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オーケストラ!

2010年11月17日 19時49分39秒 | 映画
【ストーリー】劇場清掃員として働くさえない中年男アンドレイ・フィリポフ(アレクセイ・グシュコブ)は、かつてはロシア・ボリショイ交響楽団で主席を務めた天才指揮者だった。彼は、共産主義時代、“ユダヤ主義者と人民の敵”と称されたユダヤ系の演奏家たち全員の排斥を拒絶し、名声の絶頂期に解雇されたのだった。
 ある日、清掃中にアンドレイは、1枚のFAXを目にする。それは、演奏を取りやめたサンフランシスコ交響楽団の代わりに、パリのプレイエルに出演するオーケストラを2週間以内に見つけたいという内容だった。その瞬間、彼は、かつての仲間を集めて偽のオーケストラを結成、ボリショイ交響楽団代表としてパリに乗り込むことを思いつく。(amazon)


 ずいぶんと傷のある映画でした。コメディタッチで無茶を乗り越えようとするのですが、ちょっと無理。傷が目立ってしまいます。
 なぜこんなに傷の多い映画になってしまったか。それはこの映画が無茶なこと、もっと言えば不可能なこと、すなわち時間の不可逆性をくつがえそうとしたからです。人は決して過去に戻ることはできません。そしてその不可逆性は頭で理解するのではなく、身体がどんどん衰えていくような身体的な実感を伴う痛みとしてしか理解することはできません。
 しかし、この映画はその人間の条件を一瞬忘れ去らせようとします。その力が音楽にあるのだと主張します。そしてそのためにいくつもいくつも無茶なことをしてしまうのです。本番で彼らの演奏はひどい出だしをします。音がずれる、リズムが狂う、調子外れの節が流れる。でも、ひとつのきっかけで彼らは30年前にタイムスリップしてしまうのです。それがもう痛いほどよくわかる演奏と、そしてその背景の説明によってなされているのです。
 主人公アンドレイはかつてブレジネフ政権のユダヤ人弾圧に反抗し、音楽の道を絶たれ、今ではボリショイ劇場の清掃員として働いています。そんな彼がたまたま支配人室でシャトレ座からのオファーを告げるファックスを手にし、かつての楽団員を集め、偽ボリショイ交響楽団としてパリに旅立とうとするわけです。この段階でいろいろ無茶はあります。でも、けっこう軽微。で、マネージャーとしてかつて彼を逮捕、失脚させたガリガリの共産党員を選ぶわけです。彼の机には大きさの異なるレーニン像が一列に並んでいて、その描写で、彼の共産党へののめり込みをうまく描写しています。
 そんな彼がアンドレイのパリ行に興奮して、無償で参加を申し出ます。ここで見ている人は何らかの罠を感じるわけですよ。その描写にして、しかも30年前にソヴィエト共産党員としてアンドレイを失脚させているわけですから。で、彼がシャトレ座との交渉で敏腕マネージャーぶりを発揮します。そちらのWEBページではスケジュールが開いていたとシャトレ座が主張すると、内緒で石油王のプライベートパーティーに出演して高額のギャラをもらう予定だったのだけれど、それをキャンセルするんだから、それなりの条件じゃなきゃだめだと嘘をついて好条件で契約を結ぼうと。で、シャトレ座を納得させてその条件をFAXで送るのですが、ぼくが見ても、えっ?という感じ。ホテルは三ツ星、セーヌ川観光させて、滞在費は一人30ユーロ、夕食はトゥル・ノルマン(フランス共産党御用達レストラン、もう現存していない)。三ツ星のホテルって中級だし、滞在費一人30ユーロって、日本円で3200円くらい。FAXを見たシャトレ座の支配人が、これは何かの罠か、と疑うほどの低条件。もうそれくらい、彼らと世界とが隔たってしまっているわけです。ここに取り返しのつかない30年という月日が表現されていて、それはまるで通奏低音のように何度も何度もこの映画の中で繰り返されていきます。
 かつての仲間を訪ね歩いてパリ行きに誘います。ポルノフィルムのBGMを担当している者、タクシー運転手をしている者、ロマとして演奏している者、そんな中には「疫病神!」と叫んでアンドレイを追い返す者もいます。オーケストラの全員が全員彼を英雄視しているわけではない、この一つのシーンが人生の有限性を訴えていて秀逸でした。人生は有限で、その有限という条件の中で過去は取り返しのつかない重さを持つのです。その重さに対する一人ひとりの反応が違っていて当然なのです。
 こうした有限性はこの映画における人種問題についても同様です。すべての発端はユダヤ人問題でした。ソヴィエト連邦はイスラエルを割と早く承認した国でありながら、国内のユダヤ人を弾圧するという国内外でのダブルスタンダードをとった国でもあります。インターネット時代以前の共産国家に辛うじて成り立った危うい綱渡りでした。その綱渡りの中、多くの知識人は辛い立場に追いやられることになります。
 では、この映画の中でユダヤ人は弾圧に耐えぬいた気高い人種として描かれているでしょうか? 違います。ひとつの民族や体制を無限の正義、もう一方の民族や体制を無限の悪として描きません。どちらも有限の正義、有限の悪、ですから、どちらも正義や悪、両方に手を染めているのです。この映画でもユダヤ人親子は迷惑千万な振る舞いでオーケストラを混乱させます。
 なんだかんださまざまな混乱や行き違いの末、演奏が始まります。先程も言ったようにひどい出だしです。曲はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。アンドレイを含め、全員にとって、その曲は過去のある事件とつながりのある音楽でした。そして、女性ソリストがヴァイオリンを奏でると、彼らはその過去へ連れ戻されるのです。今そこで奏でられているまさに現在の音が、時を超え、彼らを過去のその時へ連れて行く。彼らはだから、その時の彼ら、ボリショイが絶頂期を迎えたと言われた頃の彼らとなって、演奏の質が急に変わるのです。この瞬間、この瞬間の奇跡にこの映画のすべては収斂していく、そんな感じです。なぜ彼女の音がそうさせたのか、それはぜひDVDで。
 こうした書き方だとなんだか重厚な映画のようですが、この映画の基調はコメディですので、どうぞ楽しんでください。写真持参で空港に行って、そこで偽造パスポートの仕上げをしたり、実は憎み合ってる大富豪の結婚式が見せかけの和気あいあいぶりから銃撃戦になるシーンなど笑えるシーンがいくつもあります。秋の夜長に。
ジャンル:
映画(DVD)
キーワード
シャトレ座 ボリショイ ソヴィエト連邦 ソヴィエト チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ダブルスタンダード ボリショイ劇場 サンフランシスコ 人間の条件
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