翻 身 Fanshen

いつの日か『翻身』を遂げる事を夢見て
歩き続ける想いの旅。

スタートライン

2006年05月03日 | 好き

文章を書くという仕事に携わって1年半が経とうとしている。

まだまだ未熟者で、仕事としてのアウトプットは小さい。



社内外の人物を取材する。
媒体毎の対象に合わせた原稿を作成する。
取材相手に確認も含めてお見せする。

そうすると、ここ半年程は、

「私の取り留めのない話を上手くまとめてくれてありがとう」

と言うような言葉が、笑顔で返ってくるようになった。

ここで私はいつも思うことがあった。

原稿を書く際、取材中に相手が言わなかった台詞や
出さなかった答えを、相手が発した言葉の中から
私なりの考えで使い、結論付けている事がある。

きっとこうした部分を「上手くまとめてくれた」と
言っているのだと思っていた。
だから、その言葉を聞く度、

「取材相手の思っていたことではなく、私が考えた生み出したコトを
表現しているのに、なぜ嬉しいんだろう?半分は私の言葉じゃない?」

と、疑問というか、何か腑に落ちない部分が残ったのだ。

そんなこんなのある日。上司からある本を頂いた。
今まさに読みかけのその本は、「表現」することとは
どんなことかを、とても柔らかな感触で、スーッと人の中に
染み込ませてくれるような本。

「本当の言葉だけが、伝えるスタートラインに立てる」

これを読んだ時、ハッとした。

私は、取材に答えた人の「想い」から発せられた「本当の言葉」を
これまで表現してこれただろうか?

取材をして原稿を書いて・・・
この1年半の中で、何度か行ううちに、それなりの「コツ」は
掴めてきている様な気もする。

すると常に、原稿を理想的なカタチで紙面で掲載するには、
どんな起承転結を作成すれば良いのだろうか、とばかり考える
ようになっていた。

これまで取材内容を「上手くまとめた」のも、その目的を果たす
ためだったのかもしれない。

「本当の言葉だけが、伝えるスタートラインに立てる」

取材相手の「本当の言葉」、「想い」があったからなのだ。
私が考え、生み出したと思っていた「言葉」は、実は取材相手の
「想い」の結晶であった。

だから「上手くまとめてくれて、ありがとう」なのだ。

そう想うと今までの「ありがとう」を我が物顔で聞いていた自分が
とても恥ずかしい。
私こそ「あなたの想いを私に伝えてくれてありがとう」なのだから。

現在、ちょうどある取材を終え、一つの原稿を書こうとしている。
取材相手が伝えようとした「想い」を、「本当の言葉」で表現してみよう。
相手が語った言葉から私が感じた「想い」を、「本当の言葉」で表現してみよう。

1年半遅れだけど。
スタートラインに立つために。