乃木坂の国立新美術館で「セザンヌ-パリとプロヴァンス」という美術展が始まっています。
生涯にわたって生まれ故郷のプロヴァンス(エクス=アン=プロヴァンス)とパリを行き来していたセザンヌの画業を辿る展示です。珍しい初期の作品から晩年に至るまで、その画風の変遷がとてもよく分かる構成になっています。
しかも、世界各国から集まったその作品の数々は、よくもまぁこれだけ集まったなぁと思うほど。これまで画集でしか見たことがなかった、例えばこの作品。
(セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」1886-87年、フィリップス・コレクション蔵)
展示は初期の写実的な作品から始まるのですが、こうして時系列に観ていくと、描く対象を面と面との組み合わせで捉えていくようになる過程がとてもよく分かります。
(セザンヌ「5人の水浴の男たち」1900-04年、オルセー美術館蔵)
(セザンヌ「開いた引出しのある静物」1877-79年、オルセー美術館蔵)
これは全くの個人的な感想であって、学術的に正しいかどうかは(元より知識もありませんし)分からないのですが、この日閉館間際まで会場を行ったり来たりした後で、私はこんな風に感じました。
例えば机の上にあるリンゴは丸いけれど、それを平たいカンヴァスの上に置くためには、そしてそれを観ている人の視点が(同じ位置から観ているので)変わらない以上、その平たいカンヴァスの上に描くリンゴを丸く見せるためには、描く側の視点をズラすしかない。そうすることでしか観る人の目はごまかせない。そんな風に考えたのではないか、と。
最後に、今回最も印象的だった作品。
(セザンヌ「首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ」1873年、オルセー美術館蔵)
写真では随分平板な感じがしますが、実物は、両側から切っ立った、そして重層的な構図によってもたらされる、この絵独特の奥行き感を持っています。これも実物を観るのは初めてでしたが、何だかその前を離れたくなくなるような、いつまでもずっと観ていられる感じの絵でした。
会期はまだ始まったばかり。終盤近くなって混まないうちに、間違いなくもう1回は行くと思います。
セザンヌ-パリとプロヴァンス
国立新美術館
2012年3月28日~6月11日
大事なのは、その絵の前に立つと、鑑賞者自身が絵画空間の一部として感じられるような描き方なんでしょうね。構図だけに還元出来ない何かがあると思いますが、そこは素人の悲しさ、相応しい言葉を持っておりません。
以前、印象派の展覧会が国美で開催された時にスーラの絵についてそんな印象を受けたので、最後の文章に共感を持って拝読させていただきました。
それを体感するのが美術館に足を運ぶ醍醐味だと思うのです。
この首吊りの家は本当に不思議な絵で、ずっと見ていると、
本当にこの家の前の道に立っているような、そんな気がしてきます。
まだ会期初めだったこともあり、金曜日の夜でも比較的空いていました。
混まないうちにもう一度行きたいと思っています。
蛇足
コメントは通勤途中のスマフォから書いていただいたのでしょうか?ちなみに朝のカフェでIphoneからコメントを読ませていただきました。
今はちょうど夜の7時で、一日のミーティングが終わって
一旦ホテルに戻り、これからメシに出るところです。
会社のメールも随時チェックしていますので、
ブログにコメント入れるくらい何とも・・・(以下略)
メキシコですか。
とにかく風邪をひかないように
在所は今、春爛漫
桜あり、菜の花あり、更に檜の花粉も
ありの状況です。
箱根を越えないと、現物に会えないとは
関西で何回か見たことがある。
てな、負け惜しみを込めつつも、
イイナー
文泉
メキシコは花粉はないと思っていたのですが、
何だかずっと鼻の調子が悪いです。
気温も高めですが、湿気がないので、比較的
過ごしやすいです。
まだまだ箱根を越える理由がまだ十分ではないようですが、
せっせとこちらの美術展をご紹介する他ありませんね。