家族が笑顔でいれるだけのモノがあれば良いです


明るく前向きで、習い事など新しい事にチャレンジするのが好きです

武断政治から文治政治への過渡期にあたる江戸初期、好学と仁政で知られる

2017-03-20 17:46:56 | 日記
武断政治から文治政治への過渡期にあたる江戸初期、好学と仁政で知られる「三名君」と呼ばれる人物がいました。会津藩の基礎を築き幕政でも辣腕を振るった保科正之、今でも“黄門様”の名で知られる徳川光圀、そして岡山藩主・池田光政です。光政による藩内での仁政は多岐にわたり、その一つに全国で最も早く庶民のための教育施設を創設したことが挙げられます。今回はそんな現在も残る仁政の証、岡山の旧閑谷学校をご紹介します。
華やかな中国風の正門「鶴鳴門」
写真:小谷 結城

旧閑谷学校の敷地の隅に設けられた受付に入る前に、見ておきたいのがあります。それは受付の左手に立つ校門です。かつてはこちらが正門でした。正しくは鶴鳴(かくめい)門と呼びます。扉の開閉のとき鶴の鳴く声に似た音が出ることが由来です。
左右に火灯窓をもつ附属屋を配し、屋根には鯱、入口も上端の隅を丸めて火灯形にするなど中国風を意識した造りになっており、見る者に華やかな印象を与えます。
写真:小谷 結城
http://blog.murablo.jp/l12365de/kiji/473635.html
http://spora.jp/sec/diary/587299

屋根を見てみましょう。赤瓦の本瓦葺きになっています。この赤瓦は藩政時代以前より地域で特産する備前焼で、現存の建物のほぼ全てに葺かれています。備前焼は釉薬を塗らない焼き締めという技法を用いて頑丈に焼かれ、その模様は土と炎に委ねられます。そのため、一口に「赤瓦」と言っても色合いが様々になるのです。この色合いの変化に独特な美しさを感じます。棟瓦の幾何学的な意匠も見逃せません。
池田光政を祀る「閑谷神社」
写真:小谷 結城

受付を済ませ、そのまままっすぐ進むと石段があります。この石段の上には閑谷神社が鎮座し、創始者である光政の座像をご神体にして光政が祀られています。建物はやはり赤瓦の本瓦葺きで、火灯窓を備えた中国風です。壁面は白漆喰が塗られ、装飾はなく、桁を受ける舟肘木の印象が際立ちます。
大屋根と火灯窓の壮麗な建築「講堂」
写真:小谷 結城
http://spora.jp/sec/diary/587301
https://suzuri.jp/fahoeruoaroiu/693938/sweat/s/white

講堂は入母屋造り、屋根はしろこ葺きと呼ばれる二段葺きです。四面とも中央の柱間に桟唐戸の出入口を設けて左右に火灯窓を配し、明かり障子を入れています。教育施設らしく、余計な装飾を廃した質実剛健な佇まいです。創設されたのは寛文10(1670)年で現存最古の庶民のための教育施設になります。
全国で庶民教育が盛んになるのは江戸中期以降。諸藩からの問い合わせや視察が増え、全国各地から著名な学者の来校も相次ぎました。嘉永4(1851)年に訪れた熊本藩士・横井小楠は「江戸の湯島の聖堂のほかには、全国でこのような壮麗な学校はないであろう」と述べています。閑谷学校は当時、偉大な教育機関であったことが窺えます。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
«  サロブレーニャ、スペイン南... | トップ |  ロッテリアは、3月25日(土)... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。