が争いのない平和的な共同生活であり、豊かで健康的な食生活を送っていたことをうかがい知ることができる。

VIDEO 縄文人の生活再現

今回、私たちが登呂遺跡を訪れるイベントを企画したことには大きな意義があることに2回目の下見で気づいた。敗戦後の日本人は「高度成長」経済の崩壊を経て、自分たちの伝統的な文化の価値を見失ってきたことを学んだのだ。私たちが心の底で求めてきた理想社会創造のヒントを12・21オープンコンタクトで必ず発見できると期待している。

☆F★

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 


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