アーバンライフの愉しみ

北海道札幌近郊の暮らしの様子をお伝えしています。

落ち着く先に~

2015年04月30日 | アーバンライフ
新居に持ち込んだ700枚ほどのLPレコード。
この間、梱包されたまま予備室にうず高く積まれていたが、ようやく専用のラックができて、そこに収まった。



このラック、2ヶ購入してそれぞれ組立てクローゼットの中に押し込んだ。
横に2ヶ並べたら、クローゼットの幅にどんぴしゃりだったので、設置するのに苦労した。つまり、クローゼットの扉を外して中に持ち込んだのだが、この扉が重く、再セッテングに四苦八苦であった。

幸い、ラックの容量が手持ちのレコードを収めるのに十分だったので、この方はスンナリ行った。

これで部屋が大分広くなったので、後は、CD(約1,000枚)の収容(棚はある)と、(写真の左側に写っている)雑物の整理だ。ただ、この方は、収容先がまだないので片付きそうにないのがつらい。
コメント

いつも遠くから~

2015年04月30日 | ドラミング
いつも、遠く海外でのスピーチで小出しにしながら、ことの本質を変えようとする。また、国内での議論を経ないまま、条約等の改訂に走る。

今回の米議会での演説でもこれを踏襲したようだ。

しかし、どのような手法をとろうとも、変質への意欲に満ち満ちていることを庶民は見抜いている。29日付け新聞(朝日)の投書をご紹介しよう。


コメント

いやはやの裁判傍聴~泊原発廃炉訴訟

2015年04月29日 | アーバンライフ
昨28日午後、札幌地裁で泊原発廃炉訴訟第13回口頭弁論が開催された。

札幌近郊へ移住した地の利を生かして、早速、裁判の傍聴にでかけた。

裁判所に着くと、すでに100人近い傍聴希望者が参集していた。
傍聴席は59席のみとかで、早速、抽選となったが、家内が外れ小生が当選と夫婦生き別れの結果となった。

今回の口頭弁論は、原告側から映画「日本と原発」のダイジェスト版を上映するということで、実際の弁論はなかった。

この映画は、先の福井地裁で高浜原発3・4号機運転差し止めの仮処分を勝ち取った弁護団の共同代表である河合弘之弁護士が製作・監督した話題作である。

映画は、戦後の日本の歩みから説きおこし、原発の導入にかけた国民の信頼や期待が、福島原発事故で脆くも崩れ去った現実を、映像を使って告発したものである。

しかし、(映画は)原告及び被告席の上部壁に掛けられたモニターに映し出されるだけだから、傍聴席からはよく見えず、従って、ナレーションに耳を傾けていたのだが、後半睡魔に襲われ、これとの戦いになった。

何とも締まらない裁判傍聴ではあった。
コメント (2)

やっと桜が~

2015年04月28日 | アーバンライフ
この2・3日の初夏のような陽気で、当地(札幌郊外)の桜も一気に満開となった。

これは、つい先ほど、マンションを出て撮ってきた線路脇の桜。
山桜で、1本だけの孤高の桜だが、土手の上部は舗装された道路になっているから、栄養不足で元気がない。



それでも、その下を学校へ向かう高校生の列が通る。
今日は、何か試験でもあるのか、彼(彼女)らはそれぞれに参考書を手に持ち、それをのぞきながら学校へ向かう。

また、お隣の公営の駐車場には、めずらしいツツジ(ムラサキヤシオか?)が、これも満開を迎えている。その華やかさは、見る人の気分を盛り上げる。



都会の中のささやかな春だ。
コメント

春は音楽会とともに

2015年04月26日 | アーバンライフ
”北広島の春は爽やかな音楽とともにやってくる”のキャッチフレーズで開催された第16回春の音楽祭。去る19日、同市の芸術文化ホールで開催されました。



プログラムは、モーツアルトのモテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」にはじまり、同ピアノソナタ第18番、ドニゼッティの愛の妙薬から「人知れぬ涙」やヨハンシュトラウスの「春の声」など、春にちなんだたくさんの歌曲や器楽曲が披露されました。

出演者は、道内出身の19人もの将来を嘱望される音楽家たち。
日頃、ロビーコンサートなどに取り組んでいる若手のアーテイストです。

このホール(通称「花ホール」)は、バルコニー席を含め約600席の本格的なコンサートホールで、残響時間も長過ぎず、演奏がピンポイントにフォーカスする音質的にもすぐれた造りのようです。

また、いくつもの活動室や練習室があり、図書館も併設して市民の文化的活動の拠点となっています。



花ホールの紹介がこちらにあります。
コメント (2)

厳しい評価~安倍政権の辺野古対応

2015年04月25日 | ドラミング
目下、官邸に対するドローン問題で右往左往する政権だが、過日、新聞(朝日)に掲載された辺野古対応についてのアンケート結果は、政権にとって厳しい現実となった。

調査は、全国と沖縄のそれぞれについて行われ、記事のイラストに示されるように、政権の対応を評価しないとしたものが、全国の55%に対し、沖縄では73%にも上った。

他方、「辺野古に基地を作らせない」とする翁長知事の対応を評価するとしたものが、全国では54%であったに対し、沖縄では70%にものぼった。



こうして見て来ると、この問題は、同紙が主張するように、一度、工事を止めて仕切り直しをするしか方法はあるまい。

仮に、政権が現行のままゴリ押しすれば、結局、血を見るような結果に陥るのではと危惧する。
コメント

お弁当持って

2015年04月24日 | アーバンライフ
昨日は、久しぶりの快晴になり気温もあがったので、弁当を持って近くの「レクレーションの森」の探検にでかけた。

サイクリングロードをテクテク歩いて「森」へ向かう。



総合体育館の横を通り、北広島高校の交差点にでる。そこを右に折れ、しばらく行くと「森」の入口があった。





入口の近くには、平坦な広場もあったが大半は大木がひしめく林道になっている。





足元には、エンレイソウや水芭蕉などを見ることができたが、いずれも、ニセコ山地のそれとは違って、背丈が低い貧弱なものであった。





つまり、周囲を住宅地に囲まれた「孤立した」森のためか、土壌の栄養が極端に不足しているように思えた。

比較的標高の高い地点に設営された、通称「展望台」にも行ってみたが、そこも鬱蒼とした林で(展望台に登っても)眺望はまったくきかなかった。





その後、「森」の中心部に出てお弁当を広げ、来た道を戻って帰宅した。
2時間半ほどのお散歩探検であったが、久しぶりに林道を歩いたりしたのでとても疲れた。
コメント

初体験~男の料理

2015年04月23日 | アーバンライフ
過日、Eテレの「今日の料理」を見ていたら、何やら美味しそうなチキンカレーを作っていた。

そこで、テキストを購入して見てみたら、小生でもできそうだという気になり、近くのコープへ行き、材料の鶏の胸肉やピーマンなどを買ってきた。

レシピは下図の通りなのだが、胸肉をヨーグルトでマリネしたり、トマトジュースや白ワインなどを隠し味に使う一風変わったカレーなのである。



調理そのものは、何もむずかしいところはなく、レシピに沿い作ってみたら結果オーライ。初めての料理にしては、美味しくできた。



特に、胸肉にしっとりと味がのり、しかも柔らかく、なかなかいけるということになった。

ということから家内におだてられ、昨日、2度目のトライ。
初回と異なり、少し濃い目の味付けとなったが、これも美味しくいただいた。

これまで、自宅で食パンを焼いたり、ステーキの焼き係をつとめたりと、少々、手伝いをする程度だったのだが、都会暮らしになって手すきの時間も増えたので、せいぜい男の料理に挑戦したいと思っている。

コメント (4)

やっとつながりました

2015年04月22日 | アーバンライフ
当地(札幌市郊外)に移住して早や1ヶ月。
昨日になってようやくINET環境が整った。

ただ、接続工事の過程で、マンションの集線装置がIP電話に対応していないことがわかり、電話は接続できず延期となった。

引っ越しシーズンで、INETや電話の工事が猛烈に混んでいるそうで、これらの整備が思うようには進まない。とんだところで、都会の不便さを実感した次第。

この間INETは、JR駅構内の(有料)WiFiを通して、かろうじてブログの更新やメールのやりとりをしていたのだが、その不便さは、環境をなくしてみて初めて知った。

逆に言えば、日頃、如何にINETに毒されているか、よくわかった。
今後はせいぜいホーリックに陥ることなく、適当な距離を保って楽しみたいと思う。
コメント

伏せられた過去~角田光代著「ツリーハウス」

2015年04月21日 | 読書三昧
「後悔したって、もし、なんてないんだよ。」

大陸からの引揚者で、場末の東京で食堂を営なむ庶民の三代にわたる物語。産経新聞2008年10月~2009年9月連載、470頁の大作。



物語~戦後の混乱期、満州から命からがら引き上げ、新宿西口近くに根をはり、親子三代にわたり営業を続けてきた「翡翠飯店」。創業者の祖父母には、子供や孫たちに話すことのできない過去があった・・・。

今の一見平和だが不気味な世の中に退屈せず、決して飲み込まれてはいけないと、命がけの逃避行を経験した祖母は言いたかったのではないか。

特に、満州開拓団から脱走し中国人に身をやつして逃げ延びた夫(祖父)とともに暮らし、そして故国への引き上げまでの苦難を語った根なし草の夫婦の物語が胸をえぐる。

満州、ソ連軍の侵攻、強制収容所、食料不足、子供の死、引き上げ船、闇市、引揚者間の絆等々、ひとつひとつのフレーズが物語る戦後の(親世代の)苦労を(戦後70年に生きる)私たちは決して忘れてはなるまい。
コメント (2)