ビーンの不定期日記

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 「思いつき
   いかげん日記」

戦後が遠くなっていく

2017-08-15 20:55:35 | 日記
今日、8/15は終戦記念日です。

TV、ラジオでも多くの特集番組が組まれています。

私は、たまたまですがNHK「戦慄の作戦、インパール」を観ました。
当時の証言をする人は、皆さん80、90歳を過ぎる人達でした。
あと10年、20年経ったら戦争体験者の多くの方々がいなくなってしまいます。 
肉声を聞くことができなくなります。
 
そうでなくても、
今でも戦中の辛い思いを引き摺って「思い出したくない、話したくない」と心の傷を癒せない方々がたくさんいることに悲しみを感じぜざるを得ません。

もう間もなく、日本から戦争の体験者がいなくなろうとしています。

自民党の長老が
「自民党に戦争体験者がいなくなることに危機感を持っている」
という記事を目にしました。

戦争体験者だからこそ、心底から、
「戦争はしてはいけない」
と言えるのだと思います。

では
私達はこれから、日本が戦争を体験したことがない日本人ばかりになったときに、私達は祖父や父や戦争時代を生きた人達と同じ気持ちで「戦争はいけない」と思い続けられるのでしょうか?

仮に、仮にですよ、もし日本が戦争に勝たとしたら、多くの犠牲が出たとしも、勝たとしたら、果たして日本は反戦、戦争放棄主義になったでしょうか?
否、私はそのまま軍国主義が進んだと思います。

日本は戦争に敗けて初めて“戦争はしてはいけない”と“気づいた”のです、悟ったのです。

「戦争はしない」
と日本が決心するには、広島、長崎の原爆の多くの犠牲者や東京大空襲はじめ本土の絨毯爆撃による犠牲者、沖縄住民の犠牲者、そして軍部による玉砕命令に依って亡くなった多数の将兵の命・・

犠牲になった人達は、
みな、戦争を憎んで又は戦争はしてはいけない、と思って亡くなっていったように思うのです。
「お国の為、天皇陛下の為に死ねて良かった!」と思った人はとても僅かだったのではないかと思います。


「してもいい戦争」は、ないはずです。

では、 
「しなければならない戦争」はあるのでしょうか?

「正義のための戦争」なるものはあるのでしょうか?

「戦争」に理由付けするのはただの言い訳だと思います。

しなければならない戦争でも、正義の戦争でも、することは同じです。

人をたくさん殺し、相手国を破滅に追込むまで破壊し続ける・・・  

ことろが人間、人類はずっとそれを繰り返してきています。
多くの人々の犠牲が祓われているのにも拘わらず、祖先で味わった痛みは子孫には中々伝わらないものなのでしょうか? 

悪い歴史は繰り返して欲しくないです。
繰り返してはいけません。








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