飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

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ハルピン学院の廃校から70年余、生存者は卒業生の6%に!

2017年04月15日 16時53分47秒 | Weblog

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  <出席者と一緒に寮歌「松花の流れ」を歌う麻田平蔵さん(左端)>

ロシア語のスペシャリスト養成学校として旧満州(中国東北部)のハルピンに創立されたハルピン学院の記念碑祭が4月15日、東京・八王子の高尾霊園で開かれ、卒業生やその遺族が出席した。終戦で廃校になってから70年以上たち、卒業生1412人のうち生存者は全体の6%に減り、この日出席したのはわずか7人だった。

高尾霊園は都内の桜に比べ、開花が遅く、まだ八重桜などが咲いていて春爛漫の状況。気温も上がり、めっきり春らしくなったこの日、高齢の卒業生や遺族らが三々五々、霊園内の特設テントに集まった。11時すぎ、全員が学院記念碑前に集合し、まず昨年亡くなった物故者17人に黙祷を捧げた。

このあと、卒業生の現状が報告され、生存者は17期から26期まで合わせて91人と、100人を切った。最終学年の26期でも19人に止まっている。このところ、毎年のように年間10人以上が亡くなっている。この1年間に亡くなった17人の中には、記念碑祭で毎年のように司会を務めていた藤木伸三さんや、廃校になる際、燃え残った校旗の一部を日本に持ち帰り、記念碑の中に収納した佐藤タカ男さんもいる。このあと姉妹校の富士高等女学校の卒業生が校歌を合唱、続いてハルピン学院寮歌「松花の流れ」を全員で合唱した。

最終学年の26期代表、奥田哲夫さん(88)が閉会の挨拶で「同期で100人入学したが、4ヶ月経ったら終戦になった。一旦停戦にしてまた戦争をやろうと思っていたら、校長らが自決してして終わってしまった。結局、我々が最後の後始末をして帰国した」と語った。続けて奥田さんは、3年後にハルピン学院創立100周年を迎えることを明らかにし、「私もサプリメントを飲んででも生きて、その日を迎えたい」と言って笑わせていた。

最後に、24期生の麻田平蔵さん(92)が挨拶し、お互いに元気で頑張ろうと呼びかけた。ハルピン学院の卒業生は戦後、全体で同窓会を開いていたが、1999年を最後に幕引きした。その後、麻田さんは高尾霊園の一角を購入して記念碑を建立、記念碑祭を主宰している。「私がいなくなっても息子や孫に引き継いでもらう」と宣言していて、ハルピン学院の卒業生がゼロになっても“ハルピン学院精神”は遺族に引き継がれていくに違いない。

ハルピン学院は当初、専門学校としてスタートしたが、1932年にハルピン学院に改称。満州国建国後は国立大学としてロシア語のできる官僚や商社マンを育てた。卒業生には翻訳家の工藤精一郎氏、文学者の内村剛氏がいるが、2人とも故人になっている。(この項終わり)
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