講堂の東側。
裏側から眺める。
現在は、残念ながらこの右側に既に新校舎が建てられ、ボーリズの設計による名建築の校舎も所在なげに佇む。
今年度は、保存のための改修工事が始まるとのこと。
小学校の前を中仙道が通り、正門の前には一本の松が「中山道(なかせんどう) 往時を偲ぶ 名残松(なごりまつ)」の立て看板と共に残り、その雰囲気をかろうじて伝えている。
近江鉄道の豊郷駅からほど近い場所に、伊藤忠兵衛翁碑がある。
世界的商社伊藤忠の創業者は、この地の出身だった。
先の古川鉄治郎は、この初代忠兵衛の甥に当たり(忠兵衛の妻八重が鉄治郎の母つねの姉)、大阪で成功していた叔父の書生として少年期を過ごす。
初代忠兵衛が急逝(鉄治郎25歳の時)の後は、二代目忠兵衛(鉄治郎の従兄弟)を助け、伊藤忠の経営確立や丸紅の設立などで地歩を築く。
(※参考・「歴史と文化薫る学び舎 豊郷小学校」古川博康・本田清春著)
距離のある正面玄関を望遠で撮影。
右側に小さく胸像が写っている。この校舎が実現する元となった人物古川鉄治郎。丸紅の専務だった氏の愛郷心による寄付によってこの建物が誕生した。