非常に小さな墓で、痛みが激しく割れが目立ちます
撮影日;2008.6.13
徳川5代将軍綱吉の護持僧として権力を振るった人の分骨墓です
悪法として世人の不満を買った『生類憐みの令』は彼の発案だとされます
綱吉の死後は、かって再興に尽力した通法寺の住職に左遷されました
隆光は奈良・超昇寺で亡くなった折
当地の人々がお世話になったことから、分骨墓として建立したと伝わります
★所在地;羽曳野市通法寺
★交通;近鉄上ノ太子駅より 徒歩25分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;072-958-1111(羽曳野市教育委員会)
隆光大僧正は慶安2年(1649)現在の奈良市二条町の生まれ
長谷寺等で学んだ後、江戸で関東新義真言宗本山の「護持院」を創設しました
元禄年間、通法寺再興の時、多田義直の上表の際に柳沢吉保と共に尽力
桂昌院の援助で大和の社寺修復に尽くし、永禄10年(1567)松永久秀が焼き、142年間雨ざらしの大仏殿再建に尽力しました
源頼信の墓の傍に通法寺歴代の僧の墓が並んでいます
本墓はこちら⇒隆光大僧正墓
撮影日;2008.6.13
徳川5代将軍綱吉の護持僧として権力を振るった人の分骨墓です
悪法として世人の不満を買った『生類憐みの令』は彼の発案だとされます
綱吉の死後は、かって再興に尽力した通法寺の住職に左遷されました
隆光は奈良・超昇寺で亡くなった折
当地の人々がお世話になったことから、分骨墓として建立したと伝わります
★所在地;羽曳野市通法寺
★交通;近鉄上ノ太子駅より 徒歩25分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;072-958-1111(羽曳野市教育委員会)
隆光大僧正は慶安2年(1649)現在の奈良市二条町の生まれ
長谷寺等で学んだ後、江戸で関東新義真言宗本山の「護持院」を創設しました
元禄年間、通法寺再興の時、多田義直の上表の際に柳沢吉保と共に尽力
桂昌院の援助で大和の社寺修復に尽くし、永禄10年(1567)松永久秀が焼き、142年間雨ざらしの大仏殿再建に尽力しました
源頼信の墓の傍に通法寺歴代の僧の墓が並んでいます
本墓はこちら⇒隆光大僧正墓