mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

第19回 36会aAg Seminar 開催――日本の女性の生き方

2016-03-27 19:34:30 | 日記
 
 昨26日、「第19回36会aAg Seminar」が行われました。いよいよ4年目に入ります。講師はkeiさん。長く開業医の裏方を取り仕切ってきました。お題は「待合室の小さな窓口から」。「果たしてどんな話が飛び出すか、愉しみですね」と前振りをしてきましたが、終わってみて、さてこれは、何のSeminarであったろうかと戸惑うような展開。Tくんは「まとめるのが大変だね」と同情してくれました。ところがkimiさんは、《「窓口に立つ」keiさんの「気遣いパフォーマンスですよ」》と、こともなげにまとめてくれました。
 
 冒頭に「新・心のサプリ」と題した海原純子が毎日新聞に連載したエッセイ16回分と川柳78句のプリントが配られました。それを使って話が進むかと思いきや、「参考資料」です、あとでお目通しください、と片付けてしまいました。これは講師を依頼した事務局が「心とは何か」というお題でどうかと振ったのに対して、keiさんなりの応対であったのだと、あとでわかります。
 
 子細は後日、「ご報告」の形で出します。「自分の経験したこと、感じたこと、考えたことしか話せません。井戸端会議ふうにしゃべります」と断ってスタートしたのですが、戸惑ったのはkeiさんが自己紹介からはじめ、そこにかかわる人たちの人物評を織り込んで、話しをはじめたからです。ポンポンと話しが跳びます。
 
 (えっ、それって、窓口から?)と途中で突っ込みを入れる方もいました。それと同時に、keiさんの話しに触発されて、あちらからこちらからも、口が差し込まれます。そのうち、それぞれのところで、やり取りがなされてkeiさんの手を離れてしまう気配さえ出来してきました。それでも、「開業医」の何をkeiさんがとりしきっているのかに関心を向ける問いが発せられ、その事情をよく知るmdrさんが、keiさんに代わって話をします。
 
 聞いている私にとってkeiさんの人物像は、まるで万華鏡を覗いているようです。話しの乱反射のかたちづくる模様が、くるくるまわる筒の動きに次々と変わって、とらえどころに戸惑ってしまう。話はあちこちに跳び、留めようもなく広がる気配を見せ、ご本人も「何を話していたんでしたっけ」と立ち止るという様子でした。それに向き合う女の人たちの達者なこと。まさに「井戸端会議」といえば言えるのですが、散漫なおしゃべりかというとそうではなく、「いえ」をとりしきる「はは」のつよさとやわらかさを感じさせる時間であったと、感嘆しています。
 
 でも、「窓口から」という私の関心に惹きつけて主題化すると、日本の女性の一つの生き方が浮かび上がってきます。
 
 keiさんはいま、地域に根付いた三代続く「かかりつけ医院」の裏方を担っています。寡黙で篤実な医師であるご亭主や息子さんが「赤ひげ的に」医業に専念するための周辺の「環境」を整え、職員の異動や勤務を調整し、薬の在庫や購入管理にまで気を使う。かつ、来院する患者さんたちと医師との意思疎通を仲立ちするという芸の細かい気遣いに心を砕く。「ドクター・ファイル」というインターネット・サイトにH医院をアップし、院長と副院長の医療指針を静かに語らせて、地域へのホームドクターとしての浸透をさらに図ってもいます。さらに今、資金を調達して医院の改築をはかるべく土地を手に入れ、どのようなイメージの医院にするか思案しているようです。それらを全部取り仕切る。ゴッドマザーのようですが、立ち居振る舞いはまったく日本の古典的女性のそれ。静かな語り口、控え目な身の置き方、肩にかかる重荷を抱えても愚痴を言うでもなく、ひたすら前向きに明るく振る舞う。つまり、芯の強さを裡側に秘めて、気遣いと心遣いを完璧にやりきろうとする構えを持っていると言えます。
 
 話を聞きながら想い起していたのは、つい昨日手に入れて読みはじめた本、精神科医・宮地尚子『ははがうまれる』(福音館、2016年)の「はじめに」です。
 
 《「母」であることには、柔らかさ、あたたかさ、包み込むような感じが、イメージとしてついてまわりがちだ。けれど、実際に「母」であることは必ずしも簡単なことではなく、いつもイメージ通りにふるまえるわけではない。いつも優しい慈母のような存在であれるわけではない。/「母」をするということは、おびえたり、かたまったり、意地悪くなったり、冷たくしたり、腹を立てたり、どなったり、受け容れられずに拒否したり、傷ついたり傷つけたり、そんなことの連続でもある。》
 
 Seminarでは、宮地の書く後半部分はまったくかたちをみせていません。ですが、先代からの医院経営をすっかり受け継ぎ、子育ても周到に終わって、今すでに(医院の裏方は)Hさんの時代になっているからであろうと推察しています。ただ、そのような 医院の事務長のような仕事をしながら、それを「主婦」の裏方仕事のようにして「肩書」ももたずにこなしているというのは、戦前からの家族経営的な「赤ひげ」センスなのかもしれない。そのあたりに、三代続いた「医療システム」の今後の課題が見え、そこにおける日本の「主婦」と「はは」と「女性」の生き方が問われているような気がしています。

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