ファチマの聖母の会・プロライフ

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シスター・ルチアとフエンテス神父の預言的インタビュー

2017年06月09日 | ファチマ
今から丁度50年前、1957年12月26日にメキシコの司祭、フエンテス神父(Padre Augustin Fuentes)は、コインブラのカルメル会修道院にいたシスター・ルチアを訪問した。

フエンテス神父は、フランチスコとジャシンタの列福推進者(postulator)、また同時にフリーメーソンの迫害(1924-28年)のもとのメキシコ殉教者たちの列福推進者となる準備をしていた。

フエンテス神父はメキシコに戻り、1958年5月22日に聖心とガダルーペの聖母の宣教シスター会本部(Casa Madre de las Misioneras del Sagrado Corazon)で講話し、シスター・ルチアの言葉が報告され、後にこの講話の内容が公表された。

ファチマの公式文書保管者アロンソ神父(Padre Joaquin Maria Alonso)は、このインタビューの真理を検証し「正真正銘性の全ての保証とレイリアの司教認可を含めて、当然の司教認可(サンチェス大司教)の出版許可のこと)を持っている」と強調した。

フエンテス神父は、これがシスター・ルチアの「まさにその唇から」受けた内容であると断言している。アロンソ神父の公表したスペイン語原文は Veridad sobre Fatima (pp. 103-106)に掲載され、英語訳は、ライアン神父(Father Ryan)によって Fatima Findings, June 1959 誌に発表された。

それが最初にフエンテス神父によって公表されたとき、それは世界中の信徒の多くから広範な関心を呼び起こした。しかしながら、この重大なメッセージの勇敢な公表の結果として、フエンテス神父は、シスター・ルチアが1948年以来住んでいたコインブラ司教区における何人かの匿名の当局者たちからのまったくそれに値しないそして前例のない迫害を受けた。

第1と第2の秘密の本質を語りながら、シスター・ルチアはフエンテス神父に新しいテーマを語っている。聖母マリアと悪魔との決定的な闘いというテーマ、天主に捧げられた聖職者や司祭たちに対する悪魔的な攻撃の計画、償いへの呼びかけと招きを期待し待つことなく自発的に聖なる生活を送る信徒の義務、である。

聖職者達は悪魔の攻撃を受けて、罪の償いの生活・祈りの生活の重要さを疎んじるだろう。

「ローマから教皇様から全世界のために改悛への呼びかけがくると期待しないようにしましょう。その呼びかけが司教区の司教様がたから、あるいは修道会からくると期待しないようにしましょう。今は私たち一人一人が自分で自分の霊的改革を始めなければなりません。一人一人は自分の霊魂を救わなければならないばかりか、その道に天主様が置かれ給うたすべての霊魂をも救わなければなりません。」

"No esperemos que venga de Roma una llamada a la penitencia, de parte del Santo Padre, para todo el mundo: ni esperemos tampoco que venga de parte de los señores Obispos para cada una de sus diócesis: ni siquiera tampoco de parte de las Congregaciones Religiosas. No: ya nuestro Señor usó muchas veces de estos medios y el mundo no le ha hecho caso. Por eso, ahora, ahora que cada uno de nosotros comience por sí mismo su reforma espiritual: que tiene que salvar no sólo su alma, sino salvar a todas las almas que Dios ha puesto en su camino."

ファチマのシスター・ルチアは、既に1957年、教会の重大な危機を予知していた。



フエンテス神父とシスター・ルチアとの預言的インタビュー


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「昨年(1957年)12月26日に私がシスター・ルチアとした最後の会話についてあなたたちに告げることだけを私は望んでいます。私は彼女の修道院で彼女に会いました。彼女は非常に悲しんでおり、非常に青ざめそしてやつれていました。彼女は私にこう言いました。」

“Quiero contaros únicamente la última conversación que tuve con ella, que fue el 26 de diciembre del año pasado: La encontré en su convento muy triste, pálida y demacrada; y me dijo:


誰一人何の注意も払いませんでした

「神父様、聖母は、よい人も悪い人もだれもそのメッセージを重大視しないので悲しんでおられます。善人は彼らの道を続けていますが、しかし聖母のメッセージには何らの注意も払っていません。悪人は、彼らの上に実際に降りかかってくる天主の罰を見ずに、メッセージについては注意を払うことさえせずに、彼らの罪の生活を続けています。しかし、神父様、私を信じてください、天主は世界を罰しようとしておられます。そしてこの懲罰は恐るべき仕方で為されるでしょう。天からの懲罰は間近に迫っています。」

‘Padre, la Santísima Virgen está muy triste, porque nadie hace caso a Su Mensaje, ni los buenos ni los malos. Los buenos, porque prosiguen su camino de bondad; pero sin hacer caso a este Mensaje. Los malos, porque no viendo el castigo de Dios actualmente sobre ellos, a causa de sus pecados, prosiguen también su camino de maldad, sin hacer caso a este Mensaje. Pero, créame, Padre, Dios va a castigar al mundo, y lo va a castigar de una manera tremenda. El castigo del cielo es inminente.’”

秘密は明らかにされなかった

「神父様、1960年が来る前にどれだけの時間があるでしょうか?もし前もって世界が祈り償いをしないならば、それはすべての人にとって悲しいことでしょう、一人も喜ぶ人はいないでしょう。私はさらに詳しいことを言うことはできません。なぜなら、それはまだ秘密だからです。聖母マリア様の御旨によれば、ただ教皇様とファチマの司教様だけが、秘密を知ることをされています。しかし彼らは、影響を受けないように、それを知らないことを選びました。これは1960年まで秘密のままにとどまるであろう聖母のメッセージの第三の部分です。」

“¿Qué falta, Padre, para 1960; y qué sucederá entonces? Será una cosa muy triste para todos; y no una cosa alegre si antes el mundo no hace oración y penitencia. No puedo detallar más, ya que es aún secreto que, por voluntad de la Santísima Virgen, solamente pudieran saberlo tanto el Santo Padre como el señor Obispo de Fátima; pero que ambos no han querido saberlo para no influenciarse. Es la tercera parte del Mensaje de Nuestra Señora, que aún permanece secreto hasta esa fecha de 1960.”

天主の鞭、ロシア

「神父様、聖母マリア様は、私のいとこであるフランシスコとジャシンタ、そして私自身に、地上の多くの国々が(muchas naciones de la tierra)地の面から消え去るだろうと告げられたということを、皆に告げてください。聖母はもし私たちが前もってロシアの回心を勝ち取らないならば、あの哀れな国(ロシア)が世界を罰するために天によって選ばれた懲罰の道具となるだろうと言われました。・・・」

“Dígales, Padre, que la Santísima Virgen, repetidas veces, tanto a mis primos Francisco y Jacinta, como a mí, nos dijo; Que muchas naciones de la tierra desaparecerán sobre la faz de la misma, que Rusia sería el instrumento del castigo del Cielo para todo el mundo, si antes no alcanzábamos la conversión de ese pobrecita Nación (...)”.

マリアとサタンとの間の「決定的な戦い」: 奉献された霊魂たちと司祭たちの堕落

シスター・ルチアはまた私にこう告げました。
「神父様、悪魔は聖母マリアに対して決定的な戦いを挑もうとしています。悪魔は天主を最も侮辱することが何か、また最も短期間にどうやったら最も多くの霊魂らを地獄に落とすことが出来るか知っています。だから悪魔は天主に捧げられた霊魂(=聖職者たちのこと)を勝ち取ろうと全てのことをしています。何故なら、こうすることによって悪魔は、指導者によって捨てられた信者らの霊魂たちが取り残され、いとも簡単に彼らを餌食にすることが出来るからです。」

Padre el demonio está librando una batalla decisiva con la Virgen; y como sabe qué es lo que más ofende a Dios y lo que, en menos tiempo, le hará ganar mayor número de almas, está tratando de ganar a las almas consagradas a Dios, ya que de esta manera también deja el campo de las almas al desamparo, y más fácilmente se apodera de ellas.


「聖母の汚れ無き御心とイエズスの聖心を悲しませることは、修道者、司祭の霊魂たちが堕落することです。悪魔は、自分の美しい召命の道から堕ちた修道者と司祭らが、多くの霊魂を地獄に引きずり下ろすことを知っています。・・・ 」

“Lo que aflige al Inmaculado Corazón de María y al (Sagrado) Corazón de Jesús es la caída de las almas religiosas y sacerdotales. El diablo sabe que los religiosos y sacerdotes que apostatan de su hermosa vocación arrastran numerosas almas al infierno.

「悪魔は、天主に捧げられた霊魂たちを奪いたいと望んでいます。悪魔は、彼らを腐敗させるように試みています。それは彼らが平信徒の霊魂たちを眠り込ませる子守歌を歌い、彼らが最終的に罪を痛悔しないように導くためです。悪魔は修道生活へ入ることを遅らせる暗示を与えるところまで行きさえして、あらゆる計略を採用します。このことから結果することは内的生活の不毛であり、そして平信徒の間では、諸々の快楽の断念や天主への全面的献身ということがらに関する冷淡さ(熱意の欠如)です。」

“El diablo quiere tomar posisión de las almas consagradas. El trata de corromperlas para adormecer las almas de los laicos y llevarlas así a la impenitencia final. El emplea todas las tretas, aún yendo tan lejos como sugerir la demora en el ingreso a la vida religiosa. Resultado de esto es la esterilidad de la vida interior, y entre los laicos frialdad en materia de renunciar a los placeres y su total dedicación a Dios”.

ジャシンタとフランシスコを聖化したこと

「また皆に告げてください、神父様、私のいとこのフランシスコとヤチンタは、聖母マリア様のすべての御出現において、彼らが常に聖母が非常に悲しんでおられるのを見たがゆえに、自己犠牲を行いました。聖母は私たちに決して微笑まれませんでした。私たちが聖母のうちに認めたこの悲しみ、この苦悩は私たちの霊魂を貫きました。この悲しみは天主に対する諸々の背きと罪人たちを脅かす罰によって引き起こされています。そしてそのように、私たち子どもたちは祈り、犠牲をするさまざまの方法を発明する以外に何を考えるべきか、知りませんでした。これらの子どもたちを聖化したもう一つの事柄は地獄の幻視を見ることでした。」

Dígales también, Padre, que mis primos Francisco y Jacinta se sacrificaron porque vieron siempre a la Santísima Virgen muy triste en todas sus apariciones. Nunca se sonrió con nosotros, y esa tristeza y angustia que notábamos en la Santísima Virgen, a causa de las ofensas a Dios y de los castigos que amenazaban a los pecadores, nos llegaban al alma. Lo segundo que santificó a los niños fue la visión del infierno.


ルシアの使命

「私の使命は、この世界が祈らず、償いを果たさなかったら必ず受けるであろう物質的な天罰について、この世界に指し示すことではありません。いいえ、違います。私の使命は全ての人々に、もし私たちがこのまま罪に頑なにとどまるなら、永遠に私たちの霊魂を失ってしまうというその身に迫る危険を指し示すことにあります。」

Por esto mismo Padre, no es mi misión indicarle al mundo los castigos materiales que ciertamente vendrán sobre al tierra si el mundo antes no hace oración y penitencia. No, mi misión es indicarle a todos lo inminente del peligro en que estamos de perder para siempre nuestra alma si seguimos aferrados al pecado.

回心の緊急性

シスター・ルチアは私にこうも言った。
「神父様、ローマから、教皇様の方から全世界のために改悛への呼びかけがくると期待しないようにしましょう。その呼びかけが司教区の司教様がたから、あるいは修道会からくると期待しないようにしましょう。今は私たち一人一人が自分で自分の霊的改革を始めなければなりません。一人一人は自分の霊魂を救わなければならないばかりか、その道に天主様が置かれ給うたすべての霊魂をも救わなければなりません。・・・」

Padre, no esperemos que venga de Roma una llamada a la penitencia, de parte del Santo Padre, para todo el mundo: ni esperemos tampoco que venga de parte de los señores Obispos para cada una de sus diócesis: ni siquiera tampoco de parte de las Congregaciones Religiosas. No: ya nuestro Señor usó muchas veces de estos medios y el mundo no le ha hecho caso. Por eso, ahora, ahora que cada uno de nosotros comience por sí mismo su reforma espiritual: que tiene que salvar no sólo su alma, sino salvar a todas las almas que Dios ha puesto en su camino.

「悪魔は私たちの気を散らせ、私たちから祈りに対する愛を取り去るために力の及ぶ限りあらゆることをします。私たちは一緒に救われるか、それとも一緒に地獄に落とされるか、でしょう。」


この世の最後の時

「神父様、聖母マリア様は、私たちが世の終わりの時にいると私に告げられませんでした。聖母はこのことを三つの理由で私に理解させてくださいました。」

Padre, la Santísima Virgen no me dijo que nos encontramos en los últimos tiempos del mundo, pero me lo dio a demostrar por tres motivos:


最終的な戦い

「第一の理由は、聖母が、悪魔は聖母マリアに対する一つの決定的な戦いに従事しようとしていると私に告げられたからです。そして決定的な戦いとは、そこで一方の側が勝利し、他方の側が敗北を喫する最終的な戦いです。また今からは、私たちはどちらかの側を選ばなければなりません。私たちは、天主の側に付くか、それとも悪魔の側に付くか、そのどちらかです。他のいかなる可能性もありません。」

– el primero porque me dijo que el demonio está librando una batalla decisiva con la Virgen, y una batalla decisiva es una batalla final, en donde se va a saber de qué partido es la victoria, de qué partido es la derrota. Así que ahora o somos de Dios o somos del demonio.

最後の救済策

「第二の理由は、聖母がいとこたち並びに私自身に、天主は世界に二つの最後の救済策をお与えになっていると言われたからです。これらの救済策とは、聖なるロザリオとマリアの汚れなき御心に対する信心です。これらは他の救済策はないだろうということを意味する最後の二つの救済策です。」

– Lo segundo porque me dijo que dos eran los últimos remedios que Dios daba al mundo: el santo Rosario y la devoción al Inmaculado Corazón de María.


聖霊に反する罪

「第三の理由は、天主の摂理の御計画において、天主は、世界を懲罰しようとなさる前に、常に他のすべての救済策を使い尽くされるからです。ところで、天主が世界は何であれいかなる注意も払わないということを御覧になるとき、そのとき、私たちが不完全な話し方で言うように、天主は『ある虞』と共に私たちに救いの最後の手段、すなわち、御自分のいとも聖なる御母、を提供なさいます。それは『ある虞』と共にです。なぜなら、もしあなたがこの最後の手段を軽蔑し退けるならば、私たちはもはや天から許しを得ることはないでしょうから。なぜなら、私たちは福音書が聖霊に反する罪と呼ぶ一つの罪を犯したことになるでしょうから。この罪は完全な知識と同意をもって、天主が提供なさる救いを公然と拒絶することに存します。イエズス・キリストが非常に善なる御子であり、イエズスのいとも聖なる御母に背き御母を軽蔑することをお許しにならないということを思い起こしましょう。私たちは教会史の多くの世紀を通じて、われらの主イエズス・キリストが御自分の御母の栄誉をどのように常に守られたかを、御母の栄誉を攻撃した人々に下されてきた恐るべき罰によって証明された明白な証言を記録してきました。」

– Y tercero, porque siempre en los planos de la Divina Providencia, cuando Dios va a castigar al mundo, agota antes todos los demás medios, y cuando ha visto que el mundo no le ha hecho caso a ninguno de ellos, entonces, como si dijéramos a nuestro modo imperfecto de hablar, nos presenta con cierto temor el último medio de salvación, su Santísima Madre. Porque si despreciamos y rechazamos este último medio, ya no tendremos perdón del cielo, porque hemos cometido un pecado que, en el Evangelio suele llamarse pecado contra el Espíritu Santo: que consiste en rechazar abiertamente, con todo conocimiento y voluntad, la salvación que se presenta en las manos; y también porque nuestro Señor es muy buen hijo; y no permite que ofendamos y despreciemos a su Santísima Madre, teniendo como testimonio patente la historia de varios siglos de la Iglesia que con ejemplos terribles nos indica como Nuestro Señor siempre ha salido en defensa del honor de su Santísima Madre.”

祈りと犠牲、そして聖なるロザリオ

「神父様、この世を救う手段は2つあります。祈りと犠牲です。
聖なるロザリオに関してシスター・ルチアはこう言いました。
「神父様、ご覧ください。私達の生きるこの最後のときに当たって聖母はロザリオを唱えることに新しい効果を与えてくださいました。たとえそれがどんなに難しくとも、この世的なあるいは、特に霊的な問題、私たち一人一人の個人的な生活上の問題、家族の問題、この世のすべての家族の問題、修道会の問題、民族の問題、国家の問題などなど私たちがこの聖なるロザリオの祈りによって解決できない問題などありません。もう一度言います。それがどれほど困難であろうとも、私たちが聖なるロザリオの祈りによって解決し得ない問題はありません。ロザリオを唱えることによって私たちは自分を救い、聖化し、我らの主を慰め、多くの霊魂の救いを勝ち取るのです。ですから私たちのいとも聖なる母、マリア様の汚れ無き聖心への信心をもたなければなりません。そして聖母を仁慈・善良さ・赦しの座であると考え、天国への確かな門であると考えなければなりません。」

“Mire, Padre, la Santísima Virgen, estos últimos tiempos en que estamos viviendo, ha dado una nueva eficacia al rezo del Santo Rosario. De tal manero que ahora no hay problema, por más difícil que sea, sea temporal o sobre todo espiritual, que se refiera a la vida personal de cada uno de nosotros; o a la vida de nuestras familias sean familias del mundo o Comunidades Religiosas; o la vida de los pueblos y naciones; no hay problema, repito, por más difícil que sea, que no podamos resolver ahora con el rezo del Santo Rosario. Con el Santo Rosario nos salvaremos, nos santificaremos, consolaremos a Nuestro Señor y obtendremos la salvación de muchas almas. (Y finalmente consideremos), la devoción al Corazón Inmaculado de María, Santísima Madre, poniéndonosla como sede de la clemencia, de la bondad y el perdón; y como puerta segura para entrar al cielo.”
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