自在コラム

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☆「八田與一」評価視点を変えてみる

2017年05月09日 | ⇒メディア時評

   前回に続いて、台湾・台南市にある烏山頭ダム建設を指導した金沢出身の技師・八田與一の座像の切断事件をテーマに。7日の座像修復の除幕に続いて、昨日(8日)は慰霊祭が行われた。その様子を台南市のホームページから引用する。

 ダム建設後、八田與一は軍の命令でフィリピンの綿花栽培のための灌漑施設の調査ため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で船が沈没し亡くなった。1942年(昭和17年)5月8日だった。つまり逝去75周年だ。慰霊祭は烏山頭ダム公園の座像の前で営まれ、日本側から八田與一の子孫や金沢市の山野之義市長らが出席した。ホームページによると、あいさつに立った台南市の頼清徳市長のあいさつは以下だった(要約)。

   「台南市民を代表して最高の謝意と無限の悲しい思いを込めて献花したい。ことしも無事、慰霊祭を開催することができ、また以前より多くの方々に集まってもらい盛大な催しとなった。銅像の破壊は成功しない、台湾と日本の友好も破壊されない。反対にますます友好関係は堅固で、さらに厚いものになる」
      「87年前に八田與一は烏山頭ダムを建設して、嘉南地区の土地に灌漑が整い、さらに彼はダム建設だけでなく農民を指導し、この地区は今では台湾の米所となった。台湾の農業経済を大いに発展させた。烏山頭ダムは実は同じく多くの台湾人と日本人の心の田を潅漑してくれた。私たちは水を飲むときその水源を思うべきで、内心から八田與一に感謝したい」

   上記の思いを胸に日本と台湾の友好が発展的に醸成されることを祈る。ただ、現実はなかなか難しいようだ。政治情勢は台湾の独立派と中国と台湾の統一派によるつばぜり合いとなっていて、今回のように、独立派が蒋介石像を、統一派が八田與一像を切断するといった、争いのシンボリックな出来事になっている。日本のメディア(9日付朝刊)によると、700人が参列した慰霊祭の場外では、独立派と統一派が集会を開いたようだ。統一派50人ほどが「日本人は帰れ」と叫んでダム公園のゲートに詰めかけたが200人ほどの警察官に阻まれ、大きな衝突はなかった、と伝えている。

   こうした台湾内部の政情と日本と台湾の友好関係が絡まってしまった状況をどうほぐせばよいのか。八田與一の功績は台南市長があいさつの後半で述べたように、87年前の烏山頭ダム完成からすでに地域に認められ評価は確立している。現在、台湾では「ダム水利システム」としてユネスコの世界遺産に登録しようとする動きもあるようだ。

        そこで、八田與一座像を日本と台湾の友好の象徴として強調するより、むしろ、アジアにおける農業発展のダム水利システムの先駆者としての評価を双方で高める方が、八田與一座像が政争に巻き込まれなくて済むのではないか。台南市長のあいさつから、そんなことを考えた。(※写真は台南市役所のホームページより)

⇒9日(火)朝・金沢の天気   くもり


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