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二度目の退院

ルー・マニアが増殖中という事で、エブリバデイがルー語をスピークして
ベリーエンジョイしているのでしょうか。

明日の検診もオールナッスィングでハッピーな気分でカムバックホーム
できたらベリーベリーグレートなのに・・・



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<・・・一年前>

・・・2006年 4月19日


再入院してずっと、せっかく移植手術まで受けたのになんで???
なかなか腹痛が治まらず、検査ばかりでイライラしていた。

結局緊急を要する所見は見当たらず、結論としては胆管に狭小部分があり
胆汁の流れが悪くなっているらしいという事だった。


胆汁のうっ滞が起こっているので、当然の事ながら、ビリルビン値は高め
で、GOT・GPT値も高く、γ-GTPも200を上回っていた。


4月19日、主治医でもあるF教授から今後の方針について、妻と共に説
明を受ける。
この段階での問題点はただ二つだけ。
・胆管をどうするのか
・シャントをどうするのか

胆管は通過が悪くなっているので、黄疸や炎症、発熱の原因になるので、
これを人工の管を通して強制的に体外に排出しなければならない、
これを放射線科で行うとの事。

なぜ放射線科なのか良くわからなかったが、放射線科の予定があるので、
第一外科だけの判断では決められないということだった。

そしてシャント。最初の退院の時から言われ続けてきていることで、
シャントの閉鎖、というのは、移植手術時、移植された肝臓に血液が流入
し過ぎるのを防ぐ為に、2方向に分岐したことで肝臓への血流不足となり、
肝再生の妨げとなった為、これをなんとか処置しなければならない、かも
しれない、という何ともハッキリとしない内容。

又、腹を切って手術なんてとんでもない、とこの時は思っていたが、これ
が結果的には回復が半年延びる一因になってしまった。

ところが後々わかってきたのだが、この手術、この時点では方法論さえ
定まっていなかった。
しない、のではなく、できなかった。
できなかった、というよりは、極力他の方法でなんとかなるなら、という
のが正しいのかもしれない。


4月21日、朝の回診で、放射線科の予定が決まらず、GW明けに再度
入院するという事で、翌22日に一旦退院することになった。


仕事も気になっていたので、少しでも早く先に進んでほしいという気持
ちと、とりあえず連休を自宅で迎えられるという気持ちと、複雑だった。


それにしてもやはり思うのは、「あんな思いをして、移植手術までした
のになんでよ、」というのと、「いったいどうしたら良くなるんだろう」
という、なんとも言えない不安と・・・。


4月22日、二度目の退院。
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内視鏡的逆行性膵胆管造影検査

午前中、ZARDの坂井泉水さんが亡くなられたと、速報が流れました。
まだ40歳、まさにこれからという時、無念だったと思います。

子宮頸がんにも肺の転移にも「負けないで」頑張っていたことと思います
が、残念です。

そして午後、「なんだか還元水」の大臣の自殺が伝えられた。
当然の事ながら、話題はこのニュース一色だが、自らの説明責任を果たさ
ぬまま自らの命を絶ってしまった無責任な大臣と、必死で病気と闘い、た
くさんの人に勇気を与え無念のまま亡くなった坂井さんと・・・

命の価値に差は無いのでしょうけど、何と言ったら良いか。



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<・・・一年前>

・・・2006年 4月11日


腹痛の原因を検査で探りつつ、なかなか特定できなかった。

4月11日、胆道の症状を把握する為、長~い名前の検査を行った。

「内視鏡的逆行性膵胆管造影検査(ERCP)」

何だこれは、と思いつつも、きちんと説明を受けるうち、更にわからなく
なってしまった。
胆管が肝臓に入った所で狭小化し、胆汁の流れが悪くなっているらしい
ということは理解できた。

その為専用の内視鏡を十ニ指腸まで挿入し、更にカテーテルというチュー
ブを挿入し、造影剤を注入、X線像を撮影するというもの。


説明時、所要1時間程度と言われていたが、3時間弱もかかってしまった。

この検査に限らず、検査名と同じでとにかく長くなる。
自分の場合だけなのかもしれないが、だいたいが予定時間の倍以上だ。

検査を重ねるたびにその事に気付いてきて、検査中はできるだけ自分を
捨てるようになった。
客観的に自分を見るようにして、何も考えないでいると結構耐えられた。

胆管の検査などは麻酔を使えないもの(使えたとしても弱いもの)が多く、
3・4時間かかる検査もあり、有効な方法だった。

「痛い」と思えば痛いし「こんなもの」と思えば耐えられる。
そのうち看護士さん達にも「Mさん、痛みに強いよね」と言われだしたの
で、慌てて否定し、「お手柔らかにお願いします」と心の中でつぶやく
ようになった。


それでもこの後、もっともっと痛い事が待ち受けていた。
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やっぱり・・・

「鬼嫁日記」をTVで見るよりも、ブログを見るよりも、
もっとリアルなものがココにある、と嘆く殿方、全国にいったい
何人いるのでしょうか?!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いい湯だな




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<・・・一年前>

・・・2006年 3月27日


2月の退院後、肩の痛みや足のむくみが気になりながらも仕事ができる
ことがうれしく、ほぼ休みなくこなしていた。

しかしそれも4週目になる頃から徐々に辛くなってきた。
半年振りの仕事で、頑張らねばという思いが強く、少し無理をしたせい
もあるが、まったく集中できなくなってしまった。

なんとか仲間の手を借りて乗り切ったが、限界も少し感じていた。


3月26日、退院の内祝いで姉と親戚を訪ねた帰りのスーパーで突然の
激しい腹痛。
なんとか帰宅はしたが、翌朝もなお強い腹痛に襲われ病院へ。
そのまま入院となってしまった。

自分ではまったくわけがわからず、医師達の「どのあたりが痛いのか」
という問いかけにもうまく答えることができなかった。

腹部全体というか、一点に絞って「ここ」という痛みではなく、それで
いて立っていられない強い痛みだった。

当然の事ながら、入院後は各種検査の連続。
CT,MRI,心エコー,肝生検,X線と毎日。
移植後の腹部の激しい痛みで、まず拒絶反応が疑われ、肝炎の再発の
疑いも。


腹の痛みにはほとほと参ってしまったが、ただ肝炎とか再発とかそうい
う危機感は自分自身はなぜかほとんど無かった。

「癌の疑い」を持たれた時もそうだが、なぜかあまり危機感が無く、そ
れよりも目の前の検査や診察、絶食や大量の薬や採血に測定、そんなも
のに追いまくられ、ゆっくりと悩んでいる暇など無い、そんな毎日だっ
た。

今思うと、きっとそうやって気を紛らわしていたのかと思う。
そうでもしないと不安で不安で耐えられなかったような気がする。
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感染

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・・・・・・・・・・
ふと目に付いた本「感染」、タイトルが気になりつい買ってしまった。
医学系大学出身の仙川環さんの作。

仕事の合間をみて、夢中になって読んでしまった。

内容は子供の臓器移植と親子の愛情、そして異種移植が絡んだ重い
ものだった。
元気になる前であったら絶対に読めなかった本、なにせこの手の情報
を完全にシャットアウトしていたから。

妻には「こんな時にそんな本読まなくてもいいしょ」とか言われつつ
今だからこそ読んでみようと思った。

そろそろ目の前の現実に真正面からぶつかっていかなければならない、
なんて偉そうなことではないが。

それにしても日本の移植医療の後れ、他国に比べ40年も後れをとっ
ているという現実。
小さな子が命を求め外国に行く姿をTVで見るたび、なんとも言えない
気持ちになる。

この本の中で、主人公の夫、移植外科医が
「臓器さえ提供してもらえれば何人の命が救えるのか」
と憤慨する。
そして
「誰もが心臓や肝臓を灰にしてしまう」
と嘆く。

賛否両論渦巻くこの問題、移植そのものを良しとしない人がいる現実。


それでもただ一つ言える事、
みな可能性がある限り、生きたい、生き続けたいということ、
そして移植によって助けられた命が実際にあるということ。


この本を読んでみて、移植に対する研究、医療技術の発達、これらが
決して後退しないよう祈るばかりです。
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癌の疑い??

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<・・・一年前>

・・・2006年 3月10日


2月の退院後、体調に不安を抱えながらも仕事は忙しくなっていった。

一つ気になっていたのは、右肩甲骨の痛み。
退院前、病院内でのリハビリ中に痛みを感じた場所だった。

ちょっとした筋違いかなにかと思っていたのですぐ治るだろうと考えていた。
この時は。


半年間、家を空けていたので、仕事以外にもやらなければならないことはた
くさんあった。
でも体は自分が考えていた程は動いてくれなかったし、毎週外来にかからな
ければならないので、仕事以外はほとんど何もできなかった。


3月10日、この日の定期検診は泌尿器科も受診。
ずっと貧血が続いていたため、内視鏡も行った。

詳しいことは聞かなかったが、医師の話しでは、尿中に癌の疑いがある、と
のこと。

「癌の疑いがあります」

と聞いても、まったくピンとこなかった。
ショックもなければ、何もない、というか漠然と「たぶん違うな」 と何の
根拠もない思いだけだった。


今考えると不思議だが、きっと移植を経験して、いろんなことがあり過ぎて、
ある意味冷静でなかったのかもしれないと思う。
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母の日に思うこと

子供が産まれてずっと思い続けてきたこと、それは母親が子を想う気持ち、
そして子が母親を慕う気持ち、二つとも父親と子との、それらとは明らかに
違う。遥かに大きく強い。

我が子が成長してきた段階で常に感じてきたことだ。

そして自分自身が成長してきた過程でも。


一見仲の良い父子であっても、結局最後は母親だし、どんなに子を想っても
母親の愛情には勝てっこない。
もちろん勝ち負けということではないけれど、母親のお腹で育ててきたのだ
から。


母親は、そして女性は男が羨ましくさえ感じる「ある強さ」を持っていると
思う。

時々思うこと、もし万が一、この病気になったのが自分ではなく妻だったら、
はたして一年間、自分はやってこれただろうか、と。

病気に対処しつつ、毎日病院に通い、病状に一喜一憂し、子供を育て、家事
をし、仕事をして、夜誰にも愚痴をこぼせず、不安を抱えたまま床に就く。
手術の成功に喜び、回復の遅れに落胆し、痛みに苦しむ姿をただ見ているこ
としかできず、病室では笑顔しか見せることができない。

笑顔しか見せない、というのは二人の姉もそうだ。
一年間を通じて自分の前ではけっして涙を見せなかったのに、自分の知らな
い所で泣いていた、というのは後で妻によく聞かされている。

相当の覚悟と強さを持てないと、・・・自分には無理だなと思う。


闘病中、妻は妻である以上に母だったと思う。
けっして子供達に対しても手を抜かなかった。

その時やれることはきっちりとやってくれていた。
だから今がある。

「オカンとボクと、たま~~~にオトン」だったこの一年半、子供達のここ
ろはさらにどんどんと母の方へ。

早く、頼りにされるように頑張らないと。

せめてせめて、「オカンとボクと、時々オトン」に早くなりた~い。
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採血と点滴

ちーさんにコメントを頂き、採血の辛さを思い出してしまいました。


ということで今日のブログ。

入院中はほぼ毎日、朝6時にその日の採血がある。

基本的には点滴の入っていない腕から摂るのだが、採血が重なってくると
血管が固くなってくる。
クッキリと浮き上がって、いかにも血を摂って下さい、というような状態でも
固くなると、注射針が弾かれてしまうらしく、なかなか入らない。

なので腕を左にしたり右にしたり、微妙に場所をずらしたり、工夫しても
上手く針が入らない時は、痛いながらも、必死で挑戦する看護士さんが、
気の毒になったりした。

確かに看護士さんにも、注射が上手な人とそうでもない人が居ることには居
たが。

採血も大変だったが、点滴も大変だった。
点滴は1回注射針を挿すと1週間近くそのままなので、上手くいった時はい
いが最初から痛い時など悲惨だ。

とても上手な先生、看護士さんがいて、なんの違和感も感じない場合は3週
間近く、そのままにしたり(本当はだめなんだろうけど)、それでもすぐに
挿す場所がなくなる。

それは血糖値を測定する時もそう。
針を挿す指が無くなる。

自分でインスリンを打つ時もそうだ。
自分では腹に挿すのだが、腹も固くなり挿す場所が無くなっていくのだ。


ちなみに点滴の針を挿すのに、一番しっくりいったのは、二の腕の内側、痛
みもあまり感じず、行動するのに邪魔にもならなかった。
逆に一番勘弁してほしかったのが手の甲、特に手首の曲げに影響のある場所
は、痛いのと手を使うのに不自由なのとで、できるだけすぐ変えてもらって
いた。

それでも入院中はそれらが当たり前で、あまりに日常で、耐えられないとい
うことはなかったが、今は2週に1度の採血が、とても辛い。


入院中の5倍くらい痛く感じるのは、・・・贅沢??
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退院後の生活

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<・・・一年前>

・・・2006年 2月17日


とても長く感じた半年だった。

突然の発病、1か月の透析治療、移植手術、拒絶反応、肝性脳症、思いもよ
らない数々の出来事。

自分の中では一年以上は病院にいたような感覚だった。
実際、前年暮れに一度、父に「今年は何年?2006年?」って聞いた覚え
がある。
「違うよ、それじゃあ一年過ぎたことになるしょ」
「えっ、年越してないの?」
こんな感じだ。

だからこの日、半年振りの我が家があまりにも懐かしく、そしてなんとも言
えない違和感があった。

それでも我が家、また元の生活に戻れる喜びで一杯だった、と言いたいとこ
ろだったが、抱えるものが多すぎて、単純に喜んでばかりもいられなかった。


まず体調面では,まだまだ残る倦怠感、そして足のむくみ。
特に左足のむくみは日増しにひどくなり、元々履いていた靴は履けなくなって
いった。

そして薬の量。
退院時、かなり減ったとはいえ、やはり自己管理の上で飲むのは思ったより
大変だった。
「アミノレバン」は特に大変だった。
普通ではとても飲みたくはない味、それを毎日3食後に飲むので、食事の量
も考えてしまう。

他にも一日3回、体重・体温・血圧・血糖値の測定、摂取水分量や排便の回
数、etc・・・と一日に占める割合はかなりのもの。

体調の悪い時などは、一回の薬を飲むのに1時間かかったこともあった。


とはいうものの、やはり少しでも早く日常を取り戻さなければならない。

知らず知らずのうちに焦り始めていた。
半年の入院はあまりに長い。
仕事も早めに復帰しなければならない。
家庭のこともやるべきことは山積みだ。

それなのに自分の体は入院前の状態にはほど遠い。


それでも2月末からは少しずつ仕事を開始。
不思議な感覚と、なんとも言えない不安を抱えたまま、仕事は忙しくなって
いった。

もう入院することはないだろう、と思う気持ちと、このまますんなりいくこ
とはないのかな、と思う気持ちと。

・・・入り混じっていた。
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一難去って・・・

先週末の定期検査、通常の血液検査に加え、CTとエコーも。

移植から1年半、再手術から8ヶ月経ち、肝臓はすっかり落ち着いてきた。
血液の数値は安定、CTの結果も良好、すこぶる順調だ、・・・順調だ・・・
と思ったら、な・なんとエコーに石の影。

泣く子も泣く、あの結石がまた出現してしまった。
昨年の春から数ヶ月、あんなに悩まされた石がまたしても。

思えば、あの鬼のような痛みをあの時まで経験した事がなかった。

移植後の痛みは、痛みというより苦しみで、さらに再手術後の痛みは、看護婦
さんに「背中の麻酔が使えず、一番痛みの強いパターンです」と言われながらも
石の痛みを経験していたので、あまり強く感じなかった、という程の石の痛みだ。

だから普段、気をつけてもいた。


とりあえず今は強い痛みが無いので、経過観察ということになったが、エコーの
先生が、痛みが無いのが不思議に思うくらいの大きさの石なので、いつ痛みが襲
ってくるか。

また、痛みが無い場合でも、場所によっては腎臓に悪影響を及ぼすらしいので、
その時は処置が必要だ。
なんでも今は、一泊入院で超音波とやらで処理できるらしいので、少し安心。


そして、・・・B型肝炎の抗体値が下がってきている、という話しもされた。
やはりヘブスブリンを止めたのが関わっているのだろうか。

当初の説明では、もしヘブスブリンを止めた影響が出てきた場合、入院し、ヘブ
スブリンを集中投与し、改善を計るということ。
ただ、前例が無いのではっきりとした事は言えない、という話しだった。


しょうがない事、なんだろうけど、やはり心配事は絶えないだろうな、と感じる。

体調も精神も今は、元気なんですけどね。


そして最後に極めつけ!
以前から辛かった右腕の痛み。なんでも先生によると、四十肩・五十肩の類で、

「大丈夫、良く”1年病”と言って、1年経てば必ず良くなりますから」

そうか、良かった、って、い・い・いちねん・・・ですか・・・。

又、痛みと共に、の生活が一年続く・・・・・・・!!

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インフルの脅威

ついに我が家にもインフルエンザが上陸。

昨日、次男がインフルAに罹り、夕方には長男が40度の高熱。
で今、休日の当番病院に来てるわけですが、まずインフルに違いないでしょう。
恐るべし感染力。免疫不足のこの身、果たしてウイルスから逃れることができ
るのでしょうか???
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