BLOGとWIKIの違いを整理しているところだ。
*(除外) は検討の結果、あてはまらないように思えた項目
----
BLOGは敷居が低い <> WIKIは敷居が高い
BLOGは小学生でも簡単に使える <> プログラマはWIKIが好き
BLOGは見通しが良い <> WIKIは見通しが悪い
BLOGは自由度が低い <> WIKIは自由度が高い
(除外) BLOGはこまめなネタ出しに向いている <> WIKIでネタ出しは難しい
(除外) BLOGはクリッピングを載せやすい <> WIKIはクリッピングを載せるのには面倒
(除外) すでに情報の構造が見えている時はWIKIは良い。
(除外) 情報の構造が見えていない時にWIKIを使うとごちゃごちゃになる。
WIKIは誰でも編集できるという特徴があり、利点と欠点を持つ
WIKIとBLOGは技術的には極めて近い
WIKIでBLOGを実現することもできるし、BLOGにWIKIのような機能を実現することもできる
方向性(思想)の違いが、ユーザインタフェースの違いになっており、それが使い勝手の違いに結びついている
BLOG間連携は容易かつ強い <> Wiki間連携は多少面倒で、かつ弱い
WIKIを使いこなすスタイルは、使う人の数だけある。私も1月ほど使ってみて、徐々に自分の入力スタイルができてきた。そうすると、まるでEmacsを使っているように、自在にデータを入れる事ができるようになる。思いつくままに情報を入力し、調査結果を入力してゆくと、自然と整理されたデータ群ができてくる。
BLOGが楽なのは、ライターが入力しなければならない情報をぎりぎりまで削っているからだ。私はBLOGのことを知る前(数年前)に、同じように必要最小限の情報だけを入力すれば情報がアーカイブできるシステムを、ファイルメーカーを使って作ったが、結果、BLOGと同じものになっていた。その後BLOGを見て、あれま人間の考える事は同じなんだな、と思ったものだ。時系列に保存する、全文検索を使う、そして本文だけをただテキストで入力すれば良い、という仕組みだ。
miki*laboの「Wikiは何故広がらないか?」に、WikiにはWiki同士を密に連携させてゆく仕組みがないため、急速には広がらないのだ、と書かれている。たしかに、そういう面もあるだろうな。ただ私には、それがWikiが市民権を得にくい主要な理由とは思えない。やはり敷居の高さだろうと思う。しかしこのWiki間連携の話題は、後述するhash氏の意見にも通じるところがある。これはWikiが、強力なコミュニケーションツールになるには、という話になるだろう。
それを受けた別の意見として、ずいぶんたくさんの意見が紹介されているページがある。Wikiが流行らない理由
ここでの、あおしま氏による以下のコメントが私の認識に近い。
「何でも出来る自由度は、それ自身では何も出来ない事の裏返し」
同じサイトから「情報のレポジトリとして活用するのにスレッドだとか余計なものを追わなくよくて、関連情報とのリンクもばっちり」というhash氏のWiki感は、私が以前思っていたWiki感に近い。そして「InterWiki的な使い方をもっと加速して、巨大なWikiファームをうまく活用できるようにする」という対策案は、たしかにおもしろい。ただ自分でWikiを使って思うのは、自分にとって便利でわかりやすいデータ構造は、必ずしも他人にとってわかりやすくないだろう、という点だ。
Wikipediaのように、構造をあらかじめ規定していれば、万人に便利になるだろうが、自分だけが入力が楽で、かつ自分だけが便利なWikiを考えると、それはWikipediaのような四角四面な形にはならない。もっとラフで、自分にとって常識な所は、思いっきり端折って作る。
さらにしかし、そのようにして作ってしまったWiki構造は、1年後、2年後の自分にとってわかりやすいか、というと、そうでないかもしれない。ただ、データが残せる、という利点がまず優先されるべき、とも思う。どれほどわかりやすくても、残っていないデータは見る事ができない。
さて、もしWiki間連携が効果的に働くとすれば、その仕組みはWikiそのものの性質に合った形で、つまり地方ルール的に複数できあがって行くのではないか、と思う。連携したい者同士が、連携の仕方を試行錯誤しながら、徐々にそのグループでの良い形に落ち着いてゆくのではないかと。
InterWikiの定義リストを、簡単にコピーできるような仕組みとかが、それになるだろうか。もう少しスマートな方法がないか。
もちろん、この手の実験は、BLOGとWikiのあいの子のような「はてな」で日々なされている、とも言える。また、あのトライアンドエラーが「はてな」の強みだと思う。
----
さらに追記:
arclamp WikiとBlogに、「Blogは、コンテンツマネージメントという感じがするのに対して、Wikiは、ページマネージメントといったところだ」と書かれている。
ここでのコンテンツやページという言葉は、広い概念を表すので、ちとわかりにくい。ページというよりもサイトかとも思う。しかし、同じサイトの以下の言葉はわかる。
「コンテンツを記述するという概念で、より文章ということに集中するならBlogを。一方、HTMLのサイトが作りたいというのであればWikiということだろうか。」
そうだろうと思う。そしてWikiは「HTMLのサイトが作りたい」というのに向く、というよりは、より一般的にハイパーテキスト(懐かしい言葉)を容易に作るには、Wikiということだろう。バネバーブッシュの理想が具現化したソフト、MEMEXの正当な末裔がWikiだ。
----
さらにさらに追記:
TKM Journal googleとブログとWikiとさくら蕎麦に、
「Wikiは時間、構成人数の面で局所的に密度の濃いグループが発生し消え、発生しする、という形を容認できる集団でのナレッジマネジメントに向いている。いや、言い方が違うか。Wikiは「必要があったら使う」という環境に向いている。」と書かれていた。
いや、まさにそのとおり。普通に使うとそうなると思う。そして上述のWiki間連携の話は、この集団の離合集散に時間を越えた連続性を与えよう、ということだと思う。それができれば面白い。ところで、この話を、同僚と話した時に出たのはBLOGとWikiの棲み分けと連携、という案だった。すでに多くの人が実践しているようだ。
*(除外) は検討の結果、あてはまらないように思えた項目
----
BLOGは敷居が低い <> WIKIは敷居が高い
BLOGは小学生でも簡単に使える <> プログラマはWIKIが好き
BLOGは見通しが良い <> WIKIは見通しが悪い
BLOGは自由度が低い <> WIKIは自由度が高い
(除外) BLOGはこまめなネタ出しに向いている <> WIKIでネタ出しは難しい
(除外) BLOGはクリッピングを載せやすい <> WIKIはクリッピングを載せるのには面倒
(除外) すでに情報の構造が見えている時はWIKIは良い。
(除外) 情報の構造が見えていない時にWIKIを使うとごちゃごちゃになる。
WIKIは誰でも編集できるという特徴があり、利点と欠点を持つ
WIKIとBLOGは技術的には極めて近い
WIKIでBLOGを実現することもできるし、BLOGにWIKIのような機能を実現することもできる
方向性(思想)の違いが、ユーザインタフェースの違いになっており、それが使い勝手の違いに結びついている
BLOG間連携は容易かつ強い <> Wiki間連携は多少面倒で、かつ弱い
WIKIを使いこなすスタイルは、使う人の数だけある。私も1月ほど使ってみて、徐々に自分の入力スタイルができてきた。そうすると、まるでEmacsを使っているように、自在にデータを入れる事ができるようになる。思いつくままに情報を入力し、調査結果を入力してゆくと、自然と整理されたデータ群ができてくる。
BLOGが楽なのは、ライターが入力しなければならない情報をぎりぎりまで削っているからだ。私はBLOGのことを知る前(数年前)に、同じように必要最小限の情報だけを入力すれば情報がアーカイブできるシステムを、ファイルメーカーを使って作ったが、結果、BLOGと同じものになっていた。その後BLOGを見て、あれま人間の考える事は同じなんだな、と思ったものだ。時系列に保存する、全文検索を使う、そして本文だけをただテキストで入力すれば良い、という仕組みだ。
miki*laboの「Wikiは何故広がらないか?」に、WikiにはWiki同士を密に連携させてゆく仕組みがないため、急速には広がらないのだ、と書かれている。たしかに、そういう面もあるだろうな。ただ私には、それがWikiが市民権を得にくい主要な理由とは思えない。やはり敷居の高さだろうと思う。しかしこのWiki間連携の話題は、後述するhash氏の意見にも通じるところがある。これはWikiが、強力なコミュニケーションツールになるには、という話になるだろう。
それを受けた別の意見として、ずいぶんたくさんの意見が紹介されているページがある。Wikiが流行らない理由
ここでの、あおしま氏による以下のコメントが私の認識に近い。
「何でも出来る自由度は、それ自身では何も出来ない事の裏返し」
同じサイトから「情報のレポジトリとして活用するのにスレッドだとか余計なものを追わなくよくて、関連情報とのリンクもばっちり」というhash氏のWiki感は、私が以前思っていたWiki感に近い。そして「InterWiki的な使い方をもっと加速して、巨大なWikiファームをうまく活用できるようにする」という対策案は、たしかにおもしろい。ただ自分でWikiを使って思うのは、自分にとって便利でわかりやすいデータ構造は、必ずしも他人にとってわかりやすくないだろう、という点だ。
Wikipediaのように、構造をあらかじめ規定していれば、万人に便利になるだろうが、自分だけが入力が楽で、かつ自分だけが便利なWikiを考えると、それはWikipediaのような四角四面な形にはならない。もっとラフで、自分にとって常識な所は、思いっきり端折って作る。
さらにしかし、そのようにして作ってしまったWiki構造は、1年後、2年後の自分にとってわかりやすいか、というと、そうでないかもしれない。ただ、データが残せる、という利点がまず優先されるべき、とも思う。どれほどわかりやすくても、残っていないデータは見る事ができない。
さて、もしWiki間連携が効果的に働くとすれば、その仕組みはWikiそのものの性質に合った形で、つまり地方ルール的に複数できあがって行くのではないか、と思う。連携したい者同士が、連携の仕方を試行錯誤しながら、徐々にそのグループでの良い形に落ち着いてゆくのではないかと。
InterWikiの定義リストを、簡単にコピーできるような仕組みとかが、それになるだろうか。もう少しスマートな方法がないか。
もちろん、この手の実験は、BLOGとWikiのあいの子のような「はてな」で日々なされている、とも言える。また、あのトライアンドエラーが「はてな」の強みだと思う。
----
さらに追記:
arclamp WikiとBlogに、「Blogは、コンテンツマネージメントという感じがするのに対して、Wikiは、ページマネージメントといったところだ」と書かれている。
ここでのコンテンツやページという言葉は、広い概念を表すので、ちとわかりにくい。ページというよりもサイトかとも思う。しかし、同じサイトの以下の言葉はわかる。
「コンテンツを記述するという概念で、より文章ということに集中するならBlogを。一方、HTMLのサイトが作りたいというのであればWikiということだろうか。」
そうだろうと思う。そしてWikiは「HTMLのサイトが作りたい」というのに向く、というよりは、より一般的にハイパーテキスト(懐かしい言葉)を容易に作るには、Wikiということだろう。バネバーブッシュの理想が具現化したソフト、MEMEXの正当な末裔がWikiだ。
----
さらにさらに追記:
TKM Journal googleとブログとWikiとさくら蕎麦に、
「Wikiは時間、構成人数の面で局所的に密度の濃いグループが発生し消え、発生しする、という形を容認できる集団でのナレッジマネジメントに向いている。いや、言い方が違うか。Wikiは「必要があったら使う」という環境に向いている。」と書かれていた。
いや、まさにそのとおり。普通に使うとそうなると思う。そして上述のWiki間連携の話は、この集団の離合集散に時間を越えた連続性を与えよう、ということだと思う。それができれば面白い。ところで、この話を、同僚と話した時に出たのはBLOGとWikiの棲み分けと連携、という案だった。すでに多くの人が実践しているようだ。
blogは時系列に並んだ1個人のコンテンツを扱う。