犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

つひにはあなたひとりを数ふ

2017-06-11 00:05:08 | 日記

歌壇を代表する歌人であり、細胞生物学者としても著名な永田和宏さんの『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年』が文庫化されたのを機に再読しました。
著者自身が歌人として尊敬する河野裕子さんに乳がんが見つかり、その8年後に転移・再発の診断を受け、闘病生活十年ののち逝去するまでの、夫婦と家族の記録です。
最初の乳がんの手術後、河野さんの精神状態が不安定になり、家庭が地獄絵図のようであったこと、永田さん自身も精神的に追い詰められ衰弱してゆく様子が、赤裸々に描かれていて、粛然と背筋の伸びる思いがします。
河野さんの死の直前、家族のひとりひとりと別れの挨拶をするくだりは、再読にもかかわらず、涙なくしては読み進めることはできませんでした。

死の四日前、永田さんは訪問看護の先生から、痛みもひどくなると思われるので、モルヒネを増やしてはどうかという相談を受けます。もう眠らせてあげてはどうか、という申し出に対して、永田さんは即座に「それは困ります」と答えていました。そのときのことを、次のように記しています。

眠ってしまえば、歌を作ることができなくなる。いま歌が作れなくなれば、何のために彼女がこれまで強い副作用に耐えてやってきたのかが、泡となってしまう。
それ以上に、私たちと話もできないままに逝かせてしまうことには耐えられなかった。彼女自身も、まっすぐ渡辺先生の目を見て、最後のお別れはできるのでしょうかと尋ねていた。痛みだけはなんとかひどくならないようにして欲しいが、眠らせてしまうことだけは避けたい。

長生きして欲しいと誰彼(だれかれ)数へつつつひにはあなたひとりを数ふ   裕子

死の前々日、八月十日の歌である。この一首は私が口述筆記をした。八日あたりより、もはや鉛筆を持つ力もなくなり、何の前触れもなく、河野の口を漏れてくる言葉が、歌になっているということが何度かあった。
(中略)
死者は生者の記憶のなかにしか生きられない。私を生かしておくのはあなただけなのよ、と呼びかけられている気もするが、この一首には、そんな功利的な計らいのためではなく、私のすべてであるあなたにだけは、長く生きて欲しいという直截表現の切なさがある。河野裕子の最後の願いを引きとって、長生きしなければと思う。この一首は、私のお守りのような一首となった。(前掲書 新潮文庫版197、198頁)

生きていて欲しい、そうして妻の最後の仕事をやり遂げさせてあげたい。そういう一途な思いに応えて詠んだ妻の歌が、「あなたひとり」に長生きして欲しいというものでした。

最初の手術ののちしばらく精神的に不安定であった河野裕子さんが、再発後、余命わずかとなってかえって落ち着きを取り戻し、逆に永田さんのほうが奥さんに救われる様がとても印象的です。
「自立」と「依存」とは単純な対立関係ではないと言っていたのは、心理学者の河合隼雄さんです。人に対して適切に依存しており、そのことについて自覚している者こそが自立しているのだ、と河合さんは述べています。
自己実現という言葉でよく言い表わされる「自己」がいかに浅薄なものか、そう考えれば河合さんの言葉も腑に落ちるようにわかります。相手のことを勘定に入れずに自分のやりたいことを実現するなど、所詮「利己」実現に過ぎません。

自分の行為によって家族がどう感じるか、家族の一人ひとりの欲求を満足させてやりたいが、そう簡単にいかない。家族相互間に対立が生じる。そうなると、ときには犠牲を払うこともある。しかし、自分が犠牲となり、そこで体験することを自分のものにするのも、自己実現の一つである。家族との関係を大切に考えはじめると、自己実現は単純でなくなってくる。そして、なにごとも自分の意志や欲求のみで成就されるのではなく、そこに自分を超えた力がはたらくのを実感できる。このようになってこそ本当の自己実現である。(『出会いの不思議』河合隼雄著 創元こころ文庫 232頁)

永田和宏さんは妻の闘病生活の十年間に、歌人としても研究者としても優れた仕事をされています。妻の河野裕子さんも最後の十年間、最後の一日に至るまで卓越した仕事を残すことができました。
その永田さんが妻の死を目前にして詠んだのが、前掲書の表題となった次の歌です。

歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る

妻の死を前提に、その死の後の自分を歌っていて、しかもそれが妻の目に触れてしまうことが許されることなのか、何度も自問したのち、永田さんは次のように答えています。

その答は、私にはまだ無いが、これらの歌が彼女の目に触れたことは良かったと、私はいま思っている。河野裕子という存在が、どれだけ私自身の存在を支えてきたのか。存在そのものであったのか。それを彼女自身も知ってくれたはずだ。(『歌に私は泣くだらう』新潮文庫版180頁)

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