正月のテレビはバラエティの特番ばかりで、見たいものがほとんどありませんでした。
そんな中、たまたまチャンネルを合わせたNKH教育テレビで面白い番組に出会いました。→「ハートで感じる英文法」
昨年放送された3回分だか4回分の総集編(再放送)だということで、今調べてみたら巷では昨年からすでに話題に上っていたようです。
内容はタイトルからわかる通り、英文法を小難しい理屈ではなく感覚やイメージで理解しようという最近よくあるパターンですが、これが実にわかりやすかった...。
最も印象に残っているのが過去形の使い方です。
英語では would や could など助動詞の過去形を使うことで婉曲な表現になり、日本語の敬語的なニュアンスを伝えることができるということは知っていました。
また、仮定法では現在のことでも過去形を使うということも、知識としては知っていましたが、ではなぜそうなるのかについては全くわかっていませんでした。
その謎を、この番組では2つのキーワードで明解に説き明かしてくれました。
いわく、過去形のイメージは「距離感」と「現実離れ」。
距離を置くべき、あるいは感じる相手には過去形を使う。
ありえない仮定の話にも過去形を使う。
過ぎ去った時間は取り戻せない、どんどんと多くへ行ってしまうという意識から生まれた表現ではないでしょうか。
この説明なら同じ if を使って「もし~なら」と訳しても、単なる「条件」の場合は過去形を伴わないことも理解しやすいですね。
「もし私が鳥なら」は現実離れしていますが、「もしこれをよく読めば」は起こりうる可能性が高いですから...。
「仮定法」というきっちりした形でなくても、たとえば「道で大金を拾うかも知れない」というときは may よりも might の方がふさわしいそうです。
ここにもも「現実離れ」のニュアンス(=そんなことあるわけない)が含まれているわけですね。
すなわち、同じことを表現する場合でも、話者の意識によって現在形や過去形、はたまた未来形が使い分けられているということなのでしょう。
英語もなかなか奥が深そうです。
ところで、間違った日本語のやり玉に挙げられることの多い、マニュアル的接客用語の一つに「○○でよろしかったでしょうか?」というのがありますね。
なんで過去形やねん!...というアレです。
どうやら「過去形にする=敬語、丁寧語になる」と思っている若者が多そうな気がします。
小学生に国語を教えているときも同じような例に出会うことがあります。
「行きます」にすべきところを「行く」と答えた子に、「丁寧な言い方にして」とアドバイスすると「行った」になることが少なくないのです。
中学生でもそういうことが....。
ひょっとして、英語での表現法が日本語にも及び始めているのでしょうか?
そうすると仮定法も....。
アレ?日本語でも「もし○○だったら」と仮定のときに過去形を使うこともありますね。
日本語の過去形にも元々「距離感」や「現実離れ」のイメージが潜んでいるのでしょうか?
...混乱してきました....。
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そんな中、たまたまチャンネルを合わせたNKH教育テレビで面白い番組に出会いました。→「ハートで感じる英文法」
昨年放送された3回分だか4回分の総集編(再放送)だということで、今調べてみたら巷では昨年からすでに話題に上っていたようです。
内容はタイトルからわかる通り、英文法を小難しい理屈ではなく感覚やイメージで理解しようという最近よくあるパターンですが、これが実にわかりやすかった...。
最も印象に残っているのが過去形の使い方です。
英語では would や could など助動詞の過去形を使うことで婉曲な表現になり、日本語の敬語的なニュアンスを伝えることができるということは知っていました。
また、仮定法では現在のことでも過去形を使うということも、知識としては知っていましたが、ではなぜそうなるのかについては全くわかっていませんでした。
その謎を、この番組では2つのキーワードで明解に説き明かしてくれました。
いわく、過去形のイメージは「距離感」と「現実離れ」。
距離を置くべき、あるいは感じる相手には過去形を使う。
ありえない仮定の話にも過去形を使う。
過ぎ去った時間は取り戻せない、どんどんと多くへ行ってしまうという意識から生まれた表現ではないでしょうか。
この説明なら同じ if を使って「もし~なら」と訳しても、単なる「条件」の場合は過去形を伴わないことも理解しやすいですね。
「もし私が鳥なら」は現実離れしていますが、「もしこれをよく読めば」は起こりうる可能性が高いですから...。
「仮定法」というきっちりした形でなくても、たとえば「道で大金を拾うかも知れない」というときは may よりも might の方がふさわしいそうです。
ここにもも「現実離れ」のニュアンス(=そんなことあるわけない)が含まれているわけですね。
すなわち、同じことを表現する場合でも、話者の意識によって現在形や過去形、はたまた未来形が使い分けられているということなのでしょう。
英語もなかなか奥が深そうです。
ところで、間違った日本語のやり玉に挙げられることの多い、マニュアル的接客用語の一つに「○○でよろしかったでしょうか?」というのがありますね。
なんで過去形やねん!...というアレです。
どうやら「過去形にする=敬語、丁寧語になる」と思っている若者が多そうな気がします。
小学生に国語を教えているときも同じような例に出会うことがあります。
「行きます」にすべきところを「行く」と答えた子に、「丁寧な言い方にして」とアドバイスすると「行った」になることが少なくないのです。
中学生でもそういうことが....。
ひょっとして、英語での表現法が日本語にも及び始めているのでしょうか?
そうすると仮定法も....。
アレ?日本語でも「もし○○だったら」と仮定のときに過去形を使うこともありますね。
日本語の過去形にも元々「距離感」や「現実離れ」のイメージが潜んでいるのでしょうか?
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教科書上で教えてもらうだけで、実際の行動やイメージしながら英語って勉強することはほとんどないから、通常の日本語と乖離した使い方をしてしまうこともしばしばなんでしょうねえ。
普通に水曜日は英語しか使ったらあかんDAYとかにすれば、もうちょっとハートで感じることができた使い方だができるのかなあ。
「水曜日は英語しか使ったらあかんDAY」ユニークな提案ですね。ただ、そうなるとフランス語や中国語も黙っちゃいないでしょう。月曜日はフランス語、火曜日はドイツ語....日本語も入れて7カ国語です。どっかの子ども向け外国語教室に「7カ国語で話そう」とかいうのありましたね...。
実はこの番組を担当されている大西先生にはかなりはまっています。長年の読者で本も10冊近く持っています。かなり過激な方です。どのくらい過激かというと、「不定詞も前置詞もない、to は to だ!」と言い放つ方です。学校英文法の転覆を謀っているような方を採用するなんて、NHKもすごい!と絶賛していたところです。ところで、この「ハートで感じる英文法」。先週から、すでに新シリーズが始まっていますよ。もしご存じなくても大丈夫です。明日(水曜日)の朝、再放送がありますから。うちの塾生には、テキストを購入して、TV番組の録画を義務づけています。これは永久保存版だと。笑
>ひょっとして、英語での表現法が日本語にも及び始めているのでしょうか?
「よろしかったでしょうか」で知られる、いわゆるコンビニ敬語がそれですね。過去形を使うことによって、丁寧感を出そうと。この表現は、ちょうど野菜などを買うときに、「2個ほどください」の「ほど」でずばり言わない。「ずばりそのまま」を言うのは「きつい」と思う感覚から生まれた表現だと思います。このあたりの感覚が英語の「仮定法」とつながっているのはおもしろいですね。やはり個別言語を越えたところでの共通感覚があるのだと思います。
すいません。調子に乗って、つい長くなってしまいました。(^_^;)
今日はまた力作、感謝です。
大西先生ってそんなユニークな方なんですか?知りませんでした。こだまさんがそんなに共感されるのですから、よほど過激なのでしょう。さっそく私もはまってみます。有益な情報ありがとうございました。
しかも第二回は明日ではないですか!
朝に弱い長女を起こして見ます。
お薦めしてきながらビデオが録れてなくて、今日の再放送見られませんでした。また総集編に期待です....。テキストも買ってこようかな....。
「~でよろしいでしょうか?」と言うと、「あなたは本当にこれでいいんですね?」というように客の選択、決断を問いただすような感じがします。
「~でよろしかったでしょうか?」と言えば、「接客する側の記憶(メモ)に間違いはありませんね」と確認することになり、接客する側が責任を負うことになると思います。
前者は客に責任を押し付ける、ある意味できつい感じがしますね。後者は、もし落ち度があれば手前どもの責任です、っていうことですね。
まあ、お客さんにはどうでもいい微妙な感覚ですが、上記の理由で接客業ではそういう言い回しの方が誠意があるから採用しているんじゃないでしょうか?
う~ん、....そう言われればそんな気もしないではないですが....。
注文してから少し時間を置いてからなら「よろしかったでしょうか?」が「接客する側の記憶に間違いはありませんね」も納得できるのですが、今聞いたその場で「よろしかったでしょうか?」はやはり解せません。
でも新しい解釈ですね。いつもながら、目のつけ所が違うという感じです。今年もユニークな切り口でよろしく!
こちらもご無沙汰していて申し訳ありません。
「よろしかったでしょうか?」は注文の確認だけではなく、例えば店に入るなり「お一人様でよろしかったでしょうか?」言われたり、レジで精算するときに「以上でよろしかったでしょうか?」と言われることもあります。この場合は過去の意味合いは全くないですよね?
「よろしかったでしょうか?」の方が、「自分はこう解釈したがそれでいいか」というような強引さが感じられるという意見もあって、私はこちらの見方に与します。