ニコニコ日記・咲顔

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九度山◎真田ミュージアム

2016年10月11日 | 歴史を歩く
10月10日 体育の日は、1964年10月10日の東京オリンピックの2年後から祝日になった。ところが連休にするために第二月曜日が体育の日にしたのは、2000年からだ。そして2020年の東京オリンピックの7月末も祝日になるのでしょうか?それはそうと、暑さが心配だ。
昨日から急に秋になった。冬の布団を押入れから出したので朝までグッスリ寝ることができたほどだ。
     
9時半に家を出て和歌山の九度山へ。約2時間の長旅は、土曜日のリベンジだ。南海高野線・九度山駅で下車。普段なら人けの無い駅のようだが、この時期は駅員がいてもいいと思うんだけどなー。だから狭い駅舎は混雑気味やん。申し訳ないけど、すたれた商店街、「真田のみち」を歩くと、家の玄関先には、真田の赤提灯が吊られてこちらも祭り気分だ。

    
歩いた順番に書くと、真田の抜け穴と呼ばれる石組み。これは、昔の古墳跡の入り口なのに誰が言いだしたんでしょうね。大坂城まで約50kmはあるというのね。伝説とはそんなもんです。
  
真田庵 高野山の蓮華定院に蟄居(ちっきょ)を命じられた真田昌幸・幸村父子は、女人禁制の高野山なので20km下の九度山に16名の家臣と入り14年間を監視付きで暮した地。父の昌幸(65歳)の墓もありました。この地は、江戸時代の1741年(寛保元年)に大安上人によって創建した善名称院。今の建物は、真田家が過ごした屋敷ではないようだ。

  
九度山ミュージアム 昨日の大河ドラマ真田丸は、ちょうど九度山から大阪に出陣するか迷う場面だったので、九度山は大河ドラマファンで満員だと思ったけど20分待ちで入れました。最近、小生は真田と言いつづけているけど世間ではそれほどハマっていなんだと感じた瞬間でした。サミシイ

今日は偶然、夜に真田幸村花火大会があって道の駅の横の広場では、屋台の準備で大忙し。小生は、パンをかじりながら進む。

  
世界遺産・自尊院 弘法大師空海のお母さん(玉依御前たまよりごぜん)が香川県善通寺から高野山に来られたが女人禁制なのでこの地に住まわれた。
  
ご本尊は、弥勒菩薩で「子宝、安産、育児、授乳、病気平癒」を祈祷する「乳房型絵馬」は、珍しい。女人高野と呼ばれている。空海は、月に九度は必ず高野山から山道を下って母公を尋ねられたので、この地名を「九度山」と称されるようになりました。

  
急な石段を登ると、世界遺産・丹生官省符神社(いうかんしょうぶ)

      
「高野山案内犬・ゴンの碑」 調べると、<平成14年に息を引き取ったゴン。白い雄の野良犬が、高野山町石道の20km強の道のりを朝、慈尊院を発って、夕方に高野山上の大門まで道案内し、夜には慈尊院に戻る毎日を送っていた。約1200年前の弘法大師の時代にも高野山の案内犬がいたという伝説があり石碑となった。慈尊院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、「ゴン」と呼ばれるようになった。>
さらに上には高野山へ向かう山道がある。
     
その右手には勝利寺 この辺りから、高野山へ登る20kmの道がつづく。小生も一度は、高野山の山門への道を歩かねば!と思うのでした。
     
真田庵と自尊院
帰りの電車にも何とか座れました。14年間も蟄居すればやる気も無くなったんじゃないのかなーと思うんだけど、再び幸村を「日本一の兵」と呼ばれるほどにココロを炊きつけたものは何だったんだろう。
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