先日 結構時間きびしく 市民センターを回っていた時のこと
体操指導士の授業中の高齢者が1号
を見かけ、授業抜け出して駆け寄ってきました。
「あのね 聞きたいことがあったんよ。電話しようかとも思ってた、来てくれてよかった。
今度心臓の手術するから身体障害者の申請しなさいってお医者さんに言われたけど全然わからん。
誰に聞いていいかもわからんの。思いついたのは貴方だけだったの」
はっきり言って・・・担当外です、まったくわかりません
でも 正直うれしかったです。
この一年やってきたことが形として見えたので・・・
「わからないことがあったら一緒に考えよう。
嬉しいこともかなしいことも、ここで一緒に語ろう。
せっかく知り合いになれたんだから、近くにいよう
」
この後数軒のセンター回りながら、ネットで調べ、保健福祉課に電話して聞き
どんな書類をもってどこの窓口に行けばよいのかを走り書きしたメモを渡せたのは数時間後。
「いまから区役所に行ってくる。今日は眠れそうな気がする、ありがとう」
いえいえ こちらこそありがとう
またひとつ学習できました
この一年・・・もうひとつ言い続けてきたことがあるようです。
こちらは無意識でしたが。
どこのセンター行っても「おめでとう
」コールが起きるのです、なぜか
「いくらあったらロンドン行けるの?募金箱はどこに置くの?」
「俺は地域の会長だから、これくらい出さないと
」と5円玉で五輪を作る方も(どーせなら50円にして
)
たくさんの高齢者や関係者にありがたい言葉をいただきます
職場はもちろんのこと、今日は勉強中の温熱の教室でも募金の話が出てました。
友達の家に、いただいたサッカーチケット届けにピンポン押したら
「もう早速寄付金募りに来たんか
・・・え 違うの
」
持ってたチケットで親父のでこをはたいてやりましたが・・・
どこにいっても「おめでとう
」のあとは募金の話
どんだけ1号
=貧乏人
って浸透してるんですかね
のお話ですが
これは事実だからどうしようもありません
中本選手とのかかわりなんてほとんどないのに、このようにたくさんの人に
まるで身内のように「おめでとう
」を言われるのは正直 身の置き場がないですが
これまで それだけ熱心なファン
と映っていたのかとも思うと
身の置き場どころではなく、穴掘って沈みたい気分でもあります
1号
の仕事の最大の目的は、高齢者に生きがいを持った生活をしていただくこと
「夏に楽しみが待ってると思うと嬉しい」
「オリンピックをこんなに楽しみに待つことができるの初めて」
実際に感動を与えられたのは当然のごとく1号
ではなく中本選手ですが
そのきっかけにほんの少し貢献できたことは喜ばしいことだと思っています。
1号
のかかわりあいのある方は高齢者ばかりですが、
これからの世代の人たちには目標としてとらえたり
オリンピックというものが近くに感じられたりと
とても大きな力を与えたことでしょう
2011年9月末現在の北九州市の人口は976,915人です。
下関市の人口は278,619人です。
きっときっとみんなの応援の力=少なくても125万人 が背中を押してくれると思っています。
その力を自分の力に変えられる方だとも思っています。
・・・もう少し力のある言葉を紡げたらいいんですが、何分頭悪くてですね
代表決定から様々なところでいろいろな発言出てますが
なんか 「情けないぞ 日本人
」ってのありますね。
言葉や表現の見える部分でしか判断できないんでしょうか。
話題性だけでオリンピック観るんでしょうか。
内に秘めたるもの・・・それを黙々と燃やし続けていくこと
「武士道」って言葉ご存知ですか・・
精神的価値ですよ 精神です。
丸坊主がいきすぎたパフォーマンスと言われもしましたが
あの潔さは、やはりそれだけのことをやりとおして来た人でしかできないですよ
あっぱれと思いました。
だから その想いを汲みましょうよ、彼の投げかけてきたことを純粋に評価しましょうよ。
まとまりのないこと書きました・・・自分の言葉に力が欲しいな。
応援しましょう 純粋にオリンピックを
マラソン選手を
気持ちよく走ってこれるように
力を出し切れるように
がんばれ 日本