回遊草(KAI YU SO)

さすらいの乙男妄想オヤジの妄想ブログ。あらゆるジャンルのカワイイを中心に浮気中?でも、惚れてるのはやっぱり「ミク」かな?

「残された時間」・・・小沢一郎氏の辞意表明に寄せて

2007-11-06 21:18:21 | Weblog
突然の「辞意表明」に、ただただ驚くばかりで、彼の「真意」が皆目見当すらつかなかった。

どう考えを巡らしても、「なぜ?」という疑問が取れなかった。辞任そのものの意味よりも、そのことが与える「影響」の大きさを考えないはずがないのに。

皮肉にも、彼が主導したあの「日本新党」(細川政権)以来の「政権交代」が現実味を帯びてきていたこの時期に、なぜそれを「ぶち壊す」のか?

「民主党」が与党になるための「最善」の策は、「何もしないこと」、何も「仕掛けない」ことだと思う。何もしないでただ待っていれば、「自民党」が勝手にコケて、「政権」が転がり込んでくるのは目に見えていた。


ところが、今になって思い返してみると、なぜか「仕掛けている」。それも、「民主党」ではなく、すべて「小沢一郎」個人でである。


考えに考えた挙句、辿り着いた「鍵」は「時間」である。


時計の針を戻す。

「参院選」で、小沢氏は「進退」を賭けていた。もしかしたら、本当に辞めたかったのではないか? ところが、意に反して「勝って」しまった。辞められなくなった。この人も、辞める「タイミング」を失してしまったのではないか?

その後の「安倍」氏の迷走で、「政権交代」の可能性が高まった。

ところが、あの「突然の辞意」である。

小沢氏は、すぐに「次」の自民党総裁を予測したに違いない。当初は、やはり「麻生」氏を思い浮かべたハズである。

ところが、そこへ「福田」氏が名乗りを挙げた。小沢氏には、その後の結果も見通せたことだろう。そこで、大きく軌道修正をしたとみる。

「麻生」氏では、日本の政治は変わらない。「福田」氏なら変わる。普通は「逆」だと思われるだろう。

麻生氏のような、若くて、血気盛んな「野心」あふれる政治家は、その野心に目を曇らせてしまう。ここでいう「野心」とは、別に悪い意味で言っているのではない。“オレなら、こうする。オレがこのように日本を変えてやる”と言った、大きな「志」のことである。その志が強いがゆえに、「謙虚」さに欠けがちである。「志」ばかりに気を取られ、広く大きく見ることを忘れる。

例えば「小泉」氏は、どうだった?「郵政民営化」しか頭に無くて、「日米関係」は丸投げ、アメリカの「言いなり」だったではないか?


「福田康夫」には、大それた「野心」がない。「協調型」と言われる。目に曇りが無く、広く見渡して考える人だと思う。



小沢一郎という政治家は、人並みはずれた「スケール」のひとであろう。

「日米関係」や「世界の中での日本の役割」や、本当の意味での「国民の幸福」など、常に「広い視野」と「長いスパン(時間の)」を持って考えているように思う。

そんな彼に「いちばん近い」政治家は、「福田康夫」ではないか?

これは、もの凄い勝手な推測だが、福田氏が立候補した時に、小沢氏から「働きかけ」があったのではないか? 具体的なことではなく、これからの日本のためのお互いの役目に関する「あうんの呼吸」的な何かが・・・。

だからこそ、「福田首相」はあれほど「低姿勢」でいられるのではないか?ライバルである民主党の「代表」が、実は「後ろ盾」になっているとしたら・・・。

それは、決して「談合」ではない。

また話が飛ぶが、昨今の政治の話題はあまりにも「枝葉末節」的なことばかりではないか?
事務次官と商社の癒着とか、そんなことは「重箱の隅をつつくような」つまらない、取るに足らないことではないか?

もしかしたら、「民主党」の中にもそんなことに、まるで「鬼の首でも取ったかのように」はしゃぐ者がいたかもしれない・・・。
そんな姿を目の当たりにして、すっかり「嫌気」がさしたのかもしれない・・・。


・・・「仕掛けてはいけない」はずなのに、彼は「唐突」に仕掛けた。

まずは、「ISAF」を持ち出したこと。簡単に言えば、“国際社会で、対等に外交をするには、日本も「血を流せ!」”ということだろう。

確かに、日本の「給油活動」の「危険度」は限りなく「ゼロ」だろう。「旗は立てた」が、他国が命がけで活動している「修羅場」から遠く離れた「安全地帯」で、小さくて見えないかもしれないし、見えたとしても“なんで、あんなところでやってて臆病者め!”と却って、「反感」を買っているのかもしれない・・・。

「国連決議」云々よりも、「血を流すかどうか」こそが、本心だろう。正論だが、日本国民には、まだまだ「拒否反応」が強い。実現性よりも、「問題提起」ではないか?

二つ目は、「非公開」の「党首会談」である。

「密室」「談合」とか、批判ばかりだが、私には「明治維新」の転機となった「勝海舟」と「西郷隆盛」の「会談」にも匹敵する可能性を秘めているようにも思える。

“批判勢力がなくなる”と心配する向きもあるだろうが、「大連立」といっても自民党「全員」と民主党「全員」といっしょにやるという訳ではないのではないか?

本当の意味での「日本を考える」人間なら、自民党でも民主党でも構わないという風に捉えていいのではないか・・・?

「参院選」後の一連の小沢氏の行動は、ひとえに「国民」に深く「政治」「日本」を考えてもらいたいと思ってのことではないのだろうか?


以上、かなり「無茶苦茶」な推論だが、それにしても小沢氏の行動は「拙速」過ぎる・・・。

それは、小沢氏には「残された時間」があまりにも少ないからではないだろうか?

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2 コメント

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Unknown (Lammtarra)
2007-11-07 10:16:10
いつも当ブログにコメントありがとうございます。

確かに、今回の騒動から福田首相と小沢代表の個人的関係の強さは垣間見られたように思いますし、小沢代表が代表を降りるタイミングを計っていたのは事実でしょうね。

ただ、仮に麻生さんが首相になっていたとしても、こういったどんでん返しが待っていた可能性はあるでしょう。小沢代表が民主党に嫌気がさしていたことは、会見を見ても否定できないでしょう。

小沢代表が辞意を撤回したようですが、小沢代表のモチベーションの心配もあるし、何より”大連立”に対する党内の警戒感は強いでしょうし、どのような舵取りをしていくのか。民主党は前途多難でしょうね。
事実は・・・? (ヴぁるす)
2007-11-07 20:17:15
コメントありがとうございます。


正に、『事実は小説よりも奇なり』で、いったいどうなることやら、推移を見守るしかないでしょう・・・。

「民主党」より日本の前途が心配です・・・。

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