Junko散々語々

ライブ活動の紹介やシャンソン、自作の詩の解説、日常の雑感を三々五々綴ります。

富士仔猫ライブ、近藤さんとのファイナルナンバーは?

2012年02月09日 09時49分43秒 | Weblog

遅くなりましたが、先ごろの“冬の旅”の皮切りが、1/28、静岡県富士市「ミュージックギャラリー月夜の仔猫」でのライブでした。これで5回目(確か?)の出演となりますが、昨年に続き新年早々の出番。

出かける日の早朝、強めの地震が2回続けて起き、新幹線も一旦ストップとのことで大いに焦りましたが、すぐに再開でホッ。しかし、富士山の麓が震源地と聞いて再度焦り…もう、どこでどうなろうと、腹括るしかないしょっちゅう気にしていられん

今回、東京からご夫妻で参加下さった方がいらして、新富士駅から送迎の都合もあり、新幹線でご一緒しました。その方が写真を撮って下さり先日頂戴したので、upします

お昼直前に到着。いつも着いた途端、昼食を用意して下さるのですが、今年は些か変わったメニュー。富士市吉原商店街では、東京のTV局と共同開発した「つけナポリタン」なるご当地グルメが評判となり、すっかり富士市全体の名物になっているとか。ざるそばの要領で、トマトベースのタレに麺をつけて食べるというもの。                                           

お客様に先に召し上がって頂いて、その後ピアニストの近藤さんと頂いている時、いつの間にうーん、確かにお蕎麦を食べるような体勢。麺だけでも楽しめるようそれなりの味付けがされていて、なかなかに美味しゅうございました。

             

ライブは、正月用めでたいドレスで。あみちゃんとのジョイントの時より、飾り物を増やして少しグレードアップ!2、3部はカジュアルに。

           

ピアノの近藤正春さん、昨年パリに短期留学?され、よほど気に入ったか、この1月から長期移住されるとのことで、誰しもびっくりさせられました。人柄の良さ、ピアノの腕の確かさと歌う側への絶妙な寄り添い方等々貴重なピアニストだっただけに、惜しむ声が多いのですが… いわゆる林住期に入られるのだな、と私は解釈しています。

最近、さすがに歌い飽きて(><;)♪モルダウ河の歌 をプログラムに入れなかったら、皆さんからブーイングに近いアンコール。それも、途中にあるアドリブが聴きたいからと…そう、CDには近藤アレンジを採用させて頂いたほど、素敵なのです喜んで最後に歌い、やはりこの曲が近藤さんとのファイナルナンバーとなりました。(満寿美ちゃん、パリ公演をやりましょう、なんて言ってるが…

            

オーナー満寿美ちゃん(写真↓前列左)相変わらず元気私が銀座の仔猫を辞めたので、東京では満寿美とJunkoがケンカしたことになってるのよ、と、♪水に流して を歌った時M.C.したら、お客様共々大爆笑でした前回、いらっしゃれなかった方々もいらして、CDもそれなりに出まして嬉しい誤算でした

満寿美ちゃん、運転手から厨房まで働き者のご主人様、80台半ばとなられても揃ってお元気なご両親様、富士市吉原の皆々様、お世話になりました

                 

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日本シャンソンの父昇天

2012年02月08日 14時42分04秒 | Weblog

芦野宏さんが亡くなられました。私の年代では子供の頃から、昭和歌謡曲と共に、ちょっとお洒落な洋モノを歌う歌手の代表として、スターという存在でした。

思いがけず、39才にもなってシャンソン界に入り、さらに思いがけずご紹介くださる方がいて、芦野さんとそのご一族が建てられた群馬・渋川の日本シャンソン館で、計3回のジョイントコンサート、その他ご一緒に地域TV出演もさせて頂く機会を得ました。

重いシャンソンが主流の時代になっても、あえて明るく楽しいシャンソンを歌ってこられた芦野さんにとって、フレンチキスに共感する部分がおありだったようで(おこがましくも言わせて頂けば…)、いつも本当に楽しそうでいらしたし、CDを出すたび「素晴らしい」と高い評価を下さいました。

2002年、2004年、2008年とコンサートさせて頂き、少し間が空いたせいか今年のお年賀状には「今年こそ、また一緒にやりましょう」と直筆の添え書きがありましたのに…

2回目と3回目のシャンソン館での写真を思い出として飾らせて頂きます。合掌。

 

★2004年11月  「半分愛して」が日本クラウンから発売になったことを大変喜んでくださり、作曲者の服部公一さんとご親交があったことから、彼を山形から呼び寄せ、シャンソン以外に服部さんのナンバーも歌われました。      写真<上>シャンソンの♪雨傘をデュエット <下左>服部さんを囲んで <下右>亡きREDの北桂子ママ(7名の中の右端)が生徒さんを沢山連れて来て下さいました。

           

         

 

 

★2008年5月  またまた北桂子ママが大勢の生徒さんやお客様を連れバスを借り切って応援に駆けつけてくださいました。草笛の菅間忠男さんにもご出演頂き、賑やかなステージとなりました。     写真<上>コンサートホールのあるシャンソン館(その他カフェやショップが別棟にあり、広いフランス風庭園もあります)前で芦野さんを囲み記念撮影  <中>草笛入りの♪オーシャンゼリゼをデュエット  <下左>FKメンバーと芦野さん、桂子ママ <下右>ママがとても気に入り、大事にしていた2ショット。このお2人とも、もうこの世に居られないなんて…

      

       

        

 

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京都の不思議の夜

2012年02月02日 22時20分36秒 | Weblog

京都行きの目的はもう一つ。5年前果たせなかった、あるお店を訪ねたかったのです。前回もお正月、三国・魚志楼を訪ねた後京都へ。まだ修業中だった息子さんがいる料亭で食事をして、その後何故か私のCDを聞いています、という年賀状をくれた「LENNON」という謎の?バーへ行ってみる予定でした。しかし、立派な料亭で京料理フルコースとお酒を満喫したら、もう1軒行く元気が失せてホテルへ戻ってしまったのです。

その後、そのLENNONという店は、私のライブを何度も企画して下さる等大変お世話になった、学生時代の同級生T氏の弟さん夫妻の店と分かり、しかもその後しばらくして弟さんは急逝されたと聞いて「なぜあの時行かなかったか」とずっと後悔することとなりました。

この度不思議な因果といいましょうか、魚志楼のマスターが急逝、残されたママと修業を立派に終えた息子さんが店を守ろうと頑張っている、その後毎年年賀状を下さるLENNONの奥様“ちかさん”も店を守り続け、最近息子さんたちが手伝ってくれるようになったとの添え書きが今年…少し迷ったけれど大谷祖廟すぐそばの祇園にあるのも縁、「行くなら今だ!」と思い立ったのです。

          

探し探して見つけたLENNONは祇園の中心四条縄手通りにあり、20時の開店と同時に扉を開けたので、まだ他にお客様もおらず、カウンターの向こうで小柄な可愛い女性が1人、不思議そうに「いらっしゃいませ」…「初めてお見えですか?」…「あの〜、どなたかにお聞きになって?」との質問に多少じらしつつコートを脱ぎカウンターに座ってから名乗ったら、「え〜っ!まあっ!本当に?わざわざいらしてくださったんですか!」と、もうもう驚きと喜びの連呼、それからというもの、夜半過ぎまで語り尽くし、弾き語りのライブがあったり、2人の息子さんの時間差登場、賑やかな馴染みのお客様も見えたり、それはそれはホットな京都の一夜となりました。

    

LENNONの店名はもちろんビートルズ、中でもジョン・レノンに傾倒していた亡きご主人がつけたもの。店内はレノンだらけ。そして↓写真左端「ジョン・○○○」(苗字を忘れました、ゴメン)と名乗る弾き語りのミュージシャンは風貌レノンそっくり、声は多彩に使い分けてシャンソンのM.ポルナレフ♪愛の休日まで歌ってくれました。

  

そしてそして、現れた息子さんたち、↑中央、弟クンは割りと早い時間から、↑右端お兄ちゃんは夜中1時半頃登場。何じゃ、2人ともえらくイケメン!ずっと寝不足でさすがにもうカウンターで舟漕ぎそうだった私、目が覚めました2人ともバイトしつつミュージシャンで、お兄ちゃんは大学時代、ついこの間まで、東京は中野区上高田2丁目に住んでいたそう我が家から徒歩10分もかからないところ、という、もの凄いオチもついて、↓の如く、LENNONの夜は最高の締めくくりとなりましたまたぜひ、と再会を約して2012年、冬の旅を終えた私でした。

      

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京都の巨大な寺と墓所

2012年02月02日 20時31分55秒 | Weblog

5年ぶりに福井から京都へ向いました。浄土真宗大谷派末寺である我が福井の実家の両親はこの地に分骨されています。京都駅近く、前回修復中だった東本願寺は未だ修復中!5年間かかった右側の御影堂が終わって、隣の阿弥陀堂の修復が始まるところとか。10万枚以上ある屋根瓦のふき替えのためすっぽり覆われています。

      

 

墓地は東山区の大谷祖廟なるところにあり、例の四条通、祇園のすぐ近く。賑やかな祇園商店街を抜け、派手な色彩の八坂神社の裏手に回ると急に静かな広い石畳が続き、突き当たるともうそこは山を背にした墓所。立派な山門、宗祖親鸞はじめ歴代が眠る御廟、山へ空へ駆け上るような墓地。福井から特急でたった1時間半、途中猛吹雪に遭いましたが、ここは信じられない青空です。

  

 

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愛すべき三国町のお店

2012年02月02日 12時55分09秒 | Weblog

     

雄島から歩いてすぐ、昨夏のライブツアーでも訪れたカフェ「カモメクラブ」。亡きレッドママ北桂子さんに依頼され、ポルトガルのファド♪難船 を♪かもめの家 と題して詩が出来た場所です。カウンターの水仙が凛として故郷の冬を象徴しています。

    

ちなみに、ここカモメクラブにやってくるのは、地元の海の男たちが殆ど。後姿にちょっと男の哀愁がマスターは、昨年亡くなった魚志楼のマスターと同級生。万年青年と言われるこの風貌ですが、長年船に乗っていらしたそうで、この店の造りや名前の由来ももちろんそこから。

 

        

              

その後はもちろん、今や有形文化財指定の「魚志楼」へ。マスターの遺影を背に、カニ味噌を練る真理子ママ。特別の地酒を出してきてくださって、水ガニとカニ味噌で一杯、あ〜もうたまらない!!しかも大正期に作られた素敵なグラスで。 

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豪雪!?いや、それが…

2012年02月02日 10時33分17秒 | Weblog

1月末、前日の富士「ミュージックギャラリー月夜の仔猫」ライブ(このライブについては写真が届き次第upします)を終え、新幹線〜北陸線を乗り継いで故郷福井方面へ。

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相変わらず太平洋側はいいお天気、が…名古屋を過ぎるとだんだん風景が白っぽくなってきて、米原が近づき雄大な伊吹山がヌッと真っ白な顔を出す頃、もう完全な冬景色!

 

         

米原で北陸線に乗り換えると嶺南地方はたちまちこの通り。がしかし、福井へ寄ると言ったら誰からも「雪大丈夫?」と言われ、自分もTVのニュースなど見て「今回こそはヤバイかも」とひそかに思ってましたが、嶺北の福井、そして三国町に着いてみると予想は見事?裏切られ…

 

    

大正時代にオランダ人が建てた龍翔小学校を復元した資料館、そして海辺の町の家々はうっすら雪化粧という程度で、暗いはずの港町は何とも美しく…

                 

                

思い出多き雄島(おしま)への真っ赤な橋も、島の外側にも(この季節に島を半周する私って…)殆ど雪はなく、何とサーフィンする若者たちも。帰り道さすがに白いものが吹雪いて来て、島も橋もボ〜ッと霞んできましたが。      

 

        

 

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巨星堕つ…

2012年01月23日 19時15分56秒 | Weblog

大きな訃報が届き、驚きと悲しみの中お通夜に参列して参りました。また1人、音楽に関わる大きな存在を失ってしまいました。

1970年から30年余住んだ小平市。私としては子育てをしながら音楽活動、社会教育活動に参加、特にコーラス活動に熱心に取り組みつつ、アマとしてのソロ活動、そしてシャンソン界へ飛び込んで行った大変革の時代ででした。

その歌唱の基本である発声、曲の解釈、イメージの捉え方、歌心等を熱心に指導してくださったのが、小平在住の声楽家で近年はライブハウスも経営されていた大槻秀元先生でした。独自の発声体操を考案、個人指導はじめ多くの合唱団を指導、かなり辛口の発言と「多摩のキリスト」との異名を持つその風貌も相俟って、大変個性的な存在でした。

どうやら私がきっかけとなって、昨年亡くなった吉祥寺REDの北桂子ママはじめ多くのシャンソン歌手が先生の薫陶を受け、私が中野へ越す頃、花小金井の駅前にライブカフェ「HYDE」をオープン、私も2度ばかり出演をさせて頂きましたが、些かご無沙汰をしているうちに、最近ご体調によって入退院繰り返されていると知り、気がかりではありました。

ところがこのお正月、珍しく私にも案内のお葉書が来て「新春ライブをやります。ぜひいらして下さい」とヴァイオリニストである奥様の字で添え書きがしてあり、元気になられてよかった、という気持ちと、何だか妙に胸騒ぎもして、先生の大好物、富山の干柿を持参して伺おうと予定していた矢先…

          

1/16永眠され、20日お通夜21日告別式でした。

人間誰しもいつかはこの世を旅立つのですが、死とはおよそ縁のなさそうなやんちゃ坊主な一面と、洒落男だった先生を思い出すと改めて衝撃を覚えます。何より音楽とそれを教えることが大好きな方で、私の発声と歌心の基本、まなざしは常に彼から教わったことに尽きると言っていいと思います。

先生、私の歌人生の基本を作って下さり、本当にありがとうございました。合掌

 

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新春「命の声」

2012年01月11日 15時06分44秒 | Weblog

新春歌い初めは、1/10、1年半ぶりの新宿「音ステージQui」。前回同様、若手シャンソン系歌手として活躍しているあみちゃんがゲストを招くシリーズで、2回目登場はJFKが初めてとか。

   

それぞれが持ち歌を披露するのはもちろんですが、このコラボの特徴はなんと言っても全員がコーラスする合同演奏。

前記事にも記しましたが、今回私がどうしてもやりたかったのが「カッチーニのアヴェ マリア」。一昨年末「月夜の仔猫」を引退される草笛のLeafmanさんから譜面を頂戴し、「いずれ日本語をつけて歌います」とお約束。明くる11年2月頃詩が出来上がり「命の声」と題したのですが、その後に起きた東日本大震災で多くの亡き人を予感したような内容となって、しばらく歌うことができませんでした。

最近になって少しずつ発表すると、それなりに好評。そこでさらなるグレードアップをめざし、4名のコーラスとしてアレンジし直した次第。

1部の終わりに歌い終わった時「ブラボー!」の声が!祈りと苦しみから希望への飛翔感が聞く人に通じたのだ、と、この曲に日本語をつけたことを初めてちゃんと認められた気がしました。

      命の声(一部)

我が命 野辺に散る 思いは風に乗る

夢 はるかに飛べ 誰かに声 かすかに届け

祈りは海からも 森の奥からも 願い込めて響きあう 〜

あみちゃんの声質もこの曲に合ってたことも大きいと思います。あみちゃん、ありがとうございました。今回もお世話になりました。

      

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年末年始のちょっとイイコト!

2012年01月04日 12時00分00秒 | Weblog

新年明けましておめでとうございます。

昨年は世の中も我が身にもシンドイことがあり過ぎましたが、年末から年明けにかけてちょっとしたイイコトがあり、新年と共に少し気分も切り替えられそうな気がしています。

福井の小学校時代からの友人が毎年暮れに送ってくれる、福井県の花、越前水仙。寒さも手伝ってか今回は一段と持ちもよく香りもよく、まだまだ楽しめそうです。

   

実は、この花が届いたのは暮れのまだ半ば12/18だったのです。そして、翌19日に北桂子ママのお手伝いをずっとされていた方と、ママのお墓参りに行く約束だったのでびっくり!というのも、ママは水仙が大好きで、毎年お裾分けをしていたのです。

きっと、ママが天からおねだりしたに違いありません。そんなわけで、まだ蕾だらけの水仙を今回も捧げることができました。その後、お参りされた方が水を替えてくださればまだ多磨霊園で咲いているかも…

             

 

さて、もう一つイイコトは、我が家のオーディオのテープデッキの部分が壊れ、これから買い求めるのも難しくなる時代、膨大なテープの資料をCD等に変換していかねばと、頭を悩ましていたら、JFKの伊勢沢ゆきちゃんが、sonyのデジタルウォークマンを買ってきてくれました。

更にそのテープやMDのデータを整理してウォークマンに入れてくれるとのことで、もう大助かり!おかげで久々気分が、という感じで、来週10日JFK&あみちゃんジョイント第2弾でコラボする曲のアレンジ(CacciniのAve Maria)もスムーズに進行。(ライブ予定表参照、JFK歌い初めゆえぜひ来て下さい!)やっと私の音楽環境も(今ごろ;)デジタル化しました!

    

実は家にいると、半年前まで熱心だった作詞作曲や声出しすらなかなかヤル気が起きない自分に焦っていたのデス。やっとココロのマヒ状態?から目覚めつつあるようで…

そんなわけで、本年も、いえ、本年こそよろしくお願い致します

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望月千里を偲ぶ会

2011年12月14日 22時15分04秒 | Weblog

9月のご葬儀以後、ずっと計画していた「望月千里を偲ぶ会」を12/11(日)、満を持してようやく開くことができました。

東中野にある「カフェ・ド・リヨン」というシャンソニエをお借りしたのですが、まだ新しく広くてレイアウトも素敵なお店で、一緒に企画したギターの佐藤ふじをも「会の趣旨にピッタリの店」と大満足。

   

13:30スタート。暖かく素晴らしい晴天で、このように大勢の方々が集まって下さいました。

 

   

フレンチキス、ルナソレイユコラボ。チャイナ風「憂いこともなし」を中国琵琶の王さん、パーカッションの吉田豊さんを交えて。

 

   

最終的にはこんなに大勢の出演者がプロ、セミプロ問わず出演して下さいました。千里ちゃんの写真、宇都宮「ふしぎの森」加藤さんより贈られたお花を囲んで。

合間に想い出を語って下さる方も交え、休憩なしの長丁場、でもお客様は誰一人帰ることなく、静かにしみじみと聴いて下さって、素晴らしい会となりました。きっと千里ちゃんも傍で聞いていたのでしょうね。皆々様、多大なるご協力を頂き、ありがとうございました。(写真撮影:若松岳)

何とか一つの区切りとなりました。気持ちも一区切り付けられるかどうか…今年もあとわずか、新年に向け少しでも前に進めるよう頑張ろうと思います。

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