しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 黙示録4章 <あなたのみこころゆえに>

2017-10-07 | 黙示録

ばら秋咲「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(黙示録4:11新改訳)

全てのキリスト者を代表すると思われる24人の長老たちは、ひれ伏して神をほめたたえ礼拝する。そのとき発した言葉がこの聖句。▼人間だけでなく、全宇宙とその中にある造られたものは、神が望んでおられるからこそ存在できる。その事実を心深く思い、続いて私たちの微小さ、神の測り知れない偉大さと慈しみの大きさを思うべきである。▼キリスト者は主日ごとに教会へ行き、集まって礼拝をささげる。もちろん幸いなことだが、本当は地上に生きている全時間が礼拝であるべきなのだ。いや、私たちのひと呼吸、ひと呼吸が礼拝であり、賛美であり、感謝であるべきだ。▼御座の周囲にいるケルビムは獅子、牛、人、鷲の形をとっており、全生物の象徴であるが、昼も夜も永遠に神を拝し、たたえて叫んでいる。この崇高極まりなき天上の光景を心に映し、ひれ伏して神をほめたたえようではないか。それこそが教会とキリスト者の使命なのだから。◆主はスミルナとフィラデルフィア教会に「いのちの冠」を約束し、また与えられた。24人の長老たちがかぶっている金冠はそれであろう。これが、何らかの褒章を意味するのはあきらかだ。ところが天上の大礼拝が始まると、彼らはそれを「かぶっていられなくなり」、御座の前に投げ出してしまう(10節)。神の栄光と誉と力が高さ、広さ、長さ、深さにおいてあまりにも広大無辺であり、全意識を占領されてしまうからにちがいない。礼拝とはこれである。神が信仰に対する答えとして冠らせてくださった黄金冠さえ、投げ出してしまわずにいられなくなる。それがほんとうの礼拝、偶像からの真の聖化だ。私たちの教会がそこまで導かれますように。