ニコニコ日記・咲顔

一日が一生。感動したことを心咲顔で書いています。
旧http://blog.zaq.ne.jp/kijimuna/

草津宿本陣

2011年08月15日 | 旧東海道を歩く
8月14日、大学時代仲間と友人宅に行くため待ち合わせ時間の1時間前に来て草津宿を散策した。
本陣と交流館の共通券320円を支払う。愛想のいい受付の女性と男性の対応が有難い。田中家のひんやりした屋敷に入ると昔のままの調度品が展示されている。この屋敷は大名や公家など位の高い休泊者の施設だ。お風呂も広くて外で沸かしたお湯を部屋の桶に継ぎ足すようにつくられ、30の部屋は、一部が位順になっている。食事も魚・野菜・味噌汁など今と変わらない。もちろん肉などない。

街道交流館で浮世絵展をしていて実際に浮世絵の印刷体験しました。色別の版画を4回刷って完成だ。
     
版画の角を上手く合せないとずれてしまいますよね。この角のことを見当というのです。見当を付ける。

江戸時代といっても265年間続いたから旅の費用も一概に言えませんが
1文10円~20円で計算すると
  宿泊料1泊 100文~300文(約5,000円)
  昼食代など  50文~100文(約1,000円)
  酒代      50文~100文(約2,000円)
  わらじ代    10文~16文 (約  200円)
  駕籠代    100文      
一日300文~400文(約8,000円)必要ですね。
男性は15日で歩いたと言いますから6,000文=1両(約12,000円)
※そばが一杯15文(約300円)、大工さんの月給が2両(24,000円)といわれていたようです。

大名たちは大変だったと思うが参勤交代は経済の発展に貢献したのだなぁ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

街道を歩く【水口宿から関宿まで】

2011年08月06日 | 旧東海道を歩く
8月6日 水口宿から関宿へ(5日目)前回7月30日の続き。
寝過した。自宅を7時30分に出発し近江鉄道の水口石橋駅を10時5分に到着。移動に3時間もかかる為、もっと早くと思っていた。台風の影響でしょうか曇っている。今日は鈴鹿峠越えだからどうなる事やら・・・。

     
水口石橋駅は無人の駅で人が集まる雰囲気はありませんね。踏切を渡ると正面に時計台があり水口の紹介をしている。古い家もあり昔の面影を残している。

     
道は、ほぼ真っすぐで迷う所もない。車の標識を見てびっくりした。307号線を右に曲がれば「枚方」だって? 枚方ってぞんなに目標になる有名な街だったっけ??

     
水口は、かんぴょうの名産地だったそうです。でもこれは江戸時代のこと。今では、97%が栃木県。昔、下野の国の殿様が持ち込んだとのこと。

     
標識のなくなる場所もあり地図を見ても分からずローソンのお兄さんに聞くのだが旧東海道なんで知らないようだ。そんな時は1号線を歩く。道沿いに<土山・今宿>の石碑がありやっと車道から離れることができた。後ろか「ちょっとすいません」と声がする。振り向くと「アンケートお願いしたいんですが」・・・何かの著名活動かと思っていると、「子供の自由研究で・・」アンケートを見ると東海道53次の旅行者向けでした。「夏場は人が少なくて・・」 簡単な質問に○をつけながら「子供は?」「バレーの練習で・・」お父さんも大変だね。ちょっとしたことだけど人との会話が嬉しくてね。人恋しくなっている。

     
街道の松並木は、旅人の日差しよけや風よけで植えているものだと分かってきました。なぜ松なのでしょうか。お茶が有名なのは知りませんでしたが茶畑が広がっていました。
     
こんな風景に出会うと暑さも忘れます。

      
土山宿 土山本陣跡 少し行くと東海道伝馬館があり、お姉さんの説明を聞きたかったんですが先を急ぎました。伝馬とは、公用の書状や荷物をリレー制で次の宿場まで届けるために必要な人馬を用意していた場所のことで人の往来が多かった場所でしょう。またこの辺りの旅籠は、大名や旗本が泊まっていた場所だそうです。

     
「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨がふる」鈴鹿馬子唄
歌川 広重「土山 春の雨」の版画は、田村神社の杉を描いたとのこと。(あいの土山の名前の由来はいろいろあるようだ)

道は直角に曲がり、田村神社の鳥居が正面に見える。
 
神社の前が「道の駅 あいの土山」があり冷房の効いた贅沢な場所で休憩をする。無料の「土山茶」が美味しかった。街道のルートが分からなくて聞くと「田村神社の山道を歩き右に曲がると橋を渡って下さい」600m下流で大水が出るたびに死者が多かったようで街道のルート変更をして田村川橋を架けたという記念碑がありました。橋の下では、気持ちよく水遊びをしている親子たち。ルート変更しているため道に迷う。14時ごろ

     
迷ったら騒音の1号線を歩く。新名神高速道路の高架をくぐる下に鈴鹿馬子唄の碑が建っている。

     
1号線の鈴鹿トンネルの上に万人講大石燈篭が鎮座していました。ココから鈴鹿峠が下っていく。

 
夜に雨が降ったのかぬかるんでいる。木々も倒れているから激しい雨だったのだろう。薄暗い山道を歩いていると心細い。

 
片山神社を抜けて、1号線を歩くのもいいけど東海道自然道もいいですね。でも急な山道で危険すぎる場所もあり、本音は恐かったです。ココからひたすら雑音の1号線を歩く

 
鈴鹿峠を下るといよいよ関の街に入りました。何か違う雰囲気です。そうです、電柱・電線がありません。時間が止まった感覚がする街だ。この通りは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。右は営業している百五銀行です。

     
写真を取っているとおばちゃんが声をかけてきた「パンフレットもらったの?」いいえ、というと関のパンフレットをもらってくれました。「瓦みました?」いいえ、というと連れて行ってくれる。優しいおばさんにお会いできました。瓦は、店によってまちまで桶屋さんのは「器」の文字が入っていました。「虎」や「龍」もあり、時間をかけて散策したい関の街並みでした。
17時48分の電車の時刻が過ぎてしまって、18時45分発まで1時間遅くなってしまった。おばちゃんは悪くないのよ。

     
JR関駅からの道は、線路は続くどこまでも続く。一歩一歩前を向いて進んで行こう。

本日のコースは、水口石橋10:05~関駅18:00 歩数計では、35km 44,034歩
通過した市は、滋賀県甲賀市→三重県亀山市
水口宿→10.5k土山宿→9.7k→6.5k関宿(26.7k)
行き:京阪電車・東福寺~JR京都~草津~貴生川~近江鉄道・水口石橋 1,330円
帰り:JR関西本線・関~JR柘植~草津~京都・東福寺~京阪電車で家に帰る。1,640円
家に着いたら22時過ぎていました。次回は、関宿からスタートします。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

瀬田の唐橋から水口へ

2011年07月30日 | 旧東海道を歩く
7月30日 瀬田の唐橋から水口へ(4日目)前回7月23日の続き。
自宅を7時20分に出発し京阪石山坂本線の唐橋前9時5分到着。今日も暑くなりそうだ。今回は本も買ったし、ルート検索したコピーも持参したから大丈夫だと思ったけど何度も道に迷って引き返したりした。表示の無いポイントや見逃したところもありました。事前準備が甘かったですね。

     瀬田の唐橋
「唐橋を制する者は天下を制す」と言われ交通の要であった。「急がば回れ」の諺の発祥であると記されている。
     JR瀬田駅近く
一里塚。旅人のために目印として設置した塚(土盛り)のこと。一里は約4キロだから1時間でしょうか。
一休和尚は正月に「門松は、冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」
     
草津までは、よくこのポスターを見かけました。夏祭りかと思ったら民主党議員さんじゃありませんか「日々コツコツ 満月目指して」って何なん?って感じ。
草津宿に近づくにつれ街並みは綺麗に整備され、家の庭には松などが植えられていた。
     
13時草津本陣に到着。観覧料は200円だったけど先を急ぐので歴史を学んで今度来ようと思う。

     
草津は、東海道と中山道が交わる地点だったから昔の賑わいは想像以上だっただろう。
70軒以上の旅籠と500軒以上の町屋があったという。
      面白いモニュメントがありました。街道の合流地点(右は中山道・左は東海道の碑)であり皆忙しく歩きまわっていたのでしょう。普通の道なのに江戸時代の人達が見えるような錯覚に陥る時があります。これってなんか旧東海道のハマる理由でしょうね。

 
モニュメントのような小生
草津宿から表示どうり進んでいたのだが途中で間違いに気づく。旧東海道を町おこしにしている市町村もあればそうでない町もある。パン屋さんを見つけてあんぱんを買っておばちゃんにJR手原駅を聞いて到着。    
 
手原駅から石部宿までは表示が昔の屋号が軒先にある。飴屋や酒屋、相撲取りの名前もあった。名前が知れ渡っていたという和中散という腹薬、なかでも六地蔵の大角弥右衛門家は今も残る。この辺りは、宿と宿の間に立場(たてば:杖を立てて一休みすることから)という休憩所も兼ねていた。左手には近江富士が見えていた。

石部宿に13時30分到着。この辺りは町の電柱に店の名前入りの東海道表示があるので安心して歩くことができた。近江富士の上空の雨雲が近づいてくるのが気になるが曇っているのには歩きやすい。町屋の風鈴が強く鳴ってきたと思ったら14時半ごろから雨が降ってきた。ガレージで雨宿りしたり、傘をさして歩き出すとまた強くなったりと・・
本によると、「京立ち石部泊り」と言われ京をたった旅人の一泊目が石部だと分かり、昔の人の健脚さにびっくりした。当然かもね。          
     
地酒屋さんはよく見かけますね。伝統を守っている凛としたものを感じます。「お客さん旅してはんの。ちょっとお茶でも呑みますか?」なんて声をかけられると嬉しいのになぁ~ 

 
樹齢750年の「弘法杉」は、手を合せたくなるような神々しさがありました。弘法大師が杉箸を地面に付き刺した伝説がある。

 
太陽が出てくるとやはり暑い。自動販売機はどこにでもあるがコンビニがなくてお腹が空いてきた。三雲駅にうどんでもと思ったが何処も休み。酒屋は空いていたけどね。
川を渡り甲賀市に入る。横田渡の常夜燈。野洲川は、この辺りで横田川と呼ばれいた。「横田の渡し」は、軍事的にも重要な場所であり橋は作らなかった。(左)1822年に旅人の目印として建てられた石燈籠で、高さは10mもある道中では最大。(右)は横田の渡しを渡った向こう岸の常夜燈。道を間違えたおかげで写真におさめた(涙)

     
水口宿までは直線が続く。昔は、店もなくて田んぼの中の道だったのだろう。雨が降るとぬかるんだり、水溜まりを避けたりしながら歩いていたのだろう。右手にはTOTOの工場が見える。滋賀県はウォシュレット普及が高いと聞く。

     
神社や一里塚など写真に収めながら水口宿に着く。「水口石(力石)」街道の角に置かれていたと言う。角地だったから丸くなったのだろうか。今日は花火大会があるらしく浴衣のお嬢さんが多かった。1時間に2本の近江鉄道が近づいてきたのであわてて乗り込んだ。もっとゆっくりすればよかった。急ぎ過ぎて達成感もなく街を散策することもなく水口石橋駅を後にした。
 
本日のコースは、瀬田の唐橋9:05~水口石橋駅17:20 34km 44,983歩
通過した市は、大津市-草津市-栗東市-湖南市-甲賀市
大津宿→(14.3km)草津宿→(11.7km)石部宿→(13.7km)水口宿
行き:京阪電車・東福寺~JR京都~膳所~唐橋前 840円
帰り:近江鉄道・水口石橋~JR貴生川~京都・東福寺~京阪電車で家に帰る。1,330円

次回は、水口宿から関宿か桑名宿までを計画。
注意:雨具は必需だと再認識しました。足腰が火照って寝付かれませんでした。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「東海道五十三次ガイド」

2011年07月27日 | 旧東海道を歩く
楽天ブックからやっと到着。
     
本当は先週届くはずだったが財布を紛失したためにカードが停止されていたから注文キャンセルに気づくのが遅くなったようだ。だから旧東海道の道を迷って「大津宿」辺りを通らず1号線を歩いていた。この辺りはまた歩くことにすることにします。この本とネットでこれからの3回分の予定を作った。でも名古屋辺りでどうするか迷っている。交通費だけで一泊分の費用になるからだ。まあできるところまで、自己満足する場所まで頑張りま~す。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

京都三条大橋から石山寺へ

2011年07月24日 | 旧東海道を歩く
7月23日京都三条大橋から石山寺へ(3日目)
京阪三条から三条大橋を渡ったところに弥次郎兵衛と喜多八の『弥次喜多像』があります。小生もこんなところにブロンズ像があるとは知らんかったなぁ。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は、ドタバタ喜劇読ですが、小生の一人旅も楽しく歩みたいと思っていま~す。

     
9時50分スタート。比較的涼しく感じながら三条通りを東に向かう。京都地下鉄東西線の上を歩く感じでしょうか。(東山-蹴上-御陵-山科)都ホテルのある蹴上から御陵までは峠の坂道なので、車石という石を敷き詰めたモニュメントがあった。雨が降った泥道を溝を掘った石を敷き詰めていたんですね。

     
この道は、まだ三条通りなんだな。天智天皇山科陵~京都薬科大学を通り大津の標識が見えてきた。名神高速だと「京都東」辺りだ。ココからまた山を越えて琵琶湖に向かうのだ。昔は険しかった山だっただろう。

     
途中に地図があるのには嬉しかった。東西線でいうと(四宮-追分-大谷-上栄町-浜大津)となる。沿線沿いを歩いている。蝉丸神社をお参りしてお腹が空いてきた。ちょうど12時ごろ、鰻のかば焼きの香りが鼻腔を刺激する。『かねよ』創業100年の老舗で美味しいんですよ。と駐車場の案内のお兄さんが語っていました。さすがに駐車場はいっぱいでした。今度家人と来ましょう。

     
『かねよ』の辺りが山の頂上です。ココにも車石を見かけました。琵琶湖からの物資を運ぶこの山坂は大変だったでしょう。そしてココが逢坂の関です。
百人一首で有名な(蝉丸)「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」出会いと別れの場所だったのですね。小生もこれから東の国へ向かいます。
    
     
1号線を歩いていくとなんだか道を間違ったようです。案内板があり現在地と旧東海道の道が書いてあり助かる。2キロ前から間違っていたようです。一旦戻ったのですが日差しも強くなったので途中で諦め引き返す。少し疲れてきているんだろう。ラジオを聴いて気分転換する。各所に案内板があり助かりました。思い出のある膳所駅に立ち寄ったりしながらコンビニで昼食はおにぎり1個と塩飴を買ってミネラル補給。 
    
     
膳所城跡公園で琵琶湖を見ながら休憩。歩いているとお店でがっつり食べようと思わないのだ。この辺りは芭蕉の俳句を目にする。義仲寺という松尾芭蕉と木曾義仲の墓所がありました。途中色々なお寺をお参りしながら街中をひたすら歩く。『瀬田の唐橋』周辺は大学のカヌー部が練習をしていた。風も気持ちいいし昼寝でもした場所でした。京阪電車最後の駅「石山駅」に到着。草津まで行こうと思っていましたが今日はココまでにして『石山寺』に参拝しました。

     
参拝料500円。ちょうど南無阿弥陀仏と書かれた白装束の方が20名ほどと一緒になる。西国13番目の札所であり、名前の通り岩石がいわれのようです。紫式部が源氏物語を書いていたとは知りませんでした。
疲れた足腰に階段の上り下りは辛かった。川のせせらぎとヒグラシと木漏れ日が最高でした。パンフレットには花暦もあり四季を楽しめるお寺でしょう。帰りの石山駅までの800mがしんどかった。

帰りは、京阪電車・石山寺駅~浜大津駅~三条駅に戻り家に帰る。
 
本日のコースは、京都三条大橋9:50~石山寺駅16:30 26km 34,459歩
先週の地獄の暑さはありませんでしたが坂道があり疲れたコースでした。
次回は、石山駅からスタートします。旧東海道のコース本を買って道に迷わないようにします。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

京都三条大橋出発

2011年07月23日 | 旧東海道を歩く
7時半起床。昨日の東京(東京は驚くような涼しさでした)で呑み過ぎたこともあってなかなか起きれなかった。いつものように居間で寝てしまっていたから大学のテスト勉強をしている次男が「いびきうるさい!ほんまどないかしいや!」と何度か起された記憶がある。いびきに関しては、家人から「横になって寝なさい」と指示が出されている。言い訳をすると居間で寝るのは、テレビを見ながら寝ちゃった。ではなくて家人が寝室でケアマネの勉強をしているからと思っているからなのだ。

珍しく、今日は家人が休みだったので早く家を出発しようと思っていた。理想の計画では、暑さ対策で遅くても8時には三条大橋を出発しようと考えていた。寝不足と酒量でやっと起きて、ミル姫を散歩して新聞を斜め読みしていると9時前になってしまった。

京阪電車・香里園駅から38分で京都三条駅に到着した。地上に出るとまぶしい朝であった。気温は高くなく爽やかな鴨川の三条大橋に向かった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

樟葉から京都三条大橋へ

2011年07月16日 | 旧東海道を歩く
7月16日樟葉から京都三条大橋へ
5時起床。昨日は飲み会をキャンセルしたおかげですっきりした朝を迎える。三連休は計画通りにいけそうだ。月曜日に蝉の声を聞いたと思ったらもう一斉に孵化したようだ。今日も暑くなりそうだ。

「東海道五十三次」2日目 前回は7月9日(土)家~樟葉駅まで13km
9時15分に京阪電車の樟葉駅を出発。京都三条を目指す。京阪電車に沿って歩くようにする。
橋本駅~八幡市駅は、淀川沿い・車道はトラックがビュンビュン走るので住宅街を選んで歩く。八幡市から淀に向かうあたりは木津川と淀川の橋を渡る。春には淀川の背割堤の桜は見事なところだ。この辺りで日差しに負けそうになってくる。コンビニをやっと見つけてポカリスエットと日焼け止めを買う。そしてのむヨ-グルトを呑んだのがあと後苦しんだ。

淀駅がどうなっているのか気になる。もちろん旧淀駅は、あとかたもなく工事中だった。石垣だけが残る程度の淀城だが、昔は川と道が結ぶ京都・大阪の交通の要だったことだろう。
     

淀駅からは小さな川が多くて迷いながら歩く。中書島駅までは遠かったなぁ。陰がなくてアスファルトの暑さはたまらない。急に涼やかな川にぶち当たる。去年のGWに寺田屋近くから船に乗ったあたりだ。子供がブルーギルを釣っていた。
     

中書島駅からは京都に向かって真っすぐ北に向かっているので歩きやすい。お寺も多くて街並みものんびりしている。ヨーグトのせいなのかポカリスエットの飲み過ぎなのかお腹の調子が悪い。この辺りはコンビニもなく困って整骨院にトイレを求めるとおばちゃんが「ココはトイレないのよ」だって。京都らしい答えだと目が語っていましたね。NTTの裏口に見つけて飛び込んだ。

      

お腹が空いてきたので梅おにぎりをよく噛んで食す。伏見稲荷は、2年前のお正月に来たけどよかったですよ。でも今は工事中でした。コンビニを見つけて、カルピスウォーター ボトルアイスを買って首を冷やすと生きた心地だ。封を開けるとシャーベット状のカルピスは後味もいい。

    
京都四条の花街で舞妓さんに会いました。暑いのに大変だ。おじさんパパラッチがカメラを構えていました。

午後3時にやっと三条大橋に到着。途中、暑さで辛い所もあったけど歩くことが出来ました。祇園祭だったので浴衣姿の若者が多かった。
     
三条大橋の下は、大学時代の思いでいっぱいだ。コンパなどで呑んだらよくココに来たもんだ。花火をしてやけどしたり川にも入ったりと。
でもやっと東海道五十三次のスタート地点に到着した。ココまでは、八坂神社、清水寺、東福寺などなどよく知った場所だがココからは未知の世界が始まると思うと楽しみです。

本日のコースは、樟葉~京都三条大橋 23km 34,155歩
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ゴールはお江戸日本橋?はじめの一歩

2011年07月09日 | 旧東海道を歩く
5時起床。やる気みなぎる朝とは今日のことだろう。粗食で早寝早起きは理想形なのだ。午前中は本を読んだりしながら過ごしたが昼のカレーとカップ麺を食べて気が付くとテレビをつけたまま昼寝をしていた。

7月7日ブログで書いた「七夕の願いごと」をまだ考え続けている。頭を整理するためにメモってみる。10月の大阪マラソンは断念した。ひざのためでもダイエットしなけれならない。プールがいい。スポーツジムへの登録もいい。そうだ運動と言えば去年、ミッキーの富士登山の訓練でペットボトルに水を入れたリュックを背負って(三浦雄一郎さんの影響)猛暑の中を歩いなぁ。やりたいことは、琵琶湖を自転車一周。熊野街道の大阪天満橋から和歌山まで歩く。東海道五三次コースのお江戸の日本橋への旅

昼寝を午後2時半に起きて、なんだか焦りを感じながら取りあえず家を出ようと思って午後3時に目的もなく出発。一番気温が高い時間帯やんとブツブツ言いながら・・・
南へ行くか北へ行くか・・・取りあえず一歩を踏み出した。白い足で(笑) 大丈夫??
          
寝屋川市の家を出て、茄子作~京阪交野線村野駅~宮之阪駅へ この辺は水田が多くてのんびりした風景が心を和ます。でも暑くて暑くて1時間過ぎるとフラフラしてきた。アクエリアスを買って水分補給しながら歩き続ける。今日はココまでと思ったのは京阪牧野駅。少し休憩すると元気が出て来たので樟葉駅を目指した。30分歩いてゴール。ココまではいつものコースだ。
空にもメダカの群れが戯れている雲が泳いでいる。
     

歩いているとお寺や神社や祠が多い。何かの目的で作られたのだろうが、昔の人の生死観や土地にまつわる吉凶などを感じる。今私が歩いている時代は、過去の人達のおかげで生きていると歩きながら感じる場所がある。
寝屋川市15時~樟葉駅17時30分 2時間30分 <16032歩 約13km>
帰りは電車で15分
さて次はあるのか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加