飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するホットなニュースを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外に面白い!

来日ロシア人研究会、21年目の休会!

2016年10月02日 17時26分45秒 | Weblog
(写真は、最後の研究会で、これまでの活動状況を回顧する中村喜和さん=左=と長縄光男さん)


ロシア革命以後に日本にやってきたロシア人の足跡と日本人との交流を研究する「来日ロシア人研究会」は結成から21年目の10月1日の研究会を節目に、休会することになりました。この日は、ちょうど100回目の研究会でした。プーチン大統領が来日し、新たな日露関係を築こうという矢先に休会となるのは誠に残念です。

この研究会は、先行の『「ロシアと日本」研究会』が1992年に終結した後、ロシア文化研究者の中村喜和さん、長縄光男さんらが集まって1995年、新たな研究会を立ち上げました。会の名前は最初、「亡命ロシア人研究会」でしたが、その後、人物交流を中心に日露文化交流史を研究するフォーラムにしようということから「来日ロシア人研究会」という名前に変わりました。

その結果、学者だけでなく、一般市民の参加も認め、アカデミズムとアマチュアリズムの融合を目指すことになりました。そして、この研究会は規約もない、会費も取らない、経歴も問わない、というユニークな会になったのです。つまり、日本人もロシア人も自由に出入りできるが、お互いに敬愛の念を持つことだけを参加資格にするという、自由な集まりになったのです。筆者もモスクワ特派員から帰国後、2000年ごろから参加し、日本にやってきたロシア人の足跡を学んだだけでなく、ロシアに関心のある多くの人たちと知り合いになることができました。

最終回の研究会では、中村喜和さんと長縄光男さんがこれまでの研究会の活動を回顧し、人と人との触れ合いや、研究会存続の苦労話などをされました。この中で、中村さんは最近東京で見たロシア映画「ユノーア号とアボシ号」の話をされました。この映画は、幕末期に日本に開国を求めてやってきたロシア帝国外交官レザノフ(当時42歳)が帰国途中、スペイン人の15歳の娘と恋に落ち、結婚を約束しながら不慮の事故で死亡、娘は35年間、レザノフを待ち続けたという実話をもとに制作されたそうです。江戸幕府に開国を拒否されたレザノフはその後、部下に仕返しを命じ、彼らが北方4島の村々を襲撃し、その後、日本国内で”対露恐怖症”が広まるわけですが、その陰でこうした儚い恋の物語があったとは知りませんでした。研究会では、こうした思いがけない話が聞けるのが楽しみの一つでした。

この研究会には、毎回30人以上の参加者がありましたが、最終回にはその倍以上の参加者で会場はいっぱいでした。日本人とロシア人が気軽に交流でき、時には議論を戦わすこともありましたが、お互いの理解が進むきっかけになった事は間違いありません。聞くところによると、研究会はしばらく解散せず、ロシアから著名な学者や文化人が来日した時は、臨時の研究会を開く計画もあるそうです。また近い将来、この研究会が復活することを願ってやみません。

研究会では、研究の成果をまとめ、これまでに『異郷に生きる 来日ロシア人の足跡』シリーズを成文社から計5冊刊行しています。最終刊は『異郷に生きる Ⅵ』で、現在発売中です。(この項終わり)

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