ニコニコ日記・咲顔

一日が一生。感動したことを心咲顔で書いています。
旧http://blog.zaq.ne.jp/kijimuna/

マザーの夢

2016年02月22日 | マザー
2月21日(日)布団で6時起床(笑)。久々の布団は、毛布が暑くて何度か目が覚めた。でもゆっくり眠れたんだろうマザーの夢を見た。古いアパートに住んでいて、なぜか東京出張の時に泊めてもらった。これからも泊めてもらおうと思ったけど、最近は東京出張よりも名古屋が多いなぁとココロの中で思っている。台所で夕食を作っているマザーを見ながら狭い台所なのに、なんで大きなテーブルがあるのか聞いてみたが返事が無い。テーブルと米びつの隙間をカラダを横にして通るしかないので、マザーに文句を言いながら片付け始めている時に目が覚めた。そういえば・・・もっと優しくすれば良かったなぁ。優しいの裏返しでよく怒ったというか注意したもんなー。特に、冷蔵庫の賞味期限チェックなんてマザーの自尊心を傷つけたと反省。
     
午後は、今月2回目のジムでヨガ。行けば、来てよかったと思うのだが、一日がつぶれるので家人ともうやめようかと考えてまする。平均月3回なので一回2千円は高過ぎますもん。
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母の味

2015年03月06日 | マザー
3月5日(木)明日は、啓蟄。虫が這い出るような季節になりました。先日の日記に書いた<少しずつ暖かくなってきたので、わくわくうきうきすることをどんどんやろうっと>その通りです。もっと感動できる人生を送りたいからね。
     
春を感じる一つにイカナゴ解禁、そしてマザーの釘煮。昨年は無理かと思ったけどマザーは作っていた。日記を読み返すと3月15日に食している。いかなごが店頭になくなるまで何度か作っていたのでイカナゴの大きさが微妙に大きくなっていたっけ。
そこで一句。
春はどこ 今年観れない 釘煮かな
※ミッキーが作った時計。
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マザー

2014年08月08日 | マザー
8月7日(木)マザーの誕生日。10日の日曜日に初盆をするのですが台風が来ているので姉たちが車で来るのも大変だなー。別に何することもないのだが主催者になるといろいろと大変だ。お布施はいくらぐらいなのか、曹洞宗の仏前はどういう飾りをすればいいのかなど。マザーは20年間も父の月命日をしていいたことに改めて驚いている。例えば一日一生の酒井さんの本など読んでいると毎日同じことを繰り返し繰り返しすることが重要だと学ぶ。
     
日経新聞の私の履歴書に東大寺長老の森本公誠と言う方が書かれている。どんな話になるのか毎朝楽しみにしている。第一回目を抜粋してコピーすると<奈良の大仏さまは東大寺のご本尊で、正確には盧舎那仏(るしゃなぶつ)または毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)という。私はその東大寺に15歳で入寺し、2004年から代表者である別当職を3年間務めた。東大寺は檀家がなく、葬式がない。少し特殊なお寺である。東大寺は大仏造立とともに、全国の国分寺僧を養成する、総合大学のような拠点として奈良時代に創建された。10代半ばの若い僧が集まり基礎学を修めた後、華厳宗、律宗、法相宗など六宗に加え、平安時代には天台・真言を合わせた仏教の八宗を兼ねて学んだ。そこで一宗一派に片寄らないという伝統が生(うま)れた。東大寺は大仏さまの存在があまりにも大きく、僧侶たちがどんな活動をしているのか見えにくい面がある。最もよく知られているのは修二会(お水取り)の参籠であろう。一カ月近く世界平和と人類幸福をただひたすら祈るのである。終わると現実の世界が待っている。ある者は寺院の維持管理に、ある者は学問寺にちなんだ学園の維持経営に、ある者は弱者救済のための福祉療育病院の経営にと、ビジネス同様の仕事をこなす。しかし改めて僧侶の役割は何かと考えると、それは心に悩みを抱えた人にできるだけ寄り添うことにある。寄り添い方は様々であり、「祈り」はその究極の形であろう。東大寺は国家や国民のために祈ることを本務としてきた。今は政教分離の考え方が障壁となり、意義は薄れたかに見えるが、少子高齢化、功罪が問われるネット社会、グローバル化による価値観の一元化、国益の名による国家間の確執、国家を横断する過激思想の跋扈(ばっこ)等々、複雑多様な世界を見れば、「宗教」が果たすべき現代的役割もあるはずだ。>

※ネットで見つけたかわいい猫ちゃん
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伊丹 冨久寿司

2014年06月16日 | マザー
6月15日(日)10時からのサッカーW杯コートジボワール戦の前半が終わって車に乗り込んだ。告別式をした伊丹の寺で四十九日の法要に向かう。車の中で初めてラジオでのサッカーを聴いたけど選手名を噛まずによく喋るよ。よく分かる実況中継でした。
13時から法要。14時半ごろからお墓で納骨。15時過ぎから実家の仏壇の魂抜き。16時半から食事をする。

    
義理の兄が行きつけの「伊丹 冨久寿司」阪神タイガースの選手も来られるそうで美味しいお店でした。

※仏教では、死者の霊は、亡くなった日から七週間(四十九日間を中陰)はこの世とあの世をさまよっているとされています。この期間は、死から新しい生へと生まれ変わる準備をしているのです。この間七日ごとに閻魔大王による裁きが行なわれ、極楽浄土に行けるかどうかの判定が下される。始めの七日目を初七日(しょなのか)、二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)と続いて、七七日が満中陰すなわち四十九日にあたります。
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いつまでもマザー

2014年06月05日 | マザー
日曜日に、姉と車で移動している時に「お母さんは、良い遺伝子を残したね」って姉が言った。(←小生たちの子供や孫のことを考えている) 小生は、んん「最後にいい生きざまを見せてくれたよなー」と返した。ほんと「燃え尽きた人生だ」と思った。最後の最後まで背中を見せてくださった人だった。
「生きていることには全て意味がある」っていつも書いているけど、耳に残った言葉がある。「生きていること自体には意味は無い。目の前に起こることを一生懸命すればいい。人からの評価なんで考えずに、相手の幸せを考えて生きることこそが人生だ」そんな内容だったと思う。これを聞きながらまさしくマザーのことだった。夢でもいいから一度ぐらい夢に出てきてほしい。
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マザーの履歴書

2014年05月12日 | マザー
5月11日(日)母の日でしたね。ミッキーとスイーツ男子は家人にお花のプレゼントをしたようです(写真)。書きながら小生もカーネーションを供えればよかったなーと思っています。マザーとの会話が少なくなっていた頃からメモしていたマザーの歴史なんですが、今になって思えば気管切開する前にもっと話をしておけばと思っています。聞いているけど忘れているかも知れません。旅行の事など書き足りないこともあるので加筆していこう。

     
<マザーの履歴書> 
昭和4年8月7日、福岡県浮羽郡で、父・金蔵、母・マチノの間に生まれる。6人兄弟5番目。金蔵さんは小生が小3に他界。マチノさんは、39歳の時に7人目の産後の日立ちが悪く亡くなったのでマザーの面倒は13歳上の腹違いの姉さんが世話をしたと聞く。参観日にも姉さんが来られたようです。告別式にも来られた6歳下の妹のおばちゃんいわく、一番可愛らしくて足も速くて活発な少女だったと。

小学校の頃、5km先の「山春小学校」にはわらじを履いて歩いて通った。雨の日はみんな裸足だったそうです。走るのは学年一番だったと自慢。夏は近くに流れる筑後川で河童のように泳いでいた。その頃はクロールなんて無くてみんなイヌカキでした。家の横の流れが急な川へ橋からの飛び込むのが得意だった。小学校を卒業して中学校じゃなくて、青年学校と言うところに2年間通う。今でいう職業訓練所のようなものでしょうか。卒業後は、家事手伝い。アルバイトのようなこともしていたようです。この辺りは、よく聞いていないのは残念です。

親が決めた男性と初めてのデートで電車に乗って映画に行ったようで、まったく気乗りしなくて泣いていたと。その男性こそ1歳年上の父である。24歳の父は大阪の国鉄に就職していたので、実家からよばれたその日にお見合いをしたのだそうだ。御嬢さんで育ったマザーは結婚までまともに父の顔を見ていなかったと言っていた。昔はそんな時代だったんでしょうね。妹のおばちゃんいわくよく泣いていたそうです。

翌年、大阪に呼び寄せられて伊丹の実家の近くで生活が始まった。父が下宿していたのは家の二階だったので、トイレに行くのに下宿先のおばさんの部屋を通るため空き缶におしっこをした。と恥ずかしそうに話す。母26歳で姉が生まれ3年後29歳で小生が生まれる。
母は、いつも働いていた記憶がある。子供が小さい頃は、色々な内職をしていた。小学校からは自転車で働きに行っていた。

子供会で兵庫県の多田神社の猪名川に行った時、母は、小生をおんぶしてイヌカキでスイスイ泳いで川の深いところまで行くので、恐くて背中にしがみ付きながら泣いた記憶がある。
父が亡くなって20年間も一人で生きていたマザーは寂しかったのだろうなー。

◼︎病気
1990年10月、60才、腸閉塞で緊急入院したと会社に電話があった時にはびっくりした。早退させてもらい阪急電車の吊革を持ちながら、あんなに元気な母が死んだらどうしょう。と祈っていた記憶がある。トイレで下血したマザーを父が救急車を手配して病院に付き添いもしたようだ。
2006年に甲状腺癌が見つかり伊丹市民病院で摘出手術。その時、心臓血管の動脈硬化が見つかり、宝塚の佐藤病院で心臓手術をする。
2011年2月末、81才甲状腺の影響で呼吸困難になり気管切開をすることになった。
大きな病気をしているので、よく申し訳ないとこぼしていた。姉いわくいろいろストレスがあったと思う。と意味深な言葉を聞く。

趣味はなんだったんだろう。何をしている時が楽しかったんだろう。マザーの事を何も知らなかったなーと。多分、マザーは子供成長と幸せな姿を見るのが一番嬉しかったんだろうと思う。どこの親もそうだろう。
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感謝献杯

2014年05月01日 | マザー
4月30日深夜、愛するマザーが旅立ちました。 さみしくなりますがしんどかった肉体を脱ぎ捨てて、楽になってよかったです。今までありがとうございました。
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ココロの会話を楽しむ

2014年04月30日 | マザー
4月29日 (火)昭和の日は雨。6時に病院を出て車で約1時間で家に着く。まずはお風呂でゆっくり。9時半に家族を乗せて病院に向かう。病院で姉と子供たち家族も合流して賑やかなベット周りになりました。マザーも嬉しそうに一人一人の手を強く握ってココロの会話を楽しんでいる。握られている人もなんとなく伝わっているので涙を拭いている。バトンを渡してんだなぁ~最後になるかもしれないね。

急いて病院に来たのは、医者から呼ばれていたからだ。姉と二人が別室で聞いた話は、最後の心構え。身体が鉛のようにしんどかったら少し眠れる薬を入れるのは賛成で。もうココロの準備はできているので問題はありません。でも5月1日夜に自転車ナリが戻ってくるまでそれまで・・・
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頑張る人

2014年04月29日 | マザー
4月28日(月) 病院6時起床。あ~あ寝すぎてしまったと反省。 慌てて身支度を整えると言っても風呂も入ってないので髪の毛はベトベト。周りの人は加齢臭を勘弁して下さいな。マザーの付き添いなのに爆睡してしまったのはイカンイカン! 情けないと言うかイビキで寝れませんと、マザーがナースコールを押したりして……
     
ちゃんと仕事を終えて、、、
仕事のチャイムを待って会社を出る。19時病院。マザーは手を合わせて感謝のポーズ。今日は家人が泊まる予定だったが、小生は家に帰ってもやる事ないので泊まることにする。明日は休みだからね。マザーの喉の腫れは大きくなり皮膚の色が濃くなり裂けている個所もあり痛そうだ。「オムツでおしっこした」と下半身を指す。看護師さんがオムツ交換しましょうか。と聞くともう一回と指を一本立てる。マザーと言う人は「頑張る人」だなぁ。
長い夜は、たまに体位変換する。ひっきりなしに手や足を動かしていた。頑張る人は、しんどいけど痛み止めもまだ入れいていない。
6時過ぎに一度車で家に帰る。風呂に入って食事をする。ブログ辞めようかなぁと考えていたけど書き溜めた日記を登録することにした。
今から家族と病院に行く。
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最後の仕事はしんどいなぁー

2014年04月28日 | マザー
4月27日(日) 黄金週間で車混雑。11時に病院に到着。看護師さんが着替えなどをしてくださっている。午前中ぐらいは介添えで部屋のトイレで用をたしていたけど夜には、起き上がると貧血気味になり少しふらつくようになった。熱が7.3度あったけど看護師さんはこのくらいの熱はウトウト寝ることができるので様子を見ましょう。ポカリスエットをゆっくり飲んだ後、トイレに立つけど力が入らない様だった。起きると気管が立つので鼻に溜まったポカリがポタポタ落ちる。飲んだと思っていたが食道が細くなり胃まで入らないのだ。看護師さんがガーゼ交換に来られて手を握ると熱があるようだった。看護師さんからアイスノンで下げるのでなく、少し熱があればゆっくり寝れるのでこのまま様子を見ましょう。そして看護師さんがマザーにおっしゃった言葉が「最後の仕事はしんどいなぁー」 そうなのだこれは人生の仕事なのだ。お金を頂くことだけが仕事ではなくて、生きていること自体が仕事なのだ。ブッタ的に言うと「悟ったぞー」 辛いけどマザーを送るのも仕事なのだ。

13時過ぎに予定通りラバウルの自転車ナリからスカイプ電話あった。来週日本に帰って来ると言う…電話ありがとう。
17時ごろ九州から子供(いとこ)の運転でマザーの妹がやってきた。朝の7時に福岡を出発したからお疲れでしょう。マザーとは5歳違うので今年80歳。小生は久しぶりにお会いするので懐かしい。いとこのようじ君も49歳になったけどやっぱり面影はある。マザーも懐かしいのか目にチィッシュをあてていた。生まれた家の裏の橋の話をすると筆談で盛り上がる。マザーの頭の中は少女時代になっているんだねー。丸顔で足が早い少女の姿が見える。痛いも言わないし、人に迷惑をかけるのが嫌なのかナースコールも押さない話をすると、おばちゃんは「芯が強くて辛抱強いのは、金蔵さんの子供じゃけんねー」 小生が小学校3年の時に亡くなったおじいちゃんの金蔵さんは、まさしく九州男児だったんだ。
     
皆が帰られた夜の8時ごろまた熱があり8.2度、熱さましの座薬を入れる。そしてテープタイプのオムツをすることにした。もう自力のトイレは無理のようだ。今日は小生が泊まります。
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