【備 忘 録】

思いついたことを書き残す。

鐵の愉しみ

2017年03月07日 | ひとりごと

facebookで参加している非公開グループに前橋駅頭に客車列車の出発風景の写真があった。
旧型客車のファンとしてはこの車両の出自がぜひ知りたいところ。インターネットの検索能力を試すことに。

まず外観の特徴はモニター屋根といわれる二段屋根。車輌記号は判読が難しい。
鋼製リベットから(ス)車輌の窓下の帯から優等車輌であることがわかる。(イ、またはロ)車掌室があることから(フ)
つなげるとスイロフ形式であろうと思われる。そのうちに投稿者から「スロハフ32-1」との投稿。
ややこしいのだが一等から三等まであったのが規定の改定で一等と二等、さらに現在はグリーン車と普通車、まあグランクラスが登場したが。

「スロハフ32-1」は「スイロフ30551」として1932年3月に小倉工場で落成している。
ウィキペディアによれば
「スイロフ30550形」は、皇族、政府高官などの要人貸切用として1932年3月に鉄道省小倉工場で2両(スイロフ30550, 30551)が製造された一二等緩急車で、前位には奥行きが深く低座面の長手式腰掛を設備する一等室(定員18名)、後位には転換式腰掛を設備する二等席(定員36名)が設けられた。1941年10月の称号改正により「スイロフ30形」とされ、「スイロフ30 1, 2」が付番された。

終戦直後、進駐軍に接収され二等座席車として使用された。車名「OKLAHOMA CITY - スイロフ302」 - 1946年6月軍番号指定 - 1949年8月 軍番号730に変更とされた。
1949年、進駐軍より一等座席側のみ日本側に返還されたが、一等座席車として使用できないため二等座席に格下げし接収解除後
1949年大井工場にて「スロフ34-2形」に改造、
1953年10月に大船工場でスロハフ31-2」に改造、
1963年3月大宮工場で「スハフ34-22」に改造、
1964年6月29日幡生工場で台枠流用改造。上部構造の解体であり、事実上の消滅。「オハネフ17-2221」
1968年大宮工場にて《冷房取付改造》「スハネ16- 2221」
1975年6月10日廃車

貴賓車から進駐軍の接収、さらに東京地区で働き最後は下関で生涯を閉じる。
少数ゆえ履歴が辿れる。



新幹線と違い、SLやELが牽引する客車は様々な形式の車両を繋いでいた。リベットだらけの車輌、モニター屋根の車輌、車両端のデッキ部分が絞ってある車輌、全溶接の切妻屋根の車輌、さらに最後の頃は「ぶどう色2号」と青色が混ざったと言った具合で非常に雑多、またそれが面白さでもあった。
昨日乗った北陸新幹線のE7系などとは全く違った何か人間臭く感じたものだ。車輌端部のドアは文字とおりデッキ。扉も自動で閉まらない。走っている最中も開いたまま。トイレは「黄害」といわれたポットン便所。レールが見える。

石炭の煙の匂いをかぎながらの旅行だった。物心ついた頃気動車も勢力を伸ばし始めたが高崎線ではEF58,信越線ではEF62が牽引する普通列車が見られた。
「なごり雪」がはやったころ、東京駅で客車の屋根で雪が溶けているのを見たこともある。
旧型客車を今でも高崎駅で見ることができる。「スハフ32 2357」はじめ産業遺産ものである。動態保存である。これが本線上を走るのだからマニアには応えられないであろう。維持には困難が伴うのは想像に難くない。しかしいつまでも現役であってほしいと思う。







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