四方山話

本、映画、音楽の感想を軸に、タイトル通り四方山話を載せています。

神業

2006年05月31日 | 音楽
今話題のYouTubeで、以前紹介したスーパー・ギター・トリオが演奏する動画を見つけた。
しかも曲は、『地中海の舞踏』である。

CDでは、パコ・デ・ルシアとアル・ディ・メオラの、共演と言うより競演と言った方が相応しいようなテンションの高い演奏が楽しめるのだが、この動画ではジョン・マクラフリンも加わり、何だかほのぼのとした牧歌的な演奏になっている。

動画を観てもらえれば一目瞭然だが、こんな余裕を持ってこんな演奏ができる三人は、やはり普通ではない。

上手く動画が貼り付けられなかったので、下記画像をクリックしてご覧下さい。


まさにシュールレアリスム

2006年05月06日 | 
いじめてくん

筑摩書房

【著者】
吉田 戦車

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今回紹介する本は、当ブログ初の漫画である。

私は全くと言って良い程漫画を読まない。
おまけに、良い歳をして漫画を読んでいる人間を見ると、少しばかり軽蔑してしまう。

しかし、自己矛盾だとは承知しているが、吉田戦車氏の作品は大好きだ。
私の本棚には、吉田戦車氏の作品達が、唯一の漫画として納められている。
中でも、この『いじめてくん』は別格的に好きな作品であるので、今回紹介する事にした。


まずは主人公であるいじめてくん(上の画像)の紹介から。

ある国によって開発された最新鋭の軍事兵器、それがいじめてくんである。
人々の嗜虐心を煽る様に作られたその造形は、見る者全てをサディスティックにしてしまう。
誰もが、いじめてくんを見るといじめずにはいられないのだ。
なぜそういういじめられやすい造形をしているかと言うと、いじめてくんは、いじめられると爆弾としての機能が作動するようになっているからである。
つまり、いじめられて初めて意味を為す兵器なのだ。
この漫画には、そんないじめてくんによって生じるエピソードの数々が纏められている。


この漫画、素材がとてもシュールだ。
ギャグとしての笑いどころは当然の事、登場人物も意味不明なものばかりである。
変な歌で会話する火星人が出てきたり、肩こりに苦しむ巨大な女神が出てきたり、フリークスに分類されるような異形のキックボクサーが出てきたり。
この世界観が好きな人は、とことん好きになると思う。
私はまんまと好きになってしまった。


大げさな言い方ではあるが、私は本作に、ギャグ漫画としてだけではなく、哲学書としての側面も感じている。
軍事兵器として人を殺す為に作られたいじめてくんが、自らの存在意義に苦悩し、アイデンティティを探し、次第に自己実現して行く物語、と読むとそれはもう立派な哲学書だ。
まあそんな難しい事は考えず、とりあえず読んで欲しい作品である。

ライブは最高

2006年04月08日 | 音楽
PE`Z REALIVE TOUR 2002 ~おどらにゃそんそん~in Tokyo (CCCD)
PE’Z
東芝EMI

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PE’Z REALIVE 2005~節 FUSHI~
PE’Z
ロードランナー・ジャパン

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久しぶりにちゃんとした記事の更新を。
今回紹介するのは、私の大好きなバンド『PE’Z』のライブCD2枚である。
それぞれ、2002年と2005年のライブの模様が収録されている。

ここでも何度か書いているが、彼らのライブは本当に素晴らしい。
そんな彼らが発売した2枚のライブCDもまた素晴らしいのは当然の事か。

彼らのライブ版は、安っぽいミキシングでキンキンうるさいだけのスタジオ版と比べて当然音質的には劣るものの、何といってもその音圧に圧倒される。
また、JAZZという音楽の性質上、ライブではインプロヴィゼーションが満載で、スタジオ版との違いを聴き比べるのも楽しい。


『おどらにゃそんそん』では、私の大好きなスタンダードの一つ、『Recado Bossa Nova』や、大好きな映画の一つ、『タクシー・ドライバー』のメイン・テーマが収録されている。
彼らによってアレンジされたそれらの曲は遊び心たっぷりで、何度も繰り返し聴いた覚えがある。
もちろん、彼らのオリジナル曲もスタジオ版で聴くより数倍素晴らしい。
いっそ全てライブ版にすれば良いのにと当時思った程だ。

余談だが、購入当時私は余りにもこのアルバムが気に入ってしまい、約半年の間、会社の行き帰りの電車では毎日このアルバムを聴いていた。
それ位お気に入りのアルバムである。


続いて『節 FUSHI』の紹介。
『おどらにゃそんそん』と比べて、何と言っても演奏技術の向上が目覚しい。
約三年で、特にベースは見違える程に上手くなったと思う。
彼らの代表曲であり、上記二つのCDにも当然収録されている『Akatsuki』や『Hale no sola sita』で聴き比べて頂くと、彼らの進歩が一目(一聴?)瞭然である。

また、キーボードの貴公子であるHZM氏の自由度(狂い度)も、当時と比べて格段にアップしている。
例えば、『花咲クDON BLA GO!』や『WILD GIPSY』の狂ったピアノソロを聴くだけで、このCDを購入する価値は十分にあると個人的には思う。

余談だが、上原ひろみ女史とHZM氏のピアノ・デュエットのライブがもしあったとしたら、幾ら出しても良い。


最近、PE’Zのベスト版が発売された。
私も購入したが、やはりスタジオ版は余り好きになれない。

もしこれからPE’Zを聴いてみたいという人が居たら、ベスト版よりも上記二つのライブ版購入をお勧めしたい。
それからスタジオ版を聴き、余りのテンションの違いにがっかりしてしまっても責任は持たないが。

腰のその後

2006年02月21日 | その他
まだ痛む腰が憎らしい。
※詳しくはこちらをぞうぞ。

昨日は余りの痛みに耐えかね、18:30頃に仕事を切り上げたのだが、よぼよぼ歩きによる羞恥心と痛みの為、電車で帰宅するのは不可能な状態であった。

そんな私に残された選択肢は2つ。
1.タクシーで帰宅。
2.会社近くのビジネスホテルに宿泊。
私は迷わず2を選んだ。
一刻も早くベッドに横になりたかったからだ。

ホテルを予約し、タクシーで向かう。
会社からホテルまでは、歩いても10分程である。
余りの近さに、運転手さんに申し訳無いという気持ちから、訊かれてもいないのに『いやあ、ぎっくり腰になっちゃって。』と言い訳がましい会話を持ちかける私。
病気や怪我に耐える人間は、往々に情けないものだ。

良心的な運転手さんは、嫌な顔一つせず、ホテルの玄関前に車を停めてくれた。
丁重にお礼を言い、車を降りる。

ホテルの玄関に現れた、傘を杖代わりにして顔を歪めながらよぼよぼと歩く中腰の男。
すぐにフロントの方が駆け寄って来てくれ、手を貸してくれた。
さっきの運転手さんといい、皆親切で涙が出そうになる。

フロントでチェックイン手続きをし、ついでに氷枕も貸してもらう。
今日は腰をひたすら冷やせと医者に言われたからだ。

そんなこんなで部屋に着き、腰を冷やす作業に終始した後、眠りについた。

今朝起きてみると、痛みは大分治まっていた。
真っ直ぐ立てるようになっただけでも、回復を感じられて嬉しい。
しかし、まだ歩き方は出来損ないのロボットのようにぎこちない。
腰に感じる違和感が爆弾のように感じられ、今もいつ爆発するか冷や冷やしている状態だ。

医者の話では、完治に2週間程かかるらしい。
気が滅入ってしまうが、それまで何とか頑張ろうと思う。

思い返せば、今年に入って良い事と悪い事が交互に訪れている。
1月:宝くじで一万円当選 → 風邪
2月:メルマガで商品券五千円当選 → ぎっくり腰
私はあまりこういうのは信じない性質の人間なのだが、グリーンジャンボの購入は控える事にした方が良さそうだ。

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↓ホテル予約と言えば
楽天トラベル

魔女の一撃

2006年02月20日 | その他
今朝、出社するため玄関で靴を履こうかと思っていた時、事件は起きた。
急いで靴を履こうとして、前につんのめる私。
玄関のドアはもう開いていた為、つんのめったまま半身の形で外に右足が着いた刹那、『グキリ』と腰が鳴る。

とても痛い。
腰に何か良くない事があったのは疑いようも無い事実だ。
しかし、歩けない程ではない。
とりあえず、いつも通り会社へ向かう。

会社へ着いてしばらく、次第に腰の痛みが増す。
もう真っ直ぐ立つ事さえ出来ない。
腰の痛みで足に力が入らず、前かがみでよぼよぼとまるで老人のような歩き方しか出来なくなってしまい、これはまずいと早速近くの病院の整形外科へ向かう。

レントゲンを撮ってみたところ、骨に異常は全く無い。
医者の話では、今朝の事件で腰に急激な力が加わってしまい、腰の筋肉や靭帯からの出血によって起こるむくみが神経を圧迫するため、痛みが起こっているらしい。
俗に言う『ぎっくり腰』というやつだ。
西洋では、いきなり誰かに殴られたかのように生じる事から、『魔女の一撃』というらしい。
言いえて妙だ。

医者にお願いして、とても強い痛み止めを処方したもらった。
昼下がりに薬を飲んで、今は17時。
全く効いている気配が無い。

煙草を吸いに喫煙所まで行くのも、トイレに行くのも、よぼよぼ歩きで行かなければならない。
情けないやら恥ずかしいやらで半笑いで歩く私は、周りから見ると気味が悪い男だろう。

普通に歩ける事の幸せは、こうなってみないとわからないものだ。
魔女よ、貴重な経験をありがとう。

プリンを食べる

2006年02月18日 | 飲食

先日紹介した『ある子供』を恵比寿に観に行った時、ふらりと『COCI(コチ)』というお店に立ち寄った。
ちょうどティータイムだったので、プリンとコーヒーのセットを頂く。

バニラが香る甘味の少ないどっしりとしたプリンに、まるでメープルシロップのような香ばしいカラメルがかかっており、とても美味しかった。
存在感のあるプリンだったが、それに添えられた深煎コーヒーがなかなかのもので、おかげで後味はさっぱりであった。

木目調のインテリアで飾られた店内がとても心地良い。
特に、木製のブラインドから漏れる日差しは、ずっと浴びていたいほどだった。

このお店、本来は多国籍料理のお店のようだ。
私の好きなハモン・セラーノも置いてあるらしい。
(スペインの生ハムが大好きなので、ハモン・セラーノでもハモン・イベリコでもハモンと付けば何でも良いのだが。)
今度は夕食時にお邪魔してみよう。

舐めんなよ

2006年01月30日 | 映画
ある子供

【あらすじ】
ブリュノとその恋人ソニア。
ブリュノは定職には就かず、仲間とともに盗みを働いて、その日暮らしをしている。
ある日、ソニアがブリュノの子を産む。
だが、ブリュノにはまったく実感がない。
盗んだカメラを売りさばくように、ブリュノは子供を売ってしまう。
それを知ったソニアはショックの余り倒れ、ブリュノはその時になって初めて自分が冒した過ちに気づくのだが・・・。

【監督】
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ

【主な出演者】
ジェレミー・レニエ
デボラ・フランソワ

※本年度カンヌ国際映画祭パルムドール受賞

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過剰な演出がある映画は嫌いだ。

例えば、感動するシーンで流れるいかにもという音楽。
まるで、『はい、ここ感動するところですよ。』とわざわざ監督が教えてくれているみたいだ。

そういう契機がなければどこで何を感じれば良いのかわからない観客だと思って、監督はそういう演出を入れるのだろうか。
だとしたら、『観客を舐めるな。』と言いたい。
どこで心動かされるかは、監督が決める事では無い。
言わずもがな、我々観客が決めれば良いのだ。
観客を舐めた作品なんて、観る気にはなれない。
観客を舐めているのではなく、わざわざ契機を観客に教えなければならないような、演出に頼った作品しか撮れない監督の作品も同様だ。

映画や小説というものは、観客の想像力に委ねる部分があるべきだと思う。
それを徹底的に排除して、『いかに理解し易く、大衆的に、普遍的に。』とそこに重点を置いた作品など、私の場合は読んだり観たりしても記憶には残らない。
想像による余韻を残す作品であればある程、記憶にも深く刻まれるものだ。


今回紹介する映画は、久しぶりに映画館で観た映画である。
ラストシーンの後も私に色々な事を想像させてくれた。
そういう意味では、良い作品であった。

物語の概要は上記あらすじにある通り。
ブリュノという男は本当にどうしようもない位のろくでなしだ。
かといって、ソニアの方は良い女性かといえば、最初はこちらもただのろくでなしだ。


ソニアは、子供が出来てから親としての自覚が徐々に芽生え始めるのだが、いかんせんブリュノの方はといえば、相変わらずのろくでなし。
そんな二人の意識の違いを表すかのように、ブリュノは何も考えずに、ただお金のためだけに子供を売り飛ばしてしまう。
その事実を知り卒倒するソニアに、『またすぐに出来るよ。』と言うブリュノ。
ブリュノとはこういう男なのだ。

はっきりいって、ラストシーンまではとても不愉快な映画だという印象だった。
二人の大きな子供が小さな子供を産んで、小さな子供は売り飛ばされる。
観ていて気持ちの良い設定ではない。
監督は二人の幼児性を強調したかったのであろうが、二人が本当に幼稚園児のようにじゃれあうシーンなども、観ていて辛いものがあった。


そういう不快感を我慢しながら観ていると、ラストシーンが訪れた。
やっとここで、観客は二人と産まれてきた子供に対してほんの僅かに降り注いだ救いを感じる。
それもうんと抽象的な表現によって。
この印象的なラストの数分の為ならば、これまでの不快感も水に流そうという気持ちになった。
ブリュノはこの瞬間、自己否定により確かに成長を遂げたのだから。

ラストシーンの後、三人がどういう人生を歩んだか、これは観客一人一人が想像すれば良いのだ。
もしこれがハリウッド映画ならば、三人の後日談が必ず挿入されていただろう。
そんなもの蛇足でしか無いのに。
そういう説明過多の映画に慣れている人が観たら、『え?これで終り?』と言ってしまうようなラストだろうと思うし、実際そういう話で騒いでいる人が劇場にもいた。
『なんでハリウッドからの誘いを断ったかと言うと、僕は楽をしたくない人間なんだよ。』
彼らを見て、あるヨーロッパの映画監督が言っていた事を思い出した。

殺し屋ゲーム

2006年01月26日 | その他
ここはヨーロッパのとある高級ホテル。
その一室で、私、友人X(あえて名前は伏せる)、顔も名前も記憶に無い男と女、そしてベッカムの5人が、絨毯の上に車座になって談笑をしている。

一通り話も済んだ後、友人Xがふとこんな提案を始めた。
「殺し屋ゲームしようぜ。」
「いいね。やろうやろう。」
私以外の3人が即座に賛同する。

私は『殺し屋ゲーム』が何であるか知らない。
取り残されたようで悔しくなった私は、「殺し屋ゲームって何だ?」と皆に訊いてみた。

教えてくれた内容を要約すると、以下が『殺し屋ゲーム』のルールらしい。
・一人がプレイヤー、他の人間は殺し屋。
・スタート、ゴールを定め、その間に殺し屋達は陣取る。
・プレイヤーは、ゴールまで辿り着ければ勝ち。
・殺し屋は、プレイヤーを殺せば勝ち。
・プレイヤーは、殺し屋に反撃しても構わない。

ルールを知り、私も『殺し屋ゲーム』に興味が湧いてきた。
「面白そうだね。やろうやろう。」
皆の意見が一致し、我々は『殺し屋ゲーム』に興じる事になった。

皆ピストルを一丁ずつ持っていたので、武器はそれに決まった。
スタートとゴールの位置は、ホテルにある長い廊下の両端に扉があるので、それぞれをスタート、ゴールとした。
最後にプレイヤーを決めようとした時、ベッカムが立候補した。
皆自分がプレイヤーになるのは嫌だったようで、ほっとした様子でそれを承諾する。
決めるべき事を決めたところで、我々は会場となる廊下へ移動する事にした。

プレイヤーのベッカムは、スタート位置にある扉の向こう側で待機している。
彼には、殺し屋である我々の準備が整い次第、携帯電話で呼び出すからと知らせてある。

私以外の殺し屋は、もう思い思いの位置に潜んでいるようで、姿は見えない。
どうしようかと思案した挙句、私はスタート位置の扉の前で銃を構える事にした。
プレイヤーが現れた瞬間、引き金を引こうという腹積もりである。
仁王立ちで扉に向き合い、右手で銃を胸元に突き出したまま、左手でベッカムの携帯電話を呼び出す。
いよいよ、ベッカムをプレイヤーとした『殺し屋ゲーム』の始まりである。

長い長い静寂の後、扉が一気に開かれ、銃を構えたベッカムが現れた。
様子見の為に扉はゆっくり開かれるだろうと高を括っていた私は、一瞬パニックに陥りそうになった。
しかし、そんな暇は無い。
彼の銃口は私の胸元を捕らえている。
叫び出しそうな恐怖の中、無我夢中で引き金を絞った。

一発がベッカムの腹部に命中したらしく、彼はうめき声を上げながら廊下にうずくまった。
気付くと、私以外の殺し屋三人が、私の横でベッカムに銃を向けている。
ベッカムに次々と銃弾が浴びせられ、彼はピクリとも動かなくなった。

『殺し屋ゲーム』に勝利した喜びを他の殺し屋達と分かち合っていた時、友人Xが居ない事に気付く。
周りを見回すと、彼も腹を血塗れにして廊下に倒れていた。
もう息は無い。
どうやら、誰かが撃った弾が跳ね、彼に当たったらしい。
呆然とする残った殺し屋3人。
その時誰かが叫んだ。
「逃げろ!!」
我々は全速力で走り出した。

とりあえず、ホテルの横にあったハロッズのような外観の百貨店に逃げ込む。
そこの電化製品売り場に置かれたテレビでは、『ベッカム射殺される。』との速報ニュースが流れていた。
女性キャスターが言うには、どうやら警察は、一緒に死んでいたXを容疑者だと断定したようだ。
容疑者死亡という残念な結果になってしまったという事を伝え、ニュースは終了した。

ニュースを見て、もう我々3人の殺し屋に捜査の手が及ぶ事もないだろうと安心し、ホテルに帰る事にした。
一刻も早く、シャワーを浴びたかったからだ。

部屋に到着し、着ていたスーツをクリーニングに出し、共同シャワールームのような施設に行くと、先客に長身の白人2人が居た。
彼らの隣のブースでシャワーを浴びていると、二人の会話が聞こえる。
ベッカムが死んでしまった事を嘆いているようだ。

ここで記憶が一気に飛ぶ。

次の記憶では、自宅近くの中華料理屋で、一人テーブルに座っていた。
目の前には、豪華な料理とビールが置かれている。
さあ食べようと思った瞬間、お店に置いてあるテレビでベッカムの追悼番組が放送されている事に気付いた。

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以上が私が昨夜見た夢の内容だ。
こんなに鮮明な夢を見たのは何年ぶりだろうか。
いや、小学生以来かも知れない。

余り縁起が良い夢では無い。
安っぽいノワールみたいだ。
どう解釈すれば良いのだろう。
オカルティックだからと敬遠していたユング派の本でも読んでみようか。

また続きなどあればここで報告します。

ジャズとフラメンコ

2006年01月24日 | 音楽
スペイン

ミシェル・カミロ
トマティート

ユニバーサルクラシック

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今日、もう二ヶ月も音楽カテゴリの更新をしていなかった事に気付いた。
というわけで、久しぶりにCDの紹介を。


本作は、ドミニカ共和国出身のジャズ・ピアニストであるミシェル・カミロと、スペイン出身のフラメンコ・ギタリストであるトマティートとのデュエットである。
1999年に、二人はコンビで世界ツアーを行っていたらしい。
その集大成としてリリースされたのが、このアルバムである。


私が本作を購入したのは、確か2001年の今頃の時期だった。
それまで私はフラメンコを聴いた事が無かったが、当時から私の好きなピアニストとしてトップに君臨するミシェル・カミロの新譜という事で、購入に至った。
そこで初めて聴いたフラメンコ・ギターは、十分私の心の琴線に触れたようで、以来フラメンコ愛好者の一人になってしまった。
そういった意味で考えると、本作が私に与えた影響はとても大きい。


本作のテーマは、ジャズとフラメンコの融合である。
チック・コリアがそれを狙って世に送り出した傑作である『スペイン』をカバーしている事からも、それを窺い知る事ができる。
ドラム、ベース、フルート、そしてエレクトリック・ピアノが奏でる物凄いグルーヴが印象的なオリジナルとは違い、本作はピアノとギターのみという最大限にシンプルな編成である。
しかしこのおかげで、世界ツアーを経て息がぴたりと合った二人の演奏を隅々まで楽しむ事ができるのだ。


なるべく私は、本作をヘッドフォンで聴くようにしている。
エフェクトを極限まで減らした、二人の息遣いさえ聞こえてしまいそうなその演奏を聴くと、まるで目の前で演奏しているかのような錯覚に陥れるからだ。
もし聴く機会があれば、ヘッドフォンで楽しむ事をお勧めしたい。
『音は空気の振動だ』という当たり前の事を再認識させてくれるだろう。


ドミニカとスペイン、生まれは違えど二人共ラテンの血が流れている。
そんな二人の血が共振する一時を観客として共有できる本作は、紛れも無く傑作だと思う。

運命

2006年01月19日 | 
DZ(ディーズィー)


角川文庫

【著者】
小笠原 慧

【あらすじ】
ヴェトナム難民船より救出された妊婦が産んだ二卵性双生児の兄妹。
彼らが辿り付いた先で待ちうけていたものは・・・。
ふたりの哀しい宿命を壮大なスケールで描いたヒューマン・ミステリ。


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最近読んだ中では面白かった一冊。
本作は、第二十回横溝正史賞正賞を受賞している。


当初、物語はバラバラのエピソードで始まる。

・ヴェトナム
堕胎手術を受けるのが嫌で、産婦人科から逃げ出した妊婦。
彼女は難民船に乗り込み、日本へ到着する。

・アメリカ
夫婦冷凍殺人事件を追う刑事がいる。
死んだ二人の5歳の息子は、行方不明のまま事件は迷宮入りする。

・日本
娘の天才的な知能に気付き、驚く夫婦。
もっと伸ばそうとする夫と、子供らしく育ててあげたいと願う妻の間にはギャップがある。

・日本
研究者の男と、医大生の女のカップル。
男は研究のため、遠く離れたアメリカへと向かう。


舞台となる国も違う上記のエピソードがどう繋がっていくのか、楽しみにしながら読み進んだ。
結論を先に言うと、本作にはあっと驚く結末が最後の数行に待ち構えている。
それを読んだ時に物語を振り返ってみると、伏線が張りまくられていた事に気付き、とても悔しい思いをした。
私が鈍感なだけなのか、著者の張った伏線が巧妙だったのか。
後者である事を願いたい。


本作は、人間の進化を描いた上物のミステリーである。
解説にも書かれていたが、『進化』というテーマで物語を創作する場合、ボトルネックになるのは進化には膨大な時間が必要だという事だ。
しかし本作では、本来諸々の障害の原因として挙げられている染色体の異常を『進化』と捉える事で、この問題を解消している。
何らかの原因により、染色体の数が本来より少なく産まれてしまった人間を、『進化した人類』としているのだ。

進化した人類は、人類と染色体の数が違うため、当然その間に子孫を残す事はできない。
そこで、進化した人類は、人類からすれば残酷な手段で、その問題を解決しようとする。
人類を超越した能力を持つ生物として描かれる進化した人類。
種の存続の為なら手段を選ばない彼らに恐怖を覚えると同時に、『自分は違う』という事を自覚している彼らが持つ悲哀が感じられ、同情も覚えた。


物語の本筋以外でも、生物の進化についての記述はとても勉強になったし、今話題のES細胞が登場した時は、ファン教授を思い浮かべたりしながら読んだ。
著者は医者でもあるので、専門用語だらけの文章に辟易してしまう方も多いだろうとは思う。
しかし、私の場合も意味不明な専門用語はそのまま流して読み進んだので、特に気にせず読まれると良いだろう。

種の保存こそ生物にインプットされた一番大事な本能なのだと再認識できる良書であった。