しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に <わたしの正しいしもべ>

2016-11-20 | みことば静想

百合が原公園「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。」(イザヤ53:11新改訳)

主が十字架でこと切れた後、兵士のひとりが死を確認しようと、その脇を槍で貫き通した。ヨハネは「すると、ただちに血と水が出て来た」(ヨハネ19:34同)と記している。▼血液は血漿(けっしょう)という透明の水と血餅(けっぺい)という半固形物から成る。血液が体中を流れているときは両者が分離することはなく、真っ赤な液体のままである。主のおからだから血と水が流れ出たとは、心肺が停止して血の循環が止まり、体内に滞留したために「水と血」に分かれたのであろう。すなわちこれは、主が完全に死んでおられたことの証拠であった。▼それとともに、これは主がいかに激しく苦しまれたかを示すものではないだろうか。ゲッセマネから十字架の死まで一昼夜、人類に対する神の燃える怒りを受け止めた主のおからだは、罪なき神の子とはいえ、耐えられぬほどの「重圧」にさらされた。全身の力は水のように流れ出てしまい、体は土器と同じく乾ききり、舌は上あごにくっつき、骨々はみなはずれ、心はロウのごとく溶けた。▼その「激しい苦しみのあと」が水と血ではなかったか。この傷こそ父なる神の御満足のしるし、私たちの平安と癒しのしるしである。「あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。」(Ⅰヨハネ5:7,8同)

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