今年も、全国高校サッカー選手権大会の都道府県予選が、全国各地で開催されています。
熊本県には、全国大会でも常連、それどころか毎年優勝候補との呼び声も高い強豪校、大津高校サッカー部があります。
熊本地震の被害が大きかった益城町や阿蘇の中間に位置する大津高校。
「今、大津高校はどうしているかな…」
ずっと気になっていた私は、サッカー部の練習が行われているそのグラウンドを訪ねてみることにしました。
大津高校サッカー部は、巻誠一郎選手(ロアッソ熊本)や植田直通選手(鹿島アントラーズ)、そして谷口彰悟選手、車屋紳太郎選手(ともに川崎フロンターレ)、豊川雄太選手(ファジアーノ岡山)など、これまでにJリーガーを40名以上も輩出しています。
数多くの選手たちを育て上げてきたのは、サッカー部総監督であり、教頭も務める平岡和徳先生。平岡先生ご自身も、帝京高校、筑波大学とサッカーの名門校で主将を務め、選手としても名を残しましたが、卒業後は教員の道に進み、サッカー部の監督としても先生としても尽力されています。その指導哲学は、サッカーを通じた“人づくり”に重きを置いていることでも知られています。
熊本にとって試練の年となった今年、平岡先生は何を感じ、部員さんたちや生徒さんたちをどう導いているのでしょうか。そして、そこにはきっと多くの人たちのヒントになるものがあるに違いありません。
グラウンドに置かれたテントの中で、平岡先生にお話を伺いました。
実は、高校時代に熊本県の八代高校というところでサッカー部のマネージャーを務めていた私。まず最初に平岡先生にそのことを伝えると、「あの時はいいセンターフォワードがいたね」と、当時のことをよく覚えていらっしゃいました。当時は平岡先生と直接お話したことなどなかったのですが、今回初めてお話したとは思えない、不思議と人を安心させる魅力のある方だな、と早くも感じました。
その温和な表情と、グラウンドの向こうに広がるのどかな田園風景、山並みに目をやると、ここから世界を相手に戦うプロ選手が生まれていることを一瞬忘れそうになります。ですが、グラウンドに掲げられている巻選手、植田選手、谷口選手の大きなイラストが、すぐにそれを思い出させるのでした。
私は、「巻選手や植田選手は、高校時代はどんな選手でしたか?」と聞いてみました。
「両方に共通して言えることは、謙虚で、常に向上心を持っていました。そして、負けず嫌い。そういったものを背中で見せて、リーダーシップをつくり出すタイプでしたね。
うちは『諦めない才能を育てる』ということをテーマの一つとしていて、それを“人づくり”の中心に置いています。巻とか植田は、その代表株のような選手でした。
人づくりの大きなツールとしてサッカーというスポーツがある。“人”ができて初めてサッカーにも安心感や安定感が出てくるんです」
サッカーのうまい・へたではなく、『人づくり』や『諦めないこと』をとても大事にしていらっしゃる平岡先生。そういったことを大事にしよう、生徒たちに教えようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
「それはやはり、自分自身がそういう道を通ってきたからです。
私は15歳で親元を離れて帝京高校へ行きました。当時はちょっとした反抗期だったのかもしれませんが、親が教員だったので、教員にだけはなりたくないと思って。自分が変われる場所を求めて決断したのが、帝京高校だったんです。意地を張って上京し、『帝京で絶対頑張ってやる』と思っていました。
そしてサッカー部で活動する中で、自分の意地だけではなく、成長するためにはライバルや仲間、先輩のいいお手本など、そういった“環境”というものが人をつくるということを知りました。そして指導者という道を選んだ時に、それを具現化していこうと思い、指導者としての哲学やチーム理念をここ熊本でずっと考えてきたんです」
新しい自分と出会うために現状を打開し、一つの答えを帝京高校で得て指導者という道へ進んでいく過程で、平岡先生は『諦めない』ことの大切さを痛感していました。
大津高校のグラウンドの奥には、ヘディングの練習をするためのボールがつるされています。部員さんたちは朝5時半から自主練をし、ヘディングの練習も、ボールに汗がしみ込むほど繰り返します。
「『一技二万回』という言葉があります。一つの技を習得するためには、20,000回の練習が必要。
ヘディングを朝から1日100回練習すれば、1カ月で3,000回になります。1年では…?
でももし19,999回で諦めてしまったら、20,000回目ではできたはずなのに、そこまでたどり着かないで『俺の才能なんてこんなもんだ』って終わってしまう人たちがたくさんいる。
でも、うちの部員たちは20,000回やります。そういったものの積み上げが、『諦めない才能』なんです。これをやれば、もっともっと日本のサッカーは変わる」
『諦めない才能』。でも、もしかしたら、そもそもまだ夢ややりたいことを見つけられていない子どもたちもいるかもしれません。被災など、社会の中でさまざまな状況に陥り、目標を見失ってしまった人たちもいるかもしれません。そういった人たちはどうすればいいのでしょうか?
熊本県には、全国大会でも常連、それどころか毎年優勝候補との呼び声も高い強豪校、大津高校サッカー部があります。
熊本地震の被害が大きかった益城町や阿蘇の中間に位置する大津高校。
「今、大津高校はどうしているかな…」
ずっと気になっていた私は、サッカー部の練習が行われているそのグラウンドを訪ねてみることにしました。
大津高校サッカー部は、巻誠一郎選手(ロアッソ熊本)や植田直通選手(鹿島アントラーズ)、そして谷口彰悟選手、車屋紳太郎選手(ともに川崎フロンターレ)、豊川雄太選手(ファジアーノ岡山)など、これまでにJリーガーを40名以上も輩出しています。
数多くの選手たちを育て上げてきたのは、サッカー部総監督であり、教頭も務める平岡和徳先生。平岡先生ご自身も、帝京高校、筑波大学とサッカーの名門校で主将を務め、選手としても名を残しましたが、卒業後は教員の道に進み、サッカー部の監督としても先生としても尽力されています。その指導哲学は、サッカーを通じた“人づくり”に重きを置いていることでも知られています。
熊本にとって試練の年となった今年、平岡先生は何を感じ、部員さんたちや生徒さんたちをどう導いているのでしょうか。そして、そこにはきっと多くの人たちのヒントになるものがあるに違いありません。
グラウンドに置かれたテントの中で、平岡先生にお話を伺いました。
実は、高校時代に熊本県の八代高校というところでサッカー部のマネージャーを務めていた私。まず最初に平岡先生にそのことを伝えると、「あの時はいいセンターフォワードがいたね」と、当時のことをよく覚えていらっしゃいました。当時は平岡先生と直接お話したことなどなかったのですが、今回初めてお話したとは思えない、不思議と人を安心させる魅力のある方だな、と早くも感じました。
その温和な表情と、グラウンドの向こうに広がるのどかな田園風景、山並みに目をやると、ここから世界を相手に戦うプロ選手が生まれていることを一瞬忘れそうになります。ですが、グラウンドに掲げられている巻選手、植田選手、谷口選手の大きなイラストが、すぐにそれを思い出させるのでした。
私は、「巻選手や植田選手は、高校時代はどんな選手でしたか?」と聞いてみました。
「両方に共通して言えることは、謙虚で、常に向上心を持っていました。そして、負けず嫌い。そういったものを背中で見せて、リーダーシップをつくり出すタイプでしたね。
うちは『諦めない才能を育てる』ということをテーマの一つとしていて、それを“人づくり”の中心に置いています。巻とか植田は、その代表株のような選手でした。
人づくりの大きなツールとしてサッカーというスポーツがある。“人”ができて初めてサッカーにも安心感や安定感が出てくるんです」
サッカーのうまい・へたではなく、『人づくり』や『諦めないこと』をとても大事にしていらっしゃる平岡先生。そういったことを大事にしよう、生徒たちに教えようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
「それはやはり、自分自身がそういう道を通ってきたからです。
私は15歳で親元を離れて帝京高校へ行きました。当時はちょっとした反抗期だったのかもしれませんが、親が教員だったので、教員にだけはなりたくないと思って。自分が変われる場所を求めて決断したのが、帝京高校だったんです。意地を張って上京し、『帝京で絶対頑張ってやる』と思っていました。
そしてサッカー部で活動する中で、自分の意地だけではなく、成長するためにはライバルや仲間、先輩のいいお手本など、そういった“環境”というものが人をつくるということを知りました。そして指導者という道を選んだ時に、それを具現化していこうと思い、指導者としての哲学やチーム理念をここ熊本でずっと考えてきたんです」
新しい自分と出会うために現状を打開し、一つの答えを帝京高校で得て指導者という道へ進んでいく過程で、平岡先生は『諦めない』ことの大切さを痛感していました。
大津高校のグラウンドの奥には、ヘディングの練習をするためのボールがつるされています。部員さんたちは朝5時半から自主練をし、ヘディングの練習も、ボールに汗がしみ込むほど繰り返します。
「『一技二万回』という言葉があります。一つの技を習得するためには、20,000回の練習が必要。
ヘディングを朝から1日100回練習すれば、1カ月で3,000回になります。1年では…?
でももし19,999回で諦めてしまったら、20,000回目ではできたはずなのに、そこまでたどり着かないで『俺の才能なんてこんなもんだ』って終わってしまう人たちがたくさんいる。
でも、うちの部員たちは20,000回やります。そういったものの積み上げが、『諦めない才能』なんです。これをやれば、もっともっと日本のサッカーは変わる」
『諦めない才能』。でも、もしかしたら、そもそもまだ夢ややりたいことを見つけられていない子どもたちもいるかもしれません。被災など、社会の中でさまざまな状況に陥り、目標を見失ってしまった人たちもいるかもしれません。そういった人たちはどうすればいいのでしょうか?