「働いた賃金より生活保護費の方が高いのはおかしい」じゃなく「賃金が生活保護費より低いのがおかしい」。
「不公平だから保護費を下げろ」って言ったら国は嬉々として「了解、下げます。だから賃金も年金も低いままでいいね」となる。「賃金、年金を生活保護基準まで上げろ!」が正しい声の上げ方。
「明日、ママがいない」問題は、なぜ大きくなったのか:野島伸司作品と現代の私達:子どもたちを守るために(碓井真史) - Yahoo!ニュース bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/201…
子どもを傷つけてはいけない。でも過剰な自主規制は子どもから自由な社会を奪う。
え?ジャーナリスト? RT @motoken_tw: 告訴されることは他人事ではないが、その後の対応は他人事と考えていいと思う。真似しちゃダメ。RT @georg_trakl: ジャーナリストの竹野内真理氏を…
【北海道公式ウェブサイト】気温上昇に伴う屋根からの落雪などに注意しましょう 【総務部 危機対策課】 pref.hokkaido.lg.jp/sm/ktk/bsb/ind…
次RTしてきたらリムるぞとかね RT @sora_papa 「こいつはフォローするな」「こいつのツイートはRTするな」「こいつの発言をみんなでさらしあげろ」そういう理不尽な命令を出すことでフォロアーの忠誠心を試すツイッター猿山のボスもいるぬ。(´・ω・`)
ぼくは「家族の絆」が尊いということは否定しない。しかし、個人がどこまでを家族と考えるかは人それぞれだし、血縁の家族がいない人もいる。機能不全家族もある。個人の人格を家族の中に溶かし込んだり、個人の抱える困難を家族の中に閉じ込めたりするのを「絆」などと呼ばうのは、やめた方がいい。
「家族の絆」が大切なのは、生活保護費をケチるためでもなければ、貧困問題を可視化させないためでもない。家族の中に生きる人たちが幸福であるためにこそ、家族の絆が大切なのだ。しかし、生活保護の扶養義務強化では、個人ではなく国家が、都合良く「家族の絆」に依存するという話になっている。
算数の「ルート」っていう概念が理解できず、算数嫌いになる子だっていっぱいいる。ところが、社会にでると「それ、何につかうの?」って感じの人が7割なんじゃないでしょうか。なんでわざわざ、そんなことで子供を落ち込ませる必要がある?
どうしても分からないことがあって落ち込んだときのトレーニングを、安全な環境で受けられるいいチャンスじゃないか。小中高12年間、大学入れれば16年間、与えられた課題は全て満点に近い形でクリアできるって体験だけを積んできたやつが、いきなり実社会で課題に直面するほうがやばい
いやーマジで「俺より生活保護貰ってる連中の方が金貰ってる!」って憤ってる人達の姿を映したメディアが「生活保護より月収が少ない場合は差額請求可能」って事実を補足しないって最低の屑だと思う。滅びろ。