花郎徒の庵 

目指せ楽隠居! 大長今ファン&歴史フリークの隠者・花郎徒による よろずつれづれ日記です。(*>∀・*) 

兄弟喧嘩の日本史

2008-01-18 18:18:08 | 歴史全般
 一人っ子の私ですから当然ながら兄弟喧嘩の経験はありません。親子喧嘩なら割としょっちゅうやってますけど…
傍から見えていて「この兄弟は本当に仲が良いなぁ」と思える間柄もありますし、反対に「いっつも喧嘩してばかりだなぁ」と思ってしまうギスギスした関係もよく見受けられますから、世の中不思議なものです。

 みなさんのお身内でも少なからずそんな場面を味わった経験がある方もさぞやも多いことでしょう。自分が当事者として生傷が絶えなかったり、下手をしたら喧嘩が原因でお互いに音信不通のままという方もいらっしゃるのでは?
 まぁ、人間生きていく上ではそんなトラブルもあって当然かもしれませんが、なるべくなら無いほうが良いでしょうね。

 古今東西の歴史の中で、規模は異なれど大いに兄弟喧嘩をして世を騒がせた例は数え切れないほどあります。
それは守るべきものが大きければ大きいほどにスケールと過激さを増し、中にはそれが原因でお家騒動や国を二分する戦争まで起こる例も多々あります。

 理由はさまざまですが、古代神話の時代から兄弟喧嘩は歴史が古いと言えます。
例えば、日本神話ではアマテラス天岩戸に隠れた根本原因は弟神スサノオとの確執であり、飛鳥時代の壬申の乱天智天皇と弟大海人皇子(後の天武天皇)の皇位継承を巡る確執に起因していると言われます。
 
 平安初期の桓武天皇は同じように皇位継承で誤解によって弟早良親王と揉め、それが後に怨霊として祟りを為したとも言われ、同末期の保元の乱に至っては、崇徳上皇後白河天皇の権力争いに藤原摂関家・源氏・平氏までが各々の陣営に組して戦い、敗者となった崇徳上皇はこれまた怨霊化したと言います。

 更に源平争乱に終止符が打たれた頃、今度は勝利者である源頼朝とその弟義経が武家政権のあり方に関しての考え方の違いで争い、義経は奥州藤原氏を巻き込んで討死し、これによって鎌倉幕府の権力が半ば決まってしまうという皮肉さも見せました。

 鎌倉後期には再び天皇家で後深草上皇亀山天皇による兄弟喧嘩がもとで「持明院統」「大覚寺統」の二流に分裂、鎌倉幕府の調停により両統迭立という方策が浮かび上がるも、それによる双方の不満が燻った結果、幕府の干渉を嫌った後醍醐天皇が倒幕の兵を挙げ、それに公家や諸国の武家が呼応して鎌倉幕府が滅亡するという思わぬ結果をもたらし、更に二つの系統が残ったことで後に南北朝合一が叶うまでの間、日本は史上稀に見る内戦の巷と化しました。

 建武の親政に対する不満により、足利尊氏を盟主とする武家は政権から離反し、足利幕府(※室町幕府という名前になるのは、三代義満の頃)が誕生します。
その後、幕府内の権力闘争に端を発して初代将軍尊氏と実弟直義(ただよし)が決別、それによりいわゆる観応の擾乱が勃発し、一度纏まりかけた日本国は更なる騒乱の時代を迎えてしまいます。

 南北朝騒乱を治めたのは三代将軍足利義満でした。彼はその類稀なる政治力を駆使して幕府権力を強化するだけでなく、公家や天皇家さえも意のままにしようとした一代の怪物でしたが絶頂期に急逝してしまい、長男の義持と次男の義嗣の間で将軍の座を巡って争いが起こり、それに便乗しようとした鎌倉公方家や守護大名らをも巻き込み、一時は内乱になりそうになりました。
 しかし、結果は義持の勝利に終わり、義満が生前に後継者と目していたはずの義嗣は不遇の死を迎えます。

 義満の孫にあたる八代将軍足利義政の治世でも兄弟喧嘩が起こります。しかも、今度は都を中心に幕府だけでなく有力大名家や地方も二分する戦乱を伴なっての事でした。
 そもそも政治にさしたる関心がなく、文化・芸能方面に強く惹かれていた義政は、正室日野冨子との間に男子が無く、実弟で僧籍に入っていた義視(よしみ)を還俗させた後で後継将軍とするつもりでした。
 
 が、皮肉にもその直後に冨子が男子(後の九代将軍義尚)を出産、冨子は我が子可愛さから決まりかけていた義弟の将軍継承に待ったを掛け、板ばさみになった義政は管領細川勝元に調停を委ねます。調停は不発に終わり、そればかりか冨子は幕府内で勝元に対抗できる人間であった有力者・山名宗全に義尚の後ろ盾を頼みます。
 加えて管領職を務める格式である畠山・斯波の両家にも家督争いが起こり、双方に味方する勢力が東軍(細川方)と西軍(山名方)に分かれ戦を起こします。これが応仁の乱です。
 ちなみに義政は周囲の進言によってあっちへふらふらこっちへふらふらと終始定見がなく、それが結果的に義視の不信感を煽ってしまい乱を深刻化させたとも言えます。

 乱は十年以上続き、結果的に義尚が将軍職を継承しましたが、都を灰塵と化すほどの大乱であった事や守護大名家などでいわゆる下克上の風潮が強まった事もあり、幕府権力は著しく低下してしまい、事実上世の中はいよいよ群雄割拠の戦国時代を迎えることになったのです。

 戦国時代になると各大名家において家督争いによる兄弟喧嘩が度々起きます。例を挙げると…

*堀越公方足利家 ○茶々丸(兄)×潤童子丸(弟)
*今川家 ×玄広恵探(兄)○梅岳承芳(弟・後の今川義元)
*土岐家 ×頼武(兄)○頼芸(弟・よりなり)
*長尾家 ×晴景(兄)○景虎(弟・後の上杉謙信)
*大友家 ○義鎮(兄・よししげ・後の大友宗麟)×塩市丸(弟)
*織田家 ○信長(兄)×信勝(弟・通称では信行)
*斎藤家 ○義龍(兄)×喜平次(弟)
*最上家 ○義光(兄・よしあき)×義時(弟)
*上杉家 ○景勝(兄)×景虎(弟・北条氏康の子で謙信の養子)
*伊達家 ○政宗(兄)×小次郎政道(弟)

 
 また戦国時代ではありませんが、徳川家でも江戸幕府三代将軍の座を巡って徳川家光と弟忠長が争い、敗れた忠長は切腹を命じられるという悲劇があります。

と、言った感じで中世までの我が国の歴史を大まかに見ただけでも、学校の授業でで習う習わないに拘らず、これほどの兄弟喧嘩の例があるのには驚きます。(世界史も含めれば具体例は枚挙に暇なしです…

 単なる兄弟間のトラブルだとか家庭内の揉め事のレベルではなく、それが組織を揺るがすような、場合によっては騒乱を呼ぶようなものがあるのですから、たかが喧嘩とは言い難いものがありますね。

こういう別の角度で見ると結構面白いのが歴史だと思うのですが、皆さんいがかでしょうか? (でも、ビミョーにマニアックすぎてすみません


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2 コメント

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面白い視点ですね (雪の華)
2008-01-19 00:16:39
花郎徒さん
こんばんは。こちらは明日の最低気温が2度。
そちらのー5度に比べれば、申し訳なくて「寒い」とは言えません。
体が慣れて寒さへの覚悟が出来れば、それなりの楽しみ方を見つけたいと思います。
ここ数年暖かい冬だったので・・・。

おっしゃり視点で見ればまた、違った興味が湧いてきます。
聖書に記される、人類最初の兄弟争いカインとアベル
イタリアの起源・・双子の兄弟の争い
様々の国の王位争い等々
大長今もそういう意味では、兄弟争いを周りが
起こし、自分たちの勢力を拡大しようとしました。

教養として「四書五経」が当然の権力者達は、兄弟は仲良くしなければならない事を学んでいるし、学ばなくても分かっているはず。
ですがそこが、人間の悲しい部分ですね。
雪降ります? (花郎徒)
2008-01-19 23:14:03
雪の華さん、こんばんは!
相変わらず寒い日が続きますね。全国の天気では明日は次第に西日本でも雪の降る地域が広がるって出てましたけど、お住まいの地域も該当しますか? こちらは慣れっこなので大丈夫ですが、どうかご自愛くださいませ。

>人類最初の兄弟争いカインとアベル
イタリアの起源・・双子の兄弟の争い
 そうですね。神話の類で言えば、海彦と山彦だったり、大国主命も兄弟争いの側面がありますし、現在BSでも放送中の「チュモン」の主人公である高朱蒙もまた兄弟で争っております。
(史実でも兄らに疎んじられて何度も殺されそうになり、命の危険を察した生母から、国を出て新たな国を建てる様に言われて旅立っています)

>大長今もそういう意味では、兄弟争いを周りが
起こし、自分たちの勢力を拡大しようとしました。
 「中宗反正」はある意味で兄弟間の争いを利用したクーデターですからね。