奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

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文彌麻呂の墓

2009年10月13日 | 史跡
 八滝の米山山中に史跡公園として整備されています 撮影日;2009.9.20 

 天保2年(1831)に銅製の墓誌を納めた銅箱金銅製の壺ガラス製の緑瑠璃壺が発見されました

 墓はその後埋め戻され、出土した品は地元の「龍泉寺」に保管されていました
 明治11年(1878)に帝室博物館(現在の東京国立博物館)に移され、昭和27年(1952)に国宝に指定されました

 銅製の墓誌板には
 『壬申年将軍左衛士府督正四位上文禰麻呂忌寸慶雲四年歳次丁未九月廿一日卒』
 と刻まれていました

 この墓誌から、ここが慶雲4年(707)9月21日に亡くなった左衛士府の長官で正四位上の文禰麻呂(ふみのねまろ)の墓であることがわかりました

 文禰麻呂は大海皇子(天武天皇)に仕え、壬申の乱(672)で功績を残した将軍です
 「日本書紀」「続日本書紀」には書首根麻呂と記されています

 昭和57年(1982)に再調査され、一辺が約2.5mの穴とこれを埋めた粘土などが見つかっています

 この墓は奈良時代の上級官人の埋葬方法が明らかになった数少ない例であり
 昭和59年(1984)4月に貴重な遺跡として国の史跡に指摘されました


 文禰麻呂の墓の前面に、次の万葉歌を刻んだ碑があります
≪さを鹿の 来立ち鳴く野の 秋(あき)萩(はぎ)は 露霜負(お)ひて 散りにしものを≫巻8-1580

 作者は文禰麻呂の子の馬養(うまかい)です
 主税頭や筑後守を経て天平宝字元年(757)には鋳銭長官をつとめた人物です
 
 この歌は橘諸兄の邸宅で催された宴の席で馬養が詠んだ2首のうちの一つとされています

★所在地;宇陀市榛原区八滝
★交通;近鉄榛原駅より 神末・上内牧行きバスで八滝下車 徒歩30分
★駐車場;有ります(トイレも完備)
★入場料;タダです
★問合せ;0745-82-2457(宇陀市観光協会)


 参考;Don Panchoさんのページ
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