もうすぐ季節は冬。
暖かい食べ物が喜ばれる季節。
暖かい食べ物と言えば、鍋料理もさることながら、私はやっぱり、カレーライスとかシチューを思い浮かべてしまう。
そんなカレーやシチューに欠かせない具材と言えば、肉、ニンジンと、それから・・・、そう、ジャガイモ。
というわけで、少々(かなり?)回りくどかったけど、今日は、そんなジャガイモに関するスポットをご紹介。
函館の隣、七飯町の国道5号沿いに、こんな碑が建てられています。
「男爵薯発祥の地 記念碑」。
場所は、現在の七飯町鳴川1丁目という所。
土佐藩士の子息であり、男爵の称号を持つ川田龍吉という人物は、イギリスで造船技術を学んだ後に帰国し、明治39年(1906年)に、函館ドック(函館どっく株式会社)の専務取締役となり、道南地方ゆかりの人物となった。
函館に居住することになった川田は、隣接する七飯町に九町歩(約9ha)の農地を購入して「清香園」という自家農園を開き、海外から十一種のジャガイモを購入して試験栽培した。その中の一品種である「アイリッシュ・コブラー」は、味もさることながら、病気に強いことが強みとなって近隣農家にも広がっていった。
やがて七飯の農業会が、このジャガイモを共同で出荷することになったが、品種名が不明であったことから、川田男爵が育てた品種ということで「男爵薯」と命名し、全国に広まったという経緯があります。
そう、普段何気なく使われている「男爵薯」という品種名には、このような由来があったのです。
スーパーや八百屋さんでジャガイモをお求めの際は、ぜひともご参考に。
この記念碑が建っているのは、函館と札幌を結ぶ国道5号。
この辺りは、約1,400本もの赤松が植樹されていることから、「赤松街道」と呼ばれ、「日本の道百選」にも指定されています。
(一応こちらもご覧ください)
実はもう一つ、男爵薯に関する碑がありまして、こちらの碑は、函館の五稜郭公園の一角に建っています。
こちらは、大正期以降、凶作や不況、戦争などによる食糧難で苦しむ人々を救ってきた男爵薯と、川田男爵に対する人々の限りない敬意の念を込めて、昭和22年(1947年)に建てられました。(公園の中で一度移設されています)
五稜郭公園の裏門近くという、公園内でも観光客の目に止まりにくい場所にありますが、公園散策に来られた際には、ぜひ探してみて下さい。
暖かい食べ物が喜ばれる季節。
暖かい食べ物と言えば、鍋料理もさることながら、私はやっぱり、カレーライスとかシチューを思い浮かべてしまう。
そんなカレーやシチューに欠かせない具材と言えば、肉、ニンジンと、それから・・・、そう、ジャガイモ。
というわけで、少々(かなり?)回りくどかったけど、今日は、そんなジャガイモに関するスポットをご紹介。
函館の隣、七飯町の国道5号沿いに、こんな碑が建てられています。
「男爵薯発祥の地 記念碑」。
場所は、現在の七飯町鳴川1丁目という所。
土佐藩士の子息であり、男爵の称号を持つ川田龍吉という人物は、イギリスで造船技術を学んだ後に帰国し、明治39年(1906年)に、函館ドック(函館どっく株式会社)の専務取締役となり、道南地方ゆかりの人物となった。
函館に居住することになった川田は、隣接する七飯町に九町歩(約9ha)の農地を購入して「清香園」という自家農園を開き、海外から十一種のジャガイモを購入して試験栽培した。その中の一品種である「アイリッシュ・コブラー」は、味もさることながら、病気に強いことが強みとなって近隣農家にも広がっていった。
やがて七飯の農業会が、このジャガイモを共同で出荷することになったが、品種名が不明であったことから、川田男爵が育てた品種ということで「男爵薯」と命名し、全国に広まったという経緯があります。
そう、普段何気なく使われている「男爵薯」という品種名には、このような由来があったのです。
スーパーや八百屋さんでジャガイモをお求めの際は、ぜひともご参考に。
この記念碑が建っているのは、函館と札幌を結ぶ国道5号。
この辺りは、約1,400本もの赤松が植樹されていることから、「赤松街道」と呼ばれ、「日本の道百選」にも指定されています。
(一応こちらもご覧ください)
実はもう一つ、男爵薯に関する碑がありまして、こちらの碑は、函館の五稜郭公園の一角に建っています。
こちらは、大正期以降、凶作や不況、戦争などによる食糧難で苦しむ人々を救ってきた男爵薯と、川田男爵に対する人々の限りない敬意の念を込めて、昭和22年(1947年)に建てられました。(公園の中で一度移設されています)
五稜郭公園の裏門近くという、公園内でも観光客の目に止まりにくい場所にありますが、公園散策に来られた際には、ぜひ探してみて下さい。