飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するホットなニュースを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外に面白い!

ソ連崩壊から四半世紀。変わらぬロシアとどう向き合うべきか?

2016年12月10日 09時52分59秒 | Weblog

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かつて米国から「悪の大国」と言われたソ連が1991年暮れに崩壊してから早四半世紀が立つ。この間、新生ロシアは市場経済に移行し、民主制度を構築したものの、ソ連時代の大国体質が時折顔を出し、西側諸国の反発を買っている。隣国である日本は、この国とどう付き合えばいいのだろうか。

筆者はソ連崩壊時、モスクワに駐在し社会主義大国・ソ連の落日をつぶさに観察した。人類初の社会主義大国は国民の支持を失い、統制経済が立ち行かなくなると、倒れるのはあっという間だった。70年余続いた共産党の支部から党員が次々姿を消し、幹部連中は国有財産をタダ同然で掠め取ったのだ。

ソ連崩壊の直前には国営商店の棚から商品が消え去り、我々外国人は外貨ショップで買うしかなかった。だが、ロシアの庶民はどっこい、生き残った。労働者は組合間の物資横流しで融通し合い、年金生活者は菜園付き簡易別荘(ダーチャ)で食いつないだ。外国人には餓死者が出ないのは不思議だったが、2度の世界大戦を乗り切った庶民の知恵は偉大だった。

市場経済への移行は早かった。ソ連崩壊のショックも癒えぬ翌年の正月3日には統制価格をほぼ一斉に自由化した。その途端、国営商店に商品が出回り始め、価格が一気に値上がりした。この悪名高きショック療法で庶民の暮らしはたちまち苦しくなり、社会が大混乱した。そのスキに乗じてマフィアが跋扈し、一時無法社会に陥った。

この混乱の中でも、社会に押し流されず、抵抗した庶民が少なくなかった。筆者が目撃したのは、泥酔した男がパン屋に入っていき、店員を怒鳴りつけ、オタオタしている間にパンを持ち逃げした光景だ。筆者はすぐ通りに出てみたが、顔の赤い男の姿は見えなかった。見えたのは、奥さんらしき女性と談笑しながら歩いている中年の男だけだった。その男が酔ったふりをしてパンを盗んだのは明らかだった。「さすが、役者が多い国だな」と感心したのを覚えている。

ロシアには大昔から近隣国家に支配され、痛めつけられた歴史がある。日本のような島国と違って、平原の国家の宿命かもしれない。中でも、ジンギスカンの末裔に約200年間も支配された「タタールのくびき」はロシア社会に大きな爪痕を残したが、外国人の抑圧をいかに最小化するかを身を以て体験したとも言える。こうしてロシア人は苦難を耐え抜くことと、抑圧から逃れるすべを学んだのである。今日本が直面しているのは、こうしたタフなロシア国民とどう向き合うのかという難題である。

プーチン大統領の訪日が決まった時には、北方領土をめぐる交渉への楽観論がにぎわったが、トランプ氏が米大統領選に勝利した頃から風向きが変わってきた。プーチン大統領を始め、ロシア高官は揃って日本への態度をトーンダウンさせている。今では北方領土での共同経済開発しか解決の道がないような雰囲気になっている。だが、交渉上手なロシア人に騙されてはいけない。これも、いかに交渉を有利に運ぶかの作戦の一つに違いない。

筆者の数少ない体験からしても、ロシアほど先が見えない国はない。逆にいうと、予想をしても結果的に間違うことが多かった。ロシアはまさに「予想できない国」である。と言って、要求を下げては相手の思うツボである。あくまで要求を貫き、主張すべきである。そうすれば、さすがのロシアも、根負けしてこちらの要求を受け入れるかもしれない。今まさに我々は、タフなネゴーシエイターを相手にしていることを自覚すべきだと思う。(この項終わり)


 
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