しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 詩篇82篇 <神々のさばき>

2017-03-22 | 詩篇

金岡公園「いつまでおまえたちは、不正なさばきを行い、悪者どもの顔を立てるのか。」(2)

この章には、神々とよばれる者たちがさばかれる有様が記されるが、だれを指すのだろう。▼主は、「神のことばを受けた人々を、神と呼んだ」(ヨハネ10:35同)と言っておられるから、律法学者や祭司階級の人々を指すと思われる。彼らはモーセの時代から民の指導者であり、裁判もつかさどっていた。正義の名のもとに人をさばく者たちは、ある意味で神の代弁者といえるし、さばかれる人の一生を左右する権威を持つから、その責任も人一倍重いのは当然といえよう。▼イエス・キリストをさばき、神を汚す者として死刑判決を下した、当時の祭司長やサンヒドリン議員たち、ユダヤ総督として死刑の最終決定を下したポンテオ・ピラトは、最後の審判において全能の神から判決を受けることになる。私たちも同信の兄弟たちを安易に批評し、さばくべきではない。自分が罪びとの頭であることを深く思い、神を心からおそれ、常に愛を基に接すべきである。「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。」(ローマ2:1同)▼私を救いに導いてくれた牧師は、太平洋戦争中、キリスト信仰(特に再臨信仰)の故に弾圧され、3年4ヶ月投獄されていた。戦後、判決を下した検事のひとりから私信が来て、そこには「国の方針だったとはいえ、罪のない人を刑に定めて、まことに申し訳なかった」と謝罪の文章が書かれていたという。これは恩師から直接聞いた話である。