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山のあなた

2016-12-13 12:53:51 | 日記
山のあなた


 いつの頃からか、山歩きが好きだった。ということは自然が好きだ、ということでもあろう。なぜ好きなのか。初めのうち、そんなことは余り考えもしなかった。というより、自明のことのように思えていた。同じ年輩の者でも、わざわざあんなしんどい目をしに行く奴の気が知れん、というのもいるにはいたが、好みはさまざまだぐらいに漠然と思っていた。
 ところがあるとき、アルバイト先の高校で知り合った友人を少々強引に誘う形で、連れ立ってハイキングに行くということがあった。といっても午後から出かける軽いものだったが、秋深まる頃、関西近郊の山を歩いた。
 その帰り道、尾根から降りて谷筋に出た。谷川沿いの道を少し下ってゆくと、谷地が開けてきて、そこに稲田が拡がっていた。いちめん黄金色に稔った稲がたわわに穂を垂れている。そんな光景を、私自身は漠然とながら好もしく美しいものに感じていた。
 ところが友は不意にまったく思いがけないことを言った。
「こんなん見ると、ぞっとしますねん」
「ええ?なんで?」
思わず聞き返した。そう言えば、少し前にも気になることを言っていた。
「谷筋に出ると、ほっとしますねぇ」というのだった。
私としては、谷などじめじめと陰気で、尾根の方がいいに決まっていた。尾根は明るく、何より見晴らしが利くではないか。
《変なこと言うなあ》と思いながらも、そのときはしかし
「はぁ、そう?」と煮えきらぬ返事をしていた。
この度はしかし正面きって説明を求めた。
「うーん、そうですねぇ」
友は少しためらった後、ようやく言ったーー
「結局、ぼくらがあれ刈らんなあかんわけです」
 友は広島の町外れの出身だった。そして幼少時から、農作業の手伝いを当然のようにやらされていた。そのときの労働のいやさ加減が、この稲穂の群がりに染みついている。それらを切り離すことはもはやできないようであった。(後年、これと同じ感じ方を『もの言わぬ農民』のなかにも見出した。「こぶしの花を見ると、やんたになりやんす」という若い農婦の嘆きがそこに書きとめられている)
 従って友は本来自然など好きではなく、この山歩きも強く誘われるままにつき合ったまでのようだった。谷筋に出てほっとするのも、里に近づいたことを実感するからだろうか。
 皆が皆、自然好きでないのは当然として、その理由の一端をここに垣間見る思いがした。自然に向けた感性の背後に広がるものが見えだしてきた …

 このようにして見えてきた先に行き着いた結論の一つは、《自然愛は緑の残量に反比例する》というものだ。詳しくは、左記論稿を参照して欲しい。

 「欧米自然観推移のあらまし」、棹忠夫監修・比較文明学会関西支部編『地球時代の文明学2』(京都通信社刊)所収
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