水曜日の朝日新聞朝刊に乗っていた一枚の写真と記事。
徳島県神山町。なんだかこの村が熱い様子。
まだいろいろと調べている途中だけれど、引っ越すのも悪くない・・・と突然降ってわいたように思ったのだ。
ある朝急に「あー、タイにいきたい」とか、雨上がりの土のにおいをかいで「あー、ラオスにいきたい」と思うのと似ている。またいつもの発作か!?
でも、私が今の生活に抱いている疑問や、矛盾のいくつかは、この場所が確実に解決してくれると直感したのは確か。節電とか、エコとか、塾とか、キャンプとか、登下校問題とか、オーガニックな食材とか、スマートフォンとか、ベビーカーで入れるレストランとか、休日郊外カフェとか、もうええやん。
私、ここに住んでみたい。
なんで神戸や、大阪に「移住する」とは誰も言わないのに、田舎だと「移住する」っていうんだろう?
そういのもなんかおかしくないか。
週末ごとに自然を求めて、安らぎを求めて、おいしものを求めて、車は走らせてどっかにいくなんて最近ますます間違ってるような気がしていた。貴重な休みをキャンプにつかうのもなんか変。
家の前に自然があれば、もうどこにもいかなくていいやん。車にはねられることに怯えながら子育てするくらいなら、車がないところに住めばいいやん。
私は原発はいらんと思っている。原発反対。ノー原発。
節電したところで、この問題が解決するわけないと思っている。もっと根本的なところでこの国は間違っているし、私たちが暮らし方を変えない限り、自然エネルギーなんかで追いつく問題でもないと思っている(少なくとも今現在は)
この夏、マスコミや役所や企業はバカのひとつ覚えみたいに“節電”っていうのだろう。
・・・・・電気やめればいいやん。「さあ、このテレビを今消しましょう」とは誰も言わない。へんなの。
徳島県、神山町。
誰か情報持っておられたら、教えてください。
私、ここに住んでみたい。っていうか、住んでる絵が見えてもた。
そうなったら何がなんでも行かないと済まない性分なもんで・・・
この支離滅裂な文章が、まさに今の気分を表現しているような(笑)
とにかく、見えた。次が見えた。人生はタッチ&ゴー!! ついてこい。ダンナ氏と子どもたちよ!
日曜の夜にゆっくりお風呂に入りながらふと思ったこと。
生きてても遠い人は遠いし、(距離的にも、心理的にも)
もうこの世にいなくても、近い人はいつもすぐ側にいて、たくさんおしゃべりしているような
気がするな・・・と。
一度生まれたら、死んでも終わらない何かが続いてゆくのかも。
難しいことを考えだしたら、言いだしたらきりがないけれど、
「輪」なんだな、と。
そっか。明日からもがんばろ。
すごいタイトルをつけたものだと、まずはギョッとした。
新聞の書評で見つけて気にはなっていたものの、喜んで買いに行く種類の本でもないので、心の中で保留。
意を決して年末に購入した。
2011年大晦日の夜から2012年元旦の朝にかけて読んだ、忘れられない一冊。
その時なにが起こっていたのか、人が津波に流されて死ぬとはどういうことなのか、死んだ人はどうやって運ばれたのか、そしてどのように弔われたのかが丁寧に記されていて、もちろんこれが全てでないことは分かっているけれど、3分で次のニュースに移るテレビの特集とは違う、読み終わったら忘れられてしまう新聞記事とは違う、ネットで興味本位に流れる事実(らしきもの)とは違う、責任持った書き手が、責任持って書き残そうとする覚悟を感じる一冊でした。本に残してくれて、知りたいと思った人間に知る機会を与えてくれて、本当にありがとうございました。と本に向かってお辞儀したくなるような読後感は、読み終えて半年経とうとする今も続いています。
待ちにまった日曜日。
ふくも一緒に朝寝坊してくれて朝から幸せいっぱい。(といっても8時起床)
3人でホットケーキをつくることに。生クリームも泡立てて、好きなだけ食べて大満足。
最後はボールに残った生クリームをぺろりとなめて至福の時・・・
それからふくあそび。
ただ家にいるだけなのに、ただ身体に触れているだけなのに、心をまっすぐふくに向けると
それだけでふくは犬のように喜んでくれる。ぐるぐるまわって机の角に頭をぶつけて、それでもまだ
笑っている。
たっぷり遊んだ後はベランダから布団を取り込んで昼寝。(でもまだ11時)
起きたら頭の中は肉でいっぱいだったので、肉を食べにいくことに急遽決定。
最近はまっている「平壌冷麺」へゴー!(ここは本当に美味しい。ホルモン関係は絶品。
「ポッサムチプ」を超えたわ。私の中で)
お店の中は完全にコリアン世界。ふくはいきなりお店の女の子(推定8歳)に「オモニごっこしよ!」と
誘われてたし・・・(笑)
今日も肉を堪能して大満足。明日もあさってもここに来て肉を食べたいくらい。(つわりが終わったら肉ブーム)
その後HAT神戸の海辺の公園で夕暮れまで自由時間。
私→ひたすらぼんやり(座ったまま半分寝てた)
ダンナ氏→たまってた新聞を一気読み
ふく→高いところから飛び降りたり、芝生を転がってたり、よそのこどもと交流してたり・・・自分の世界で
自分のサイズを知ったり、限界を測ったり、言語獲得に励んだり
家に帰ったらもうなーんにもする気がなくなって、6時過ぎにお風呂に入って、後は好きにどうぞ、と。
夕ご飯は「トマト一個」
にちようび、これにて終了。
あくびの回数が多いほど、平和で穏やかな一日なのだね。
保育園の先生はやっぱり楽しい。
ほほえみがこぼれる瞬間、「この世界はやっぱりいいものだ」と飽きることなく、迷うことなく感動する。
こども→ 「せんせい、おなかのあかちゃん、どこでこうてきたん?(買ってきたの)」
わたし→ 「あかちゃんはどこにもうってないんよ。かみさまに、だいじにだいじにそだてるので、どうかあかちゃんをください、っておねがいしたらかみさまがくださったんやで」
と(保育士としての)模範解答で答える。私が働いている保育園はキリスト教保育をしているので、大事な場面では必ず神様が登場するのだ。
こども→ 「ふーん、そうなんや。」
自分で答えながら「ふーんそうなんや。」と私も納得。
本当にそうなのかも知れないね。
妊娠したらいろんなことがあっという間にできなくなって、ほりっぱなしにしたこと多数。
人に迷惑もかけるし、食事はまともにとれないし、第一自分の身体なのに、自分でコントロールできなくなる。
この状況をどうやって受け入れたらいいのか・・・寝ても覚めてもそのことばかり考えていた。
妊娠して、「うれしいー!幸せー!ハッピー!」のままずっと幸せに浸って過ごせる人って本当にいるのかなあ?もちろん根底にあるのは「湧き上がる喜び」であって、全てはそこから派生する感情なのだけど。
そして1ヶ月。
中断したと思っているうちは、私もまだまだ甘いな、と思うに至った。
何も止まってない、今はこれが“流れ”なんだ。
このひきこもりの日々も必ずどこかに向かっている。そして舵をとっているのは「私」なんだと。当たり前だ、私の人生なんだから。
私は今まで人一倍自分を大事に、優先させてきたから、正直こういう状況はとても苦手だ。
だけど、「産んでみたい」「育ててみたい」と決めたのも私だ。
立派な母にはなれないけれど、笑顔の妊婦にもなれないけれど、受け入れる努力をもっとせねばいかんなと思う。さあ、夢のおこもり生活はもうおしまい。でてきた腹を抱えて外にでていこう。この世界のきれいなもの、いろんな人の声、朝の光、夕方の空、笑う母ちゃんの声、、いっぱい聞かせて大きくしていこう。
なにかひとつ忘れていると思ったら、思い出した。
図書館で久しぶりに素樹文生の本を見つけたのだ。
■「ワンダラン」 素樹 文生/著
「前にも一度図書館で借りて読んだよなーあれはいつやっけ?」と思いながらページをめくる。
旅本の中で一冊選べと言われたら私は迷わず「上海の東デリーの西」を挙げるだろう。
「旅々オートバイ」と合わせて、今も何度も読み返している。
この「ワンダラン」は日常のエッセイだが、やっぱり彼の文章と視点と率直さが好きだ。
一時、雑誌ananのコラムニストとして登場していた時は驚いたが、いつのまにかパタリと姿を見せなくなった。あんなに駆使していたHP関係も全て閉鎖されている。
もともととても繊細な感性ゆえに精神が不安定になることも多かったようだが、鬱が悪化しているのだろうか・・・また新しい本を読める日が来ますように。
この1ヶ月本ばかり読んでいました。根をつめて読むクセがどうしても抜けなくて
一日に文庫本3冊くらい読んでしまうのはいつものこと。本を読み出したら不思議なことに全くお腹が空かなくなるのは何故?トイレの回数もぐんと減るのは何故?
B型やから??(違うか)
図書館はやっぱり素晴らしい。「本が・タダで・いっぱい・」あるなんて。
ざっと今思い出せるのはこんな本たちです。
■「神の棄てた裸体 イスラームの夜を歩く」 石井 光太/著
「遺書」を書いたこの作者のことがなんとなく気になっていた。(釜石の死体安置所のルポ)
年齢も私とひとつしか変わらないし、「この経験の差はなんやねん」と圧倒されたからだ。
この本はイスラム世界の闇の部分ばかりで、読んでいると本当に暗い気持ちになったが
これも世界のひとつのありようなのだと思った。「闇の子供たち」の読後感に通じるものがあった。
■「ヤノマミ」 国分 拓/著
誰か覚えてないだろうか?「なるほどザワールド」で(たしか)あべちよという女性レポーターがアマゾン奥地のヤノマミ族を訪ねた回の放送を。
私はその時小学4年生で、木曜日の夜9時にテレビの前に座ってそれを観た。もうそれが衝撃すぎて「ヤノマミ」という言葉と共に頭の中にしっかりインプットされたのだ。
文明をほとんどもたないヤノマミ族、森で産まれ、森を食べ、森に食べられるヤノマミのひとたち。
文明に生きる私の感性からは受け入れがたい部分もあったが、もし私が死んで、ヤノマミに生まれ変わったら、なんだかそれはそれでとても楽しみだ。私が生きる世界が全てではないと改めて思い知らされた一冊。NHKのドキュメント、DVDになってたら欲しい。絶対買う。
なんで私はこんなにヤノマミに惹かれているんや?誰か一緒に語りませんか?
■「だれもの人生の中でとても大切な一年」 よしもとばなな/著
よしもとばななのお馴染みのエッセイ。ばななさんがこの震災をどう考えたのか知りたくて購入。ふむふむと思う部分あり、そらないやろーとつっこむ場面あり、そして一時期のように彼女に対して共感できない自分に気づき、読み終わったあと小さな声で「さよなら、ばなな・・・」とつぶやいてしまった一冊。
■「告白」 湊 かなえ/著
ものすごく売れてたから読んでみたかったのだけれど、何の救いもなく、ストーリーも予想通りで、世間があれだけ騒いだのがさっぱりわからんかった。
■「苦役列車」 西村 賢太/著
家の机の上を何気なく整理してたらでてきた。ダンナ氏が購入したようだ。意外すぎる・・・
「暗いよー、こいつ性格悪すぎだよー、こんな男絶対いやだよー、でもクラスに一人はおったよー、バイト先に一人はいたよー、ああ、いやだ」と思いながら読んでたら、終わっちゃった。
ああ、くら。
■「1Q84」 村上 春樹/著
文庫になるのを待っていたの。ずっと待っていたの。その日に買って、、その日に読んじゃったの。もったいないから少しづつ読もうと頭ではわかっているのに、手が動いちゃうの。
最初は青豆→天吾→青豆→天吾って順番に読んでいるのに、そのうち青豆→青豆→青豆→天吾→天吾→天吾って読んでしまうの。
今は4が終わったところ。ビクビクして月がふたつないかどうか確認してしまったわ。
こんな興奮した文章になるくらい私は村上春樹が好きです。
誰か一緒に語りませんか?
でもさ、村上春樹の本ってすごく売れるし、本屋でも当然のように平積みされるけど、ものすごくエッチだと思いませんか?(これ、私ずっと思ってた)しかも普通のセックスが描写されることの方が少ない。私は中学生くらいから読み始めたけど、村上春樹の小説で知ったセックスの形にすごいびっくりしたよ。と同時に「こんなこともやっていいんや・・・」と赦された気にもなったけど。
ああ、早く全部読みたい。
あとは、本棚に並んでるリラックス本。←そう勝手に名づけているコーナーがある
宮田珠己、中島らも、西原理恵子、星野道夫、・・・and more
読書、バンザイ












