試験・身分制度の根深い害

~現代の教育について分析しています~

大学教育は企業や社会が求める教育機能を失った

2017年07月22日 | 日記
国際情勢の分析と予測/首都圏の大学文系学部と不動産という二つのバブルの終わりリンク から引用

【要点】
・大学教育は不要なものになりつつあり、採用に当たって企業は大学での学業をあまり評価していないのが現状である。
・今高等教育に必要なのは、情報を集めて分析し仮説を立て検証し結論を出す能力と、それを他の人に訴えて説得する能力である。
・第二次大戦後の日本では米国の命令で多くの専門学校が強制的に大学に改組された。しかしながら、高度な研究の場であるべき大学は本来ごく少数の高い基礎学力や研究能力を持つ人間だけを対象にするべきである。
・全国の大学の1学年は約100万人だが、その1/30~1/20の3~5万人もいれば十分で、大部分は理系学部に当てるべきであり、文系学部の定員はその1割の3-5千人で十分。
・多くの職業人にとって必要なのは職業専門学校であり、そこの教員に必要なのは研究能力ではなく教育能力である。

(以下、本文)
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

(前略)

【私のコメント】
国公私立大のAO入試や推薦入試について、文部科学省は、2020年度から学力を問う試験を義務付ける方針を固めたとの報道が5月10日にあった。これらの制度は大学入学者の学力崩壊の原因として悪評が高い。しかしながら、少なくともAO入試は実は米国(在日米国商工会議所)の命令で実行されている様である。それだけではない。在日米国商工会議所は国公立大学の学力を重視した入試制度を中止せよとか、文科省の手続きを英語でできる様にせよとか、日本でカジノを推進し日本人から入場料を取らないようにせよ(これはギャンブル中毒者を大量に作り出せと言うこと)とか、日本を破壊し弱体化し完全な属国にすることを目的に目茶苦茶な要求を日本に突きつけてきている。私は犯罪国家米帝に対する激しい怒りを抑えることができない。5月10日の文科省の発表は、日本が漸く米帝の命令を拒否できる様になったことを示しているのだと思われる。今後我々虐げられたアジア人は、米国人にやられてきたことをそのままやり返して行くべきだろう。

1983年以前の日本では高校生の95%が物理学を履修していたという。これがカリキュラム改訂の度にどんどん低下し今では基礎的な物理1ですら25%に過ぎない。この不可思議なカリキュラム改訂も恐らく日本の知的水準を低下させるための米国からの命令だったのだと想像する。

インターネットに代表される情報技術の発達で、単なる暗記は無意味となった。外国語学習も近い未来に人工知能による翻訳でかなりの部分代用可能となるだろう。今高等教育に必要なのは、情報を集めて分析し仮説を立て検証し結論を出す能力と、それを他の人に訴えて説得する能力である。私が趣味として行っている本ブログはまさにそれを実行している。分析し考えるには論理的思考力が必要であり、それは数学や物理学の学力で評価することができる。化学や生物、社会科、外国語の単語の丸暗記はもはや高等教育のための基礎学力として不必要であり、基本的な事項のみで十分であろう。高等教育でその分野の専門家を目指す者だけがそれを熟知していれば良いのだ。

現在の日本は殆どの大企業の本社機能や中央官庁が東京都心三区に集中し、そこに通うために高額で狭隘な住居に暮らさねばならなくなっている。また、東京の高給与の雇用の多くが東京の有名私立大学文系学部によって独占されており、高額な授業料(地方出身者の場合は住居費も追加される)を払えない人は殆ど門前払いされている。しかしながら多くの企業は大学3年生の時点で採用内定を出しており、内定者は高校の延長の様な無意味な教養課程は終了しているが、学部3-4年の専門課程での学業は始まったばかりである。採用に当たって企業は大学での学業をあまり評価していないのが現状である。このような日本の国益に反した政策が実行されているのは、恐らく日本を属国化し弱体化させる為の米国の対日命令と想像する。堺屋太一の言う「1940年以降の官僚主導体制による東京一極集中」というのは、1945年以降米国が日本を統治するために強制的に東京に全ての中枢機能を集めていることをわかる人だけに密かに伝えたものであろう。米国を通じた国際金融資本の日本支配がこれから崩れれば、一挙に東京一極集中と、それに伴う東京の異常に高価な不動産価格や教育費も崩れていくことだろう。恐らく関西地区の乱開発を避ける為に急激に人口が増加した濃尾平野と関東平野は人口に見合わない少数の医大しか設置していないことからわかる様に今後人口が激減し、国土交通省の立地適正化計画によって多くの住宅街が農地や山林に戻されていくことになるだろう。

授業料無料化の対象となる大学の数が増えると国費負担も増大するので、国民の血税を投入するに相応しい教員・研究者と学生が揃っているかどうかが今後日本の大学に厳しく問われることになるだろう。大学入学希望者学力評価テストで数学と物理を必須科目とし地方旧帝大理系学部ないし東工大程度の合格最低点基準を設ければこの定員削減は容易に実現可能だろう。

多くの職業人にとって必要なのは職業専門学校であり、そこの教員に必要なのは研究能力ではなく教育能力である。そして、職業専門学校卒業者の中で研究能力の高い者は大学に編入させれば良いのだ。戦前の日本の学制はこのような理想をある程度実現していた。文科省が6月に発表する新テストは恐らくこのような方向に向かうだろう。英語の試験を民間に移行させるのは、今後は英語に代わって中国語とロシア語とドイツ語が第一外国語となり、英語試験問題を作成するスタッフが不要になるからだろう。

(後略)




高嶋靖男
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中国伝統の官僚制度の現代への影響

2017年07月20日 | 日記
(リンク)より引用します。

少しでも中国で事業に携わった方なら、中国の役人とくに認可や検査をする機関へ賄賂を渡したり接待を行ったりした経験のある方もいらっしゃるでしょう。現在の官僚に賄賂などの腐敗が蔓延しているのも、歴代王朝の官僚制度の伝統の影響だと理解できます。
中国が「法治国家」ではなく「人治国家」であることがわかりますが、彼ら官僚にとって立場(権力)を利用して金銭を得るというのは、中国の伝統から言えば全く正当な権利だと言えるわけです。

そもそも中国の官僚というのは、公式な給料というのはとても安いです。経済発展著しい中、賄賂も取らずに生活をしようにも、裕福な生活できません。また、そうして庶民から得た財をまた上司に渡してその後の出世にも活かしていくわけです。(中国の人事は賄賂次第です。)

中国の街を歩いていると見かけるのが「お酒買い取ります。」という看板です。これは、高価なお酒(何万円)を送られた官僚などが換金をする需要から生まれた商売です。
結構街の至る所で見かけて、その広がりにびっくりします。こうした「悪習」であっても「伝統」として残ってしまうのには大きな理由があります。それは皇帝が支配していた頃の王朝を「総括していない」からです。

中国の歴史教育は中国の長い歴史を礼賛(らいさん)し、中国の文化が伝統し続いている(と思いこんでいる)ことを誇るばかりで、反省は一切ありません。ですからどんなに「腐敗」「汚職」と言ってみたところで、根本的に何がダメなのか、中国人自身は全く理解していません。ですから外国へ行っても何でも金で解決してしまおうとするわけです。



柏木悠斗
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「学歴と仕事は関係ない」を言い切る多数の意見

2017年07月13日 | 日記
大きな社会変化・意識潮流の変化の中で、求められる能力も大きく変化する。かつての「学歴はもはや必要ない」。多くの社会人が、仕事を通して実感しているところであり、その生の意見を紹介したい。

※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

「男性が「学歴は関係ない」と感じた瞬間」(リンク)

高学歴と聞くと、頭がよくて仕事ができそうなイメージを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。とはいえ、一緒に仕事をしてみると、あまり学歴は役立たないと感じることも。今回は、社会人男性が感じた、学歴は関係ないと思った瞬間についてまとめてみました。

■営業の仕事内容
・「営業成績は、学歴と比例しない。折衝のポイントをわきまえている人が勝つ」(27歳/金融・証券/営業職)
・「営業などのトークはセンスなので関係ない」(36歳/情報・IT/営業職)
入社や待遇には学歴は大きな影響がありますが、実際に営業職をする際には、あまり学歴は関係なさそうです。会話術がいかに優れているかという点が重要になるのではないでしょうか。

■仕事ができない
・「いい大学を出ていても自分よりも仕事ができない」(39歳/情報・IT/技術職)
・「学歴が高い人でも仕事がほとんどできない」(35歳/団体・公益法人・官公庁/その他)
学歴がいくらよくても、それで仕事ができるわけではないですよね。学業と仕事では、その内容もまったく異なるものではないでしょうか。

■コミュニケーションがとれない
・「学歴が高い人でも職場でコミュニケーション力がなくて仕事ができない人はいる」(31歳/情報・IT/技術職)
・「学歴はあるのにコミュニケーションがとれない」(29歳/電機/技術職)
職場では周囲との人間関係がかなり重要になってきますよね。学歴の高さで人間関係が築けるわけではないので、コミュニケーション能力が必要になってくるのではないでしょうか。

■常識がない
・「学校での勉強ができても、社会的常識がない」(34歳/学校・教育関連/事務系専門職)
・「京都大学を出てても常識がないので、うまくいかない」(28歳/電機/技術職)
学校の勉強と、社会での一般常識は別もの。社会に出ると、学校では教えてくれない知識やマナーが必要ですよね。

■人間性が大事
・「人間ができていないと、同僚は助けてくれない」(37歳/医療・福祉/専門職)
・「仕事の出来不出来はありますが、会社が望むスキルはもちろん、人受けがいい人だと思う」(34歳/医薬品・化粧品/技術職)
仕事はひとりでするものではないですよね。いかに周囲の人たちを味方につけるかというのも仕事をする上での能力と言えそうです。

■まとめ
いかがでしたか? 仕事をする上では、あまり学歴は関係ないのかもしれません。知識も大事ですが、仕事では経験のほうが重要視される部分も多いですよね。ただ、学歴があれば、入社のときなどは有利になるかもしれません。ですが、その後は本人のがんばりや人間性次第ということになりそうですね。
(ファナティック)

※マイナビウーマン調べ
調査日時:2016年12月22日~2016年12月26日
調査人数:283人(22~39歳の男性)



白海豚
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日本の教育制度と官僚組織の腐敗

2017年07月10日 | 日記
「学歴信仰」と「官僚腐敗」の源が同じ!

しかし、恐るるに足らず!!  「教育改革」が進めば、共に崩壊するのだから!!!


リンク より(抜粋)

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●「日本の官僚制度は中国の"科挙"がモデル」
日本の官僚制度は明治初頭に、中国の「科挙」をモデルとして作られた。

「科挙の制度」とは、高級官僚をペーパーテストで募集する仕組み。奈良時代に一度導入を試みたが、日本には合わなかったらしく、平安時代に廃止された。

しかし明治時代になって突如として復活。導入の目的は、廃藩置県によって失業した大勢の武士を、教育によって「官僚」という名の特権階級に仕立て変えるということだった。

しかし明治の終わりから大正の初めのころにはもう、いわゆる「受験」を巡る弊害が、大問題として扱われるようになってしまっていた。

何が大問題だったのか?
それは「受験」をパスして大学へと進学した者たちの中に、分数の計算や、簡単な世界地図も満足に描けないような生徒たちが続出するようになったから。

●「科挙の弊害」
中国の科挙は、西暦600年ころの隋代に生まれ、それから唐、五代を経て、宋の代960年ころに入って完成をみた。しかしその後、手の施しようもないまでに腐敗し、遂に廃止されたのが1905年。その間、実に1300年もかかった。
宋の太宗皇帝は、見事なまでに理想的な科挙の制度を作り上げたのだが、それが可能だったのは、科挙の制度に猛反発してきた唐の貴族たちが、五代の乱で死に絶えていてしまったからだった。

科挙の求めるところとは、身分に関係なく誰にでも「公平」に官僚への道が拓かれ、かつペーパーテストによって「公正」に評価・登用される社会の仕組みで、つまり「貴族制打破」のためのシステムでもあった。
そのため貴族制度と相容れないのは当然のことで、長い唐王朝時代を通じて、科挙と貴族制度は壮絶なる戦いを繰り広げることとなった。

だが、貴族が一掃されてしまった後の宋の時代に平民しかおらず、逆に、このときは科挙によってしか官僚の補充ができないという状況だった。宋の皇帝は科挙の目的を、丞相(総理大臣)に相応しい人物を募集し養成することと定めた。それゆえ、一度科挙に合格して役人となれば、家柄や出自にかかわらず、名誉も最高、収入も最高、権力も最高だった。

また、栄誉に浴するのは本人、家族だけではなく、一族をはじめ、地元にとっても大変な名誉であり、才能と志のある者は周囲からの応援や期待を背に、壮絶な受験地獄へと身を投じていった。

だが受験者数の増大が熾烈な受験競争を生むこととなり、受験のための勉強が、生まれたときから特権階級目指してまっしぐら、脇目も振らず磨きをかけ、競争を勝ち抜くことだけに長けた輩が高級官僚に就くようになってしまうのだった。中国における科挙の歴史は正に明治以降の日本の教育問題、官僚の歴史そのもの。

明治時代、ごき一部の高等教育機関のみにみられた「受験」競争は、今や小学校や幼稚園にまで浸透し、高度経済成長期を経て小金持ちが増え、受験勉強だけしてきた輩が官僚および特権サラリーマンになる時代になってしまった点も、科挙を巡る明代以降の中国の様相にピッタリだ。

日本の受験競争は、単なる学力競争ではない。僅か100年足らずで見事な「階級制度」を作り上げてしまった。

●「学歴による階級社会の誕生」
この「学歴による階級」。明治政府が華族制度を以ってしても形成し得なかった階級意識を、「科挙」を模した日本の教育制度は実にあっさりと日本人の意識に刻み込んだ。

現在日本は、かつて中国が刻んだ奈落への歴史を、猛スピードで追いかけている。かつて石原慎太郎氏は「日本の官僚は宦官のようになってしまった」と語ったが、それは間違いである。正しくは、宦官よりも遥かに劣る、というべきである。決められたレールの上だけを走るように飼い慣らされた人間は、現実適応力を失ってしまう。
危機に対処できない。そんな官僚が日本の舵取りをしているのだ。

・・・・・・・・・・・・

>それは「受験」をパスして大学へと進学した者たちの中に、分数の計算や、簡単な世界地図も満足に描けないような生徒たちが続出するようになったから。

このような事態に陥ったにも拘わらず何故、「受験」は継続されてしまったのか?

考えるに、当時の富国強兵政策→上官の命令に対して忠実に従う兵士の育成が絶対命題になっていたからか?





加藤俊治
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教育内容が狭い意味の学問に偏っている①

2017年07月10日 | 日記

         
        世の中の問題は教科に分かれていない

学校と実社会の共通点の1つに、問題を解くという行為がある。学校では、試験という形で問題を解く。実社会では、仕事や生活のいたるところに問題があり、生きていくためにそれらを解決しなければならない。言葉で表すと「問題を解く」で同じだが、学校と実社会とでの内容は正反対といえるほど異なる。
 
学校で出される問題の特徴の1つは、誰かから問題を明示的に与えられる点だ。試験問題であったり、使っている参考書に出ていたりする。ところが現実の社会では、問題を明示的に与えられることは少ない。職場や家庭の中で、突然と自分に降りかかることがよくある。もし与えられる場合でも、それが問題の一部しか示しておらず、そこから本当の問題を導き出すことが求められる。また、与えられた問題が間違っていたり、本質を突いていないこともある。さらには、何が問題なのかよく分からないケースもあり、問題自体を自分で見付けなければならない。
 
学校側の問題でのもう1つの特徴は、教科ごとに分かれている点だ。問題に含まれる内容は、教科の範囲内に限られる。また、量的に大部分を占める問題は、年度の途中で行われる試験で、教科の一部の範囲を対象としている。範囲が狭く明確なため、そこだけ学習して試験に臨める。ところが実社会の問題は、教科などに分かれていない。また、今まで習っていない内容でも問題に含まれるので、問題が分かってから勉強を始めることもある。問題自体が不明の場合には、問題を明らかにするために勉強をすることも多い。
 
学校と実社会での問題解決方法の違いは、他にもいくつかある。学校での試験では資料を見てはいけないが、実社会の問題解決では資料を見るのが当たり前だ。また、誰かに相談しても構わない。以上のように、学校で習う問題の解決方法は、現実の社会とはかけ離れた内容でといえる。


●実社会で役立つ問題解決能力のほうが重要
学校での問題解決方法との違いを明らかにするために、実社会で役立つ問題解決の技術をもう少し詳しく見てみよう。
 どんな問題でも、それを解決するためには幅広い技術が必要となる。たとえば、問題点を明確化する目的で何か調査するとしたら、きちんとした調査方法を知らなければならない。調査結果を誰かに見せたとき、信用してもらえるような方法で調査する必要があるからだ。また、調べた内容を整理してまとめたり、その内容を誰かに説明する技術も必要だ。どのような技術が役立つのか、ざっと洗い出すと以下のようになる。

実社会で役立つ代表的な能力 
・考察する、分析する、比較する、評価する
・調べる、確認する、記録する、整理する、検査する
・体系化する、まとめる、提案する
・意見を述べる、説明する、発表する、説得する
・協議する、意見を調整する、教える
・管理する、計画を立てる、実施する
・的確に質問する、回答する、話を聞く
・間違いを認める、訂正する、改善する
・公表する、配布する、連絡する、報告する 

これらの技術に関して、どのように行えばよいのかを習得すれば、問題解決の能力が向上できる。どれも、実社会では非常に重要なものばかりだ。ほとんどの仕事はもちろん、環境問題や市民運動などの活動や、一般の生活にも役立つ。たとえば、きちんと確認することを理解していれば、インチキ販売にだまされる可能性を減らせる。誰と話をするのでも、誤解されにくくなって、余分なトラブルや間違いが減少する。世の中への貢献度は、既存の教科よりも遥かに大きい。
                          ②へ続く・・・

リンクより



井垣義稀
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