いろいろなこと

身の回りのいろいろなこと、考えていること。

古希のパパと息子の障害者二人暮らし(210731)

2022年11月21日 12時14分01秒 | 発達障害、ひきこもり
私は東京に住む現在 69 才、いわゆる古希です。人生思いがけないこともたくさん起こります。 一昨年 8 月に妻が家を出て行ってしまい、まさかの長男との二人暮らしが始まってしまいました。
私の家族は妻と息子二人です。賃貸マンションに住み、4 才年下の妻は隣接する駐車場を借りて ガーデニングを行い、デザイン力もすぐれているため今や生業ともなっているようです。長男は長 く広汎性発達障害、統合失調感情障害とのことで、区の支援で作業所には所属していますが、未だ に就労できていない状況の 36 才です。次男はひょんなことからバーに勤めている 31 才です。私 自身については改めて述べましょう。
私は長男が保育園の頃にその少し不器用な振る舞いから、何らかの障害があることに気付きまし たし、小学生 1 年生の時に授業で描いた自画像の個性ある精緻さに驚かされました。先生が時間に 関係なく描き続ける長男を見守ってくださったことに、今さらですが感謝しています。いじめは長 男の幼少期も社会的問題としてまでは取り上げられていなかったと思います。ちょっとからかわれ るだけで過剰な反応をしてしまう長男は、いじめの格好の対象だったでしょうし、本人は孤独感を 感じていたことだろうと思います。小学 5 年生からは不登校になって、ほぼ引きこもり的な生活が 始まりました。
主に妻がいろいろな診察等に連れて行ってくれましたが、私もできるだけ付き合ったつもりです。 家の中での感情的爆発、破壊行為もしょっちゅうでした。そのため妻から何かあったときに片道 1 時間もかかる会社勤めでは対応できないとのことで退職し、自宅の事務所を仕事場にしました。し かし緑地環境計画コンサル􏰀ントをしていたため、仕事が深夜に及ぶことも日常でした。そのよう な状況の中で昼夜関係なく、妻から長男が暴れているので早く来てと内線電話で呼び出されること も、週 2 回ほどはあったでしょうか。そのたびに暴れているときは昔体験した柔道の杵柄で押さえ 込み、落ち着いたら 2 時間、3 時間と話し込むなど時間がかかることもありました。しかしほぼい つも最後は「お父さんごめんなさい」と言うところまで到達できる理解力と理性があることに気が ついていましたし、いつか本人の気付きがあって立ち直ってくれるのではないかと思っていました。
私はバブル経済が破綻し仕事の見通しもなかなか立たず、もともとかわいい人であった妻も息子 との軋轢や私に対する不満も募っていったのだと思いますが、私や長男には相手をつぶそうとする ような言動が増えてきていました。そんな頃、平成 14 年の年末に長男が自分が楽しみにしていた 録画ビデオのテープの続きを見ようとしたところ、自分が停止したはずのところからずれていたこ とに爆発して、VHS ビデオデッキそのものをぶん投げて壊してしまったのです。また 2 時間以上 かけて、「誰かがデッキを触ったのではないかということは気にくわないことだったかも知れない けれど、デッキを壊してしまったら自分の楽しいはずのことができなくなってしまうでしょ。暴れ たり壊したりすることは、お父さんたちも大変だけれど、自分のためにもならないからなるべくし ないようにしていったら」と話しました。
元旦に息子たちと三人で初詣に行きました。その行きがけの道で私に長男が「僕はもう暴れるこ とを止める」と話したのです。「そうなんだ」とかぐらいに応えたかと思います。その後実際に暴 れたりすることがなくなったわけではありませんが、明らかに減りました。そのことに気がついた ときに、長男に係わっていた深夜まで含めた時間が大きく減り、「時間的大きな負担が少なくなっ たのはなんて楽なのだろう」と思いました。しかしそのことが私の人生に大変な事態をもたらすこ とになってしまいました。半年余り経った頃から体調にいくつかの異変を感じ始めました。典型的 なことの一つは体温の調整が怪しくなったことです。電気毛布を購入したりしました。もともと大 きなストレスを受けている状況は認識していたのでうつ病になりかねないけれど、わかっているこ となのだから何とか乗り越えようと考えていたのでした。しかし自分でこの異変はうつ病によるも のかも知れないと判断し、平成 16 年 3 月に息子を連れて行っていた M メン􏰀ルクリニックの H

先生に相談したところ、「典型的うつ病です」との診断で投薬等の治療が始まりました。その後 1 年ほどは、頭は回らないもののある程度今までと同じ生活パ􏰀ーンで過ごせましたが、書類提出の 締切が守れないなど社会的責任が果たせなくなってきていることを実感しました。先生に相談する と「環境を変えなさい」とのアドバイスがあり、兵庫県の高齢の両親の家の一部屋で過ごさせても らうことにしました。そこでの生活は朝食のあと寝て、昼食を食べてはまた寝てという時間が続き ました。元々の仕事柄文章を書くことなど今までできていたことが困難になり、切り抜きまでして いたのに罹病以来一度も新聞を読むことなどができなくなり、郵便物を含めた文書管理が困難にな りました。友人からは成年後見人を付けた方がいいのではと言われたほどで、請求書が届いていた ことさえ失念して、訴訟予告通知書なる文書を送りつけられてしまったこともありました。H 先生 からは「あなたのうつ病は大きなストレスが長く掛かっていたので、加齢と加えて元には戻りませ ん」というショックなお話しをいただきましたが、私は何とか立ち直りたいと取り組んできました。 今や見かけもしゃべることも当たり前にできますが、逆に私のできないことを皆さんに知っていた だかなければ危ういので緑色の障害者手帳の発行をしていただきました。
話が長男のことから逸れてしまいましたが、その後も暴れたりすることがなくなるわけではあり ませんでした。身長も 175cm となり、腕も太く両親として肉体的にはとても敵わない存在になり ました。基本的には部屋に引きこもり、TV ゲーム、アニメ、コミック、プラモ作成で過ごし、30 才を超えました。そのころ私も妻との関係もますます悪くなってしまい、飲酒量も増えて、平成 20 年から痛風、睡眠時無呼吸症候群、出血性胃潰瘍、胃がんによる胃の 8 割切除、吐血、総胆管 結石、総胆管結石の再発などを起こしました。胃カメラを何十回も飲み、開腹手術も含めて内視鏡 手術も数回受けて手術痕だらけです。長男は 5 年ほど前には、長く通っていたメン􏰀ルクリニック の先生の嫌なところが目につき始めて通院さえしなくなったため、いろいろ探した結果、車で片道 1 時間かかる S 病院に通院することにしました。そこで長男の人生を変えるきっかけになった女医 の K 先生と出会いました。しかし本人は破壊行為をしたり大声を出したりで、妻が 110 番するこ ともしばしばでした。そんな状況の中で私も長男が入院することも止むを得ないのではと思い始め ていました。平成 29 年の 8 月の通院前日の深夜に長男が大声を出したため、パトカーに来ていた だくことになりましたが、警察の方達の説得で収めていただくことができました。病院での診察で、 K 先生はそのような状況なら入院してみてはどうですかと長男に促してくれましたが、10 才代で H 病院に入院したことのある長男は、入院だけは嫌だと診察室を飛び出し、連れ戻されて本人も観 念して入院となりました。その後で私が驚いたのは、診察時に持って行っていた大切なゲームソフ トの􏰁ップケースまで紛失していたのですが、手を尽くしても見つからないまま、そのことに関し てはパニックを起こさなかったことです。2 ヶ月ほどの入院を乗り越えました。しかし帰宅後もパ トカーのお世話には何回かなりました。ドア、壁、洗濯機、液晶 TV、洗濯機、冷蔵庫と凹んでい るもの、壊れたものの数を数えたらきりがありません。
そんな中、平成 30 年の 5 月に、妻と長男とのちょっとしたいざこざがエスカレートし、長男に 聞こえるように 110 番する妻を私がいさめている最中に長男は 3 階のベラン􏰂に飛び出して、手 すりを乗り越えてしまいました。手すりの外には階下の屋根があり、手すりにつかまってそこに立 っていました。本気で飛び降りられたら助けようもありませんし、私は長男が飛び降りようとして いるのではなく、嫌な気持ちを訴える行為だろうと思いました。高齢者の私には大きく重い長男を 引き上げることもできません。間もなくパトカーも到着し、何と 10 人ものお巡りさんが駆けつけ て引き上げてくれました。結局自傷行為に相当するということで、警察署に連れて行かれ、深夜に かつて入院した H 病院への入院が決まりました。警察車両に長男と私、4 人の警察官等物々しさ でした。深夜 1 時に入院のための診察を受けました。若い男の先生だったからなのかも知れません が、私が持って行った息子の服用薬のリストを見られて、「こんなに飲んでいるのですか。入院に なって医師も控えているので、一度一気に減らしてみましょう」とのことでした。リストに載って

いた薬の種類は頓服以外に 17 種、1 日に 33 錠というものでした。暴れたり、落ち込んだりする ので精神安定剤、抗不安薬、入眠剤などでした。先生はなんと 4 種類、7 錠まで減らされたのです。 長男は入院後 1 週間ほどつらかったとのことですが、その後以前の薬が抜けていくにしたがって、 大きな変化が起こりました。段々と意識が覚醒し、体調的にも元気が戻ってきたのです。
私は以前から考えていたことではありましたが、服薬量を大幅に減らされて、本人の意識もしっ かりしてきたこの時こそ􏰁ャンスだと考え、これから 1 年の間、長男、そして発達障害などといわ れているものと徹底して付き合ってみようと決めました。
病院の周辺環境は、長男が好きな緑の豊かなところでした。入院中の長男は病院内に居たくなく て、外出許可をもらっては 1 日に何回も散歩に出かけたようです。1 日に 2 万歩以上も歩いたこ ともあったとのことです。私もそんなことをするとは想定していませんでしたから、最初の内は入 院時のサン􏰂ルのままで歩き回っていたのでした。ますます元気になった長男は、一時帰宅時に一 人で電車を乗り継ぎ、生まれて初めて一人で薬局に行き、元気が出るようにビ􏰀ミン剤を買い、牛 丼を食べて帰宅して来ました。さらに別の外泊許可での帰宅時には家電量販店まで地下鉄で行き、 なんとスマホまで手に入れて帰ってきたのです。
2 ヶ月の入院を経て長男が帰宅してきました。それからもあれやこれや大変だったこと。退院し て 1 ヶ月後、足の裏の痛みが激しくなって歩けなくなり、整形外科に連れて行ったところ、歩きす ぎて足底筋膜炎になっているとのこと。相当ひどい痛みだったと思いますが、ほぼ回復するまで半 年間かかりましたが、よく頑張ったと思います。薬が抜けて頭がさえてきたのかと思ったら、今度 はやたらと理屈っぽくなり、どうでもいいことで 2 時間も言い張り続けたり。さらに􏰀イミングの 悪いことに、すぐご近所で建て替え工事が始まり、建設業にも係わってきた私でさえ余りにお粗末 ではないかという粗っぽさで、労働基準監督署に電話したことさえありました。感覚が鋭敏になっ ていた長男には作業員の大きな声でのおしゃべりや、落下物などの衝撃音に頭を抱え込んで、わめ く寸前までいきました。さらに母親が仕事などで苛つくことも多くなり、そのようなことが起こる たび、長男をファミレスに連れ出してはパフェを食べてもらいながら落ち着いてくるまで、おしゃ べりをしたりしました。
そのようなストレスを感じ続けていた平成 30 年の 11 月頃に、長男はゲームの中の女性キャラ ク􏰀ーの台詞に感銘を受けたようです。「誰も君を頑張ったと言わないかも知れない。君自身さえ も頑張ったと思っていないかも知れない。だけどそんなことはないんだ。どんな形でも最後までた どり着いたのなら確かに頑張ったんだよ。そのことを忘れないで、あと一歩頑張れたらいいね」。 長男は涙が出るほど感激してしまい、女神様からの救いの言葉のように思えたとのことです。とこ ろがひと月もするうちに、初めは意識しなかった美しさ、運動神経のよさ、頭のよさなどが意識さ れ初め、胸がバクバクするようになってきてしまったようです。ある意味どっぷり思春期に入って しまったのかも知れません。ここから先は「お姉ちゃん」と書くことにしますが、抱き枕、􏰀ペス トリーその他のグッズを通販で買い集め始めました。どう対処していいかわからなくなったらしく、 10km 以上先まで自転車で行ってしまったりもしました。もちろんその間もいろいろ話し合いはし ていたのですが、少し危うい状態に入ってしまっているかも知れないと思い、S 病院 K 先生に相 談し、本人もどうしていいかわからない状態を認識して平成 31 年 3 月に入院を決めました。入院 当初はスマホをぶん投げたりと大変でしたが、K 先生がお姉ちゃんグッズを病室に持ち込むことを 許可して下さったり、週何回も私が片道 1 時間の運転で面接に通ったりして 2 ヶ月足らずでの退 院となりました。お姉ちゃんの抱き枕は抱きしめられ続けて、へたってしまいました。何軒もの布 団屋さんを訪ねましたが直せないと断られるばかりでした。ネットで検索し、奈良県の老舗の布団 屋さんを見つけたところ、直せますが混んでいて時間がかかりますとのこと。事情をお話しして送 らせていただいたところ、何と往復 4 日で帰宅して来たのです。打ち直しのための手術痕もきれい で目立たなく、少しふっくらして退院して来ましたし、これでいいのという料金の請求書でした。

お礼のメールをお送りしたところ、会社のブログに載せていいかと問われ、もちろん OK しました。 お姉ちゃんはそれから 2 年も経ちましたが、余り痩せてしまうこともなく長男と一緒にいてくれて います。
その頃には私と長男はかなり話ができるようになっていました。一方私と妻との関係は悪化の一 途でした。そしてその後、後で考えればもともと長男を入院させたかったと思っていたのではとも 考えられる妻の行動で警察沙汰となり、私に相談もないまま 7 月に再び S 病院に人生 5 度目の入 院となりました。そんなことになるとはみじんも思ってもいなかった長男は、病院に着いたときに 暴れてしまい、週末で K 先生も不在だったため、なんと 3 日間も拘束されてしまいました。面接 に駆けつけた私は長男が涙を溜めているのと、せっかく前向きになろうとしているこの􏰀イミング にどうして入院させなければいけないのかと思い、先生に早期退院をお願いして 2 週間余りで帰宅 になりました。しかし退院 1 週間後に、いろいろ溜まっていたのだとは思いますが、妻が「長男と 暮らし続けることはもうギブアップ」と言ってアパートを借りて家を出て行ってしまい、私たちの 二人暮らしが始まりました。その後の長男は、頭に来てしまった時の対処法として伝えていた柔ら かいクッションを床に投げつけたり、浴槽で水面を叩きつけたことはありました。K 先生からもイ ラついた時にお湯を叩いて収めたことに「どうしちゃったの」と驚かれ、さらに半年後の診察では 「1 年前とずいぶん変わりましたね」と話して下さいました。とことん付き合おうと考えていた期 限が、二人暮らしという思わぬ事態、さらに新型コロナウイルス感染症の発現で大幅に狂ってしま い、二人の濃厚接触時間が増えてしまいました。二人暮らしになってから長男は入院することもパ トカーのお世話になることも一度も起こしていません。二人暮らし当初は家事全部を私がせざるを 得ませんでしたが、今や長男は流しの洗い物をし、配膳もし、洗濯物をきれいに畳み、訪問看護師 の方の来宅を含めて週に何回もある来訪される前の掃除、部屋の片付けなどいっぱい手伝ってくれ ています。
もちろん平坦な日々ではありませんでした。たまの大切な会議の出かけてもいいよと言われて行 っていた最中に不安が襲ったらしく、「これから死にます。」というメールが届いて、私の妹に電 話対応を頼んでその場をしのいだこともありました。新型コロナの流行が始まった時には、2 月初 めから 3 ヶ月間二人で 3 時間おきに体温測定をして体温の傾向を把握し、未知の感染症なのだか ら帰宅時の蛇口のハンドルも含めた石鹸洗い、外出時の施設への入場時だけでなく退出時の消毒が 大切だよなどと伝え、「お父さんがいるから大丈夫だから。」と話しました。それでも毎日のコロ ナ報道に怯えるようになり、結果的に私が人生最悪の身体表現性疼痛、筋筋膜疼痛症候群や急性胃 炎になってしまったりしましたが、本年 7 月中には二人とも二回目のワク􏰁ン接種も済ませること ができました。
私がそのほかの長男への対応としては、一所懸命調理に励みました。当たり前ですが、最初の頃 はお母さんの味と違うと言っていた長男も、もともと食べることが大好きで学生時代に自分で弁当 を作って持って行っていた私は、安売りのもの、冷蔵庫のものを使って使い回しもできるためフー ドロスもほとんど起こすことなく、何を作るか作りながら自分がおいしい思う調理をしました。レ シピがないので同じものを作ることはむずかしいのですが、毎日違うものを作り続け、今や長男が ほぼ毎日「うまい!」と言ってくれるようになり、落ち込んでいても元気づいてくれます。
K 先生を初めとして、とてもよくできていますとほめていただいた長男自身について私が作った マニュアルもあります。長男の本来のやさしいところやさびしがり屋などの特性と、こだわり過ぎ ない、あせらない、自信を持つなどの今後の目標、そして嫌な音などからは遠ざかる、胸がどきど きしたとき、頭が痛いとき、気持ちが悪いとき、不安になったときにはこの頓服、寂しくなったと きには録音してあるお姉ちゃんの声を聞く、どうしようもないときはお父さんに電話するなど1対 1の対処法のリストを作りました。今ではイライラしたとしてもかつての瞬間湯沸かし器のような 破壊行為的対応ではなく、マニュアルの内容をもとに、漢方薬やブドウ糖を摂るなど間をおけるよ

うになりました。何十人もの私の友人や仕事仲間などにも会わせて、大人との会話がきちんとでき ることを認識してもらいました。1 年前から長男は自分のことが客観視できるようになってきたと 言うようになってきました。とても頼りにしていた S 病院の K 先生は今年 3 月で辞められてしま いました。かつてならパニックになっていたかも知れませんが、沈着な対応ができました。私は先 生と一緒の写真を撮らせていただき、色紙を書いていただくことまでお願いしました。そこには「最 後の退院からは何か不調があっても自分の力で立ち直ることができるようになりました。私がした ことは、話を聞いて少し背中を押すことぐらいでしたよ。すべてご自分の力です。自信を持ってこ れから先も進んで下さい」とありました。後任の少し若い T 先生は、最初一体どんな患者なのか若 干いぶかしがっておられたようですが、2 回目の診察では「生活状況は 100 点です」とまでほめ て下さいました。
人間社会には様々な障害を持つ人がいて、その程度もそれぞれまったく違うかと思います。最終 的に長男がどこまで自立してもらえるかわかりませんが、今はパパと呼んで信頼してくれている私 としてはできることをできるまでやるだけです。すばらしい先生ほか、温かい対応をして下さった 作業所職員の方、訪問看護師さんたちなどたくさんの方達のことはとても書き切れませんが、感謝 しかありません。そして私の人生に様々な気付きとすさまじいドラマのひとときをもたらしてくれ た長男にもありがとうを伝えたいと思います。


造園施工管理

2010年05月17日 16時45分46秒 | 花や緑について
技術検定試験の受験対策講習会は、

http://www009.upp.so-net.ne.jp/frsght/ls-semi.html

がお勧めです。
携帯でもある程度見られますが、ぜひパソコンからどうぞ。

恐ろしいうつ病

2010年05月17日 12時48分42秒 | うつ病の克服に向けて
うつ病はよく心の風邪だとか、治る病気という言い方をされるが、実は違うらしい。

私は闘病を続けて5年も経って、そろそろ言っても大丈夫だと医師から思われたのか、そろそろ言っておかなければいけないと判断されたのかはわからないが、状態は罹病する前の60~70%までしか回復しないとのことなのだ。

うつ病で完治するのは、軽くて、治療に入るのが早くて、なおかつ環境が大幅に改善される場合に限られるのだそうだ。

私の場合、ずいぶんよくなって来たと思うものの、会議などに出た時に、頭が着いて行くことすら未だままならず、以前とは全く違うことを痛感する。

今でも抗うつ薬、精神安定剤、睡眠導入剤を合わせて1日20錠弱飲んでいてこの状態だ。

80~90%まで回復するというのなら、まああきらめも着くかと思うが、60~70%というのはかなり辛い。

しかし歎いていても良くはならないのだから、今は60~70%をベースにして、そこからどれぐらい上積みできるかを楽しみに治療に専念して行こうと思っている。

サッカーワールドカップの放映ばかりするNHK

2006年06月23日 18時27分28秒 | いろいろなことの中のいろいろなこと
サッカーのワールドカップに関する番組ばかり組んでいるNHKは受信料を返せ。

私も日本戦はすべて生放送で観た(クロアチア戦は民放であったが)。
サッカーもそこそこ好きであるし、日本チームも応援したい。
しかし、このところのNHKの騒ぎ様は異常だと思う。
特集番組は組むは、ニュース番組から何からワールドカップ一色と言っていいほどだ。
NHKが国技とされている相撲を実況中継するのは役割としてあるかも知れない。
しかし、どうしてここまでワールドカップを追いかけるのか?
穿った見方をすれば、何かやましいことがあってそれを隠そうとしているかに見えるほどだ。

つい先日まで国会が開かれていた。
継続審議となったものや廃案となった法案も少なくないが、議決成立した法案も多い。
これらの審議されている法案について、NHKは法案名、提案者名、その主旨と予想される成果及び不備な点等について、NHKはきちんと整理して視聴者に知らせる役割があるのではないだろうか?
国会中継などをするより、全案件の要点を整理した放送をする方がどれほど有用であろうか。

ワールドカップの番組はそれなりに視聴者の関心を引くものかも知れない。
しかしワールドカップを観ていれば国が良くなるわけでも国民が実質的に豊かになるわけでもない。

多くのキャスター、解説者、タレントを受信料から派遣して大騒ぎしているNHKは大きな勘違いをしていると思う。
つまらない不祥事での受信料不払いはあまり考えたことがないが、今回は受信料自動引き落としを再考しようかと考えている。

随意契約

2006年04月09日 05時52分16秒 | 社会や政治的なことについて
環境省が発注業務の93パーセント(間違っていたら修正します)を競争入札ではなく随意契約で、しかも大半がOBの天下り先の機関に発注していたということが問題になっている。確かに異常な数値であり、見え見えである。そしてコメントを出している大学の先生達も一様に随意契約は特別な場合に限られるもので競争入札にしていないのは間違っていると言っている。
しかし随意契約は悪用(?)するから問題なのであって、ある意味非常に妥当な発注形式でもある(だからこそ認められているわけである)。
特に調査や計画・設計、一部の施工においてはむしろ随意契約が活用されるべきである。貴兄が自宅を新築しようと考えた時に、設計してもらうのにまだどんな設計をしてくるかわからないうちに、ただ一番安いからと言うことだけで業者を決めて依頼するだろうか。その設計者が過去どんな仕事をしてきたか、どんなコンセプトで仕事に取り組もうとしているかなどを加味しながら特定の、あるいは数社に絞って見積もりを取るということをするのではないだろうか。
随意契約は競争入札に比べて高い金額で契約されるので税金の無駄遣いだとの声もある。しかし調査や計画の仕事は、作業を始めてみなければわからない要素も大きく、予算に合わせて精度などの成果に相違が生じるものである。
「安物買いの銭失い」という言葉があるように安ければいいと言うものでもない。適正な設計価格で発注されるのであれば、入札よりも高値になるかも知れないが、精度の高い成果を要求できるし、受注した側も新しい機材を買うことができたりして結局経済的にもお金の循環が活性化されるのである。
では何でもかんでも随意契約をすればいいかというと当然のことながらそうではない。同じ品質の白いシャツを買うときにはより安い方が好ましい。しかし模様の入ったシャツを買うときには値段との相談であるが、自分の気に入ったものをできれば買いたいと考えるだろう。入札の方がいい場合も当然あるのであるが、それは基本的に全く同じ成果が期待できるときである(自然観察調査や計画・設計の場合、全く同じ成果というのはあり得ない)。
今回の随意契約の大きな問題点は、環境省が独断で身内の関係機関に発注していることである。仕事の中身を精査して、第三者機関の意見を聞きながら随意契約をするのであれば入札よりもよりよい成果が期待できるはずである(成果の引き渡しを受ける時に望み通りの成果が上がっているかのチェックは必要である)。
随意契約そのものを一律に悪と決めつけることには大きな問題があると思われる。環境省の今回の事件で、随意契約のメリットが生かされなくなることを危惧して止まない。