しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 詩篇116篇 <死の綱が私を>

2017-05-22 | 詩篇

むらさき花「死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。そのとき、私は主の御名を呼び求めた。『主よ。どうか私のいのちを助け出してください。』」(詩篇116:3,4新改訳)

作者はたぶん大きな苦しみか重病の床に落ちて、死を目前に意識したのだろう。この叫びが思わず出たにちがいない。私はこの場面から、死を宣告されたイザヤ、大魚に吞み込まれて死の門まで下ったヨナが祈った祈りを思い浮かべる。雰囲気がよく似ているからだ。▼健康で財にも恵まれているとき、人は自信いっぱいで大口をたたく。しかしいったん病気になり、苦難の底に落とされると、今までの意気軒昂(いきけんこう)な姿はどこかに消え、死の恐怖におびえるあわれな者となる。あまりにも対照的なその落差を、私は重病の床におられる何人かの見舞いで目撃してきた。▼そのようなとき、そばに寄り添い、恐れから自由にしてくださる方はイエス・キリストをおいてほかにはいない。なぜなら主はゲッセマネで死の恐怖を味わい、十字架で御父から捨てられ、生きながら滅びの苦しみを味わわれたお方だからである。しかもただ味わっただけでなく、復活によって死を打ち破られた勝利者なのだ。▼だからむやみに強がったり、傲然(ごうぜん)とうそぶいたりせず、心くだかれて内なる主イエスを仰ごう。そうすれば、神は死の苦しみから自由にして下さり、決してうばわれない心の平安をお与えになる。「死の恐れは全く消えぬ、イェスを信ぜしより、あまつ住まい備えたもうイェスを信ぜしより、イェスを信ぜしより、イェスを信ぜしより、喜びにて胸は溢る、イェスを信ぜしより」(新聖歌262)

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