五色の風

北国に生きるオーバーフォーティーの気まぐれ日記 
(C)ナナマガラー All Rights Reserved.

北のウォール街

2017-05-14 14:41:20 | その他北海道



現在のJR小樽駅周辺に、かつて「北のウォール街」と呼ばれた一大金融街がありました。
写真は、かつて日本銀行小樽支店として使用されていた建物で、現在は、「金融資料館」として観光客に人気のスポットとなっています。

この建物は、東京駅の設計者としても知られる辰野金吾が中心となって設計を担当し、1912年に竣工したもので、2002年9月に、札幌支店との統合により営業が終了した後、翌2003年5月に、現在の施設としての活用が始まりました。
館内の様子はリンクした公式サイトを観ていただければと思いますが、特に注目度の高い場所を一つご紹介します。





この奥にそれがあります。





これは、一万円札を束ねて一億円相当にした物で、これを持ち上げて、一億円という金額がどれほどのものなのかを体験できるという趣向になっています。
私もやって見ましたが、持ち上げられるけれど、結構ズシリと来る重さでした。


明治後半、海運業で隆盛を極めていた小樽には全国から商人が集まり、1907年には人口が90,000人を超え、いつしか日本を代表する経済都市へと発展していきました。
最盛期には、日本銀行をはじめ、市内には25もの銀行が集まり、それゆえ、「北のウォール街」とも呼ばれるようになりました。
その銀行も、一つまた一つと閉店し、現在、市内に残る銀行は3つのみとなっていますが、かつて銀行として利用されていた建物が、解体等されることなく現存し、様々な目的で活用されているということも、小樽観光の大きな特色となっています。





「金融資料館」の側にある、「旧第一銀行小樽支店」。
1924年竣工の鉄筋コンクリート造りで、現在は、紳士服の縫製加工場として利用されています。





残念ながら工事中だったのですが、こちらは、1923年に竣工した「旧北海道拓殖銀行小樽支店」で、「ブラタモリ」でも、タモリさん一行が、中に入って、小樽が経済都市として発展した経緯についての説明を受けていました。
昭和末期に生まれた桑子アナは知らなかったようですが、「北海道拓殖銀行」とは、「たくぎん」の愛称で道民に親しまれた一大都市銀行で、都市銀行としては全国一小規模ながらも、1997年に経営が破綻するまで、北海道の金融界をリードする存在でした。
経営破綻後は、主に北洋銀行に経営を譲渡し、現在に至っています。





こちらは、1922年に竣工した、「旧三菱銀行小樽支店」。
現在は、「小樽運河ターミナル」という名称で、館内には、物産店や洋菓子店が入り、多くの観光客で賑わっています。





そしてこちらが、1927年に竣工した、「旧三井銀行小樽支店」。
「ブラタモリ」では、普段非公開である館内において、この銀行が、「三井銀行」→「帝國銀行」→「太陽神戸三井銀行」→「さくら銀行」へと変遷を辿って行ったことが説明されていました。
2002年に銀行が閉店された後、現在のこの建物は、北海道にある大手家具メーカーである「ニトリ」の所有で、近隣にある「ニトリ小樽芸術村」を構成する一施設として活用する予定であることが発表され、「日本近代絵画美術館」として、近々開業を目指しているとのことです。
(先程の「旧北海道拓殖銀行小樽支店」も、同社の美術館として、同時開業の予定だそうです)

「北のウォール街」と呼ばれただけあって、他にもかつての銀行がそのまま活用されている建物はあるのですが、今回は、あくまでも「ブラタモリ」の行程に忠実ということなので、他の施設はまた別な機会に行ってみようと思います。

このように小樽は、かつて隆盛を極めていた頃の姿を示す建物が多数残されていて、これだけを見ると、「さすが全国的な観光地。歴史ある建物をそのまま保存させているんですね」と思うかもしれませんが、実はこれらの建物は、積極的な意味合いで保存されたということではないようなのです。
その辺の経緯は、また次のレポで。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 誰だ、誰だ、誰だ~? | トップ | 来週から »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む