mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

人間の営みとは何かを問う、戦争を嗤う

2016-11-02 15:07:55 | 日記
 
 ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督の映画『とうもろこしの島』を観る。ソ連崩壊後独立したグルジアのアブハジアで内戦が続く最中、国内を流れる河に雪解けのころ中州ができる。そこへ手漕ぎ舟で乗り付け、掘っ立て小屋を建て、中州を耕してとうもろこしを植え、育てる老人と孫娘を描く。散発的に続く戦闘と何もないところを耕して食べ物を手に入れる営み。その対照がこの映画の主題だと私は受け取った。
 
 何しろセリフがほとんど、ない。まさに黙々と働く。魚を獲る。それを捌く。その手際が、孫娘に受け継がれていく。耕す、種をまく、水をやる、シカのような何者かにとうもろこしが食われる、実りの季節が来る、それは同時に川が増水して中州が消えてなくなるときでもある。その全過程を坦々と映し出して、人間の営みとは何かを問うている。戦闘を嗤っている。近隣諸国の「脅威」を煽って、敵意をむき出しにすることが、生きることとまるで無関係に存在していると、証し立てているようですらある。
 
 2016年9月20日のこの欄で、「哀しい戦争」と題して、同じグルジアの戦闘を扱っていた、ザザ・ウルシャゼ監督の映画『みかんの丘』(エストニア・グルジア合作、2013年)のことを記した。そのときはまだ、グルジアの内部的なナショナリティの範疇を問題にしているのかと思ったりしたが、この『とうもろこしの島』と連作のようにとらえてみると、あきらかに人間の営みという根柢に足がついていることが読み取れる。オヴァシュヴィリ監督の視線に私たちも立ち返って、目下の東アジアにおける「緊張関係」を読み取らねばならないと思った。
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