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H29年度2回目ハイキング

2017年05月17日 | Other activities

初瀬街道を歩く

 一見、何の変哲もない道が、なんとまあ、豊かな歴史に彩られていたことか、また、あふれるばかりの話題に満ちていたことか。そんな初瀬街道を、5月14日、FFハイキングした。参加者14人、前日の雨模様がウソのような天気の中、歩き始めてすぐ、大正のころまで、大きな魚市場があった跡に出た。桜井は江戸時代、サバが名物だったという。紀の川、吉野川を経て桜井に荷揚げされ、各地に売りさばかれたとか。そのすぐ先、ちっぽけな川にかかる橋を「跡見橋」という。その昔、神武天皇が大和征服戦の折、敵の追撃を受け、跡を振り返ったところだという。この辺りは、「外山」と書いて「トビ山」と呼ぶそうな。「日本書紀」によると、神武天皇大和征服戦の決戦時、金色の鵄(とび)が同天皇の弓の先に止まり、敵の目をくらませて勝利をものにしたと伝える。同じ地域に桜井茶臼山古墳という、日本でも有数の前方後円墳がある。古代史学者の中には、被葬者はこの大和征服戦のキーマンと見る人もいる。

古代史に酔っていると、いきなり、文芸評論家であり、思想家でもある保田与重郎の生家が現れた。いまも保守政治家の思想的バックボーンとしても知られる。桜井市の依頼で、文学者たちに万葉集の句を碑に揮ごうしてもらい、市内数十カ所に碑を建て、同市が万葉集に彩られた町であることを世にしらしめた。万葉集の巻頭の句を詠んだのは雄略天皇。同天皇が造営したと伝える泊瀬朝倉(はせあさくら)宮跡との伝承地も、街道脇に数カ所ある。

当麻蹴速と天覧相撲を取った野見宿祢は街道沿いの「出雲」の人と、地元は言う。土師(はぜ)氏だった宿祢の言い伝えがからむ土人形づくりが最近復活したという。その名も「出雲人形」。その作者の1人に会い、説明を聞いた。

初瀬街道の終点長谷寺では、散りそびれたボタンと十一面観音に迎えられ、私たちと同じ街道で長谷寺詣でをしたと伝わる清少納言や紫式部に思いを馳せた。(吉川利文)

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