mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

「ふるさと」という情緒

2016-11-26 09:49:47 | 日記
 
 「ふるさと」というのを「自分」が生育った風景とそこに象徴される「かんけい」とみて、私はこれまで「出自」といってきた。それは言葉を換えれば、「アイデンティティ」の話とみてきたわけだ。だが、ホァン・ミンチェン(黄銘正)監督の映画『湾生回家 Wansei Back Home』(台湾、2015年)をみて、ちょっと訂正というか、言葉の重心をもっと情緒に移して考えるべきではないかと思った。
 
 「出自」と重ねて「アイデンティティ」というとき、どちらかというと「ルーツ」をイメージしていた。言葉の土壌がかたちづくられ、自分の感性が培われ、自己の(無意識と)意識が育まれてきた足跡を「アイデンティティ」と呼ぶと考えていたからである。つまり「人間存在」というものを「ことば/ロゴス」でとらえようと考えてきた。だがその根っこにある「情緒」こそが、「アイデンティティ」や「出自」の原基をなすのではないか。そうしてその「情緒」が今、蒸発の危機に瀕している、と思った。
 
 この映画の「湾生」というのは、日本の植民地時代の台湾に生まれた日本人のこと。大半は、敗戦によって日本(本土)に帰って来た。なかには台湾に留まるために、あるいは、台湾人と結婚していたために、現地にとどまり、子や孫、曾孫をなした人もいる。あるいはまた、我が子を育てられず、台湾人に預け母親だけが本土に帰国、残された子どもが養親に育てられ、そのうちの長男と結婚して幸せに暮らしているケースもある。その、日本本土に帰国した湾生が戦後、「ふるさと」を訪れる。あるいは、台湾人である、湾生の子孫が、自分の母や祖母の「ルーツ」を辿ろうと、日本を訪れる。この映画は、そうした人の動きを映像にとどめたドキュメンタリーである。
 
 登場する湾生はほとんど、昭和初年から昭和18年ころまでに生まれた人たち。つまり今、88歳から73歳くらいの人たち。敗戦のとき、18歳であった人がいちばん年寄りであったか。もちろん台湾を訪ねることができるくらい元気であるという理由もあろう。だが、親兄弟の消息が紹介されるにつれ、彼ら以上の年配者は、たいてい戦死していることがわかる。本土に帰国した彼らが目にしたのは、焼け跡と食糧難に囲まれた混沌の社会であった。だから彼らには、台湾という「ふるさと」が理想郷に感じられる。
 
 その湾生が自分の生まれ育った現地を訪れる。地元の人と話すうちに、軽々と中国語が口を突いて出る。その彼らと出逢った台湾の人たちが、ごく自然に日本語でやりとりをする。「台湾の人たちは(日本統治時代に)植民地だと教わったわけではない。日本だと教わり、そう思って育ってきた」とナレーションが入る。必ずしも差別的にばかり扱われたわけではないということか。「いいことも悪いこともいろいろあったが、総じてインフラの整備という点で日本の統治は好感を持って受け止められている」と客観的に語る研究者のことばも添えられている。祖父が入植し開墾し、果物が豊富に実ったとされる「ふるさと」が、いま元の荒野に戻ったまま捨て置かれている姿も映し出される。つまり今台湾は、当時の日本の入植開拓とは別の方向へ進路をとっているということだ。
 
 そう言えば、訪れた「ふるさと」は都会地ではないように思えた。昔日のたたずまいを色濃く残す町であったり、農村部のようであった。「ようであった」というのは、その町に暮らす人たちの、湾生を迎える応対が、私の子どものころの岡山の農漁村と工業の併存する地方都市の「人々」の振る舞いや、四国高松の(当時は)辺縁部にあった農村の人びとの佇まいに近い感触を湛えていたからであった。湾生は、その昔日の面影を目にするだけで涙があふれ、言葉を失っていた。
 
 あるいは、日本に「ルーツ」を訪ねてきた湾生の子や孫が、祖母(曽祖母)の生まれ故郷を訪ね、戸籍に湾生である母(祖母)の名が記されていることを知って(捨てられたのではないと)感動し、墓参りをし、その祖母(曾祖母)が本土帰国後に暮らしていた大阪を探し当て、身を寄せていたアパートの大家に当時の祖母(曾祖母)の様子を聞いて、嬉し涙をながす。その姿にも私は、昔日の日本の街のたたずまいとその人たちが身に備えていたたおやかな情緒を感じて、こみ上げてくるものを感じた。
 
 つまり、「ふるさと」を感じる「アイデンティティ」というのは、根っこにおいては「情緒」そのものであり、それがまつわりついた「ことば/ロゴス」や「振る舞い」でなければ、「ふるさと」を心裡に醸し出すことができないのではないか。
 
 なぜそんなことを考えるのか。先月大連と瀋陽を訪れ、そこに感じた大きな違和感のことをすでに記した。もちろん、満州と台湾という違いはあろう。また台湾は、日本統治時代に比べて蒋介石の親友によってまことに過酷な中華民国時代を経過したことが、〈昔はよかった〉という感懐を残したという要素もあったに違いない。だが、なによりも満州に対する侵略と傀儡支配という日本の冒した力技による介入が、私の内部で収まりがつかないままに、熾火(おきび)のようにまだ燃えているからだったのではないか。とするとこれは、私の「情緒」的には決して消すことのできない「違和感」として胸中に抱き続けるしかないのかもしれない。
 
 ひとつの映画が、また私の心裡の深みを探し当てたように思った。
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