明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

「生きる」について思うこと

2013年06月19日 17時58分49秒 | エッセイ
【鋼の錬金術師】

「たしかにこの身体だと不自由なことはたくさんある
だけど不自由であることと不幸なことはイコールじゃない
哀れに思われる言われはないよ!」


不自由であることと不幸なことはイコールじゃない・・・。
痛みを伴わない教訓には意義がない。
人は何かの犠牲なしに、何も得る事などできないのだから・・・。

僕は「病気」「不自由な身体」という犠牲から何を得たのだろう。
苦しみで錬られる希望・心の豊かさとか、痛みから芽生える優しさとか、逆境をはねかえす生きる意志とか、かたちないものばかりだけど、決して「不幸」というちっぽけなものじゃないことは確かだ。


人は外見や才能、環境を選んで産まれることはできない。
他人の人生と比べてもしょうがない。
ひとりひとりのできることは違うのだから、ひとりひとりの人生だって違っていいはずだ。
たとえ夢見た自分になれなかったとしても、生まれ持った自分、失いながら得てきた今の自分にあるもの、今までの経験や出会い、全てを含めて今の自分が存在している。

僕は生まれながらの病気でなければ、今の自分になれてはいない。
もちろん病気は不自由だ、病気であるが故に嫌な過去もあった。
でも、病気や過去を否定することは、今の自分を否定することになってしまう。
今の自分を受け入れることで、病気や過去を肯定できるんだ。

幸せとは、今得ているもの、今していることを、好きになることから生まれる。
言い換えれば、今得ているもの、今していることを、好きになることで、幸せを感じられる心を手に入れることができるんだ。


【銀河鉄道の夜】

「何がしあわせかわからないです。
本当にどんなに辛いことでも、それが正しい道を進む中の出来事なら峠の上りも下りもみんな本当の幸せに近づく一足づつですから」


♪BGM♪
今を生きる / DOES




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