エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて18年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

ザメンホフに召集令状!

2017-05-26 | 読書ノート


 ボールトン「Zamenhof」の第3回、いろんなエピソードを脈絡なく。
 世界平和を願うザメンホフの希望に反して、世界は第一次世界大戦に向かって進む。1904年には日露戦争が勃発、1905年1月には満州で軍医として務めるようザメンホフが招集される。エスペラント界には大きなショックでもあったが、友人や家族たちはそれ以上にザメンホフ自身の健康を心配する。招集免除の嘆願を当初拒否していたザメンホフも最後には周囲の説得に応じる。軍の医師たちが診察した結果、ザメンホフの健康状態は一週間の入院を命じたほど悪かった。この時、ザメンホフは兵役を逃れることが出来たが、弟たち、Leono、Aleksandro は前線に行かねばならなかった。

 1907年、Ido の騒動が起きたがエスペラントは順調に発展を続けた。1912年にはオーストリア領ポーランドのクラコフで第8回世界大会が開かれた。当時のクラコフはロシアやドイツとくらべて比較的自由であった。
 この大会はザメンホフにとって特別な意味を持った。すなわち、彼が長年求めていた「普通のエスペランチスト」になることを宣言した大会である。大会期間中、サインや一緒に写真を撮ることを求めるたくさんの人にザメンホフは辛抱強く応じていた。大会宴会の会場には照明が不足していた。フランスのエスペランチスト Bourlet がボーイにビールを頼んだら「Certe, sinjoro Bourlet!」という返事が来て驚いた。よく見たら、疲れ切ったザメンホフがボーイの制服を借りて休んでいたのだった。

 1907年、ゴーゴリの「検察官」がザメンホフの翻訳で出版された。ザメンホフは旧約聖書の翻訳をしながら、次々に文学作品翻訳を発表する。「ジョルジュ・ダンダン」(モリエール)、「群盗」(シラー)、「Ifigenio en Tauxrido」(ゲーテ)・・・
 モリエールの戯曲には様々な悪態言葉が出てくるが、当時のエスペラントにはそのような言葉が不足していたので「diablo」が単調に繰り返される結果になった。今日、エスペラントが優雅に、日常的に、ののしったり冒涜したり呪ったりするのにふさわしい言語であるのは、その後の作家たちの努力のたまものである。

   
写真は熊野古道伊勢路・三瀬坂峠。1kmほどの急坂で標高差160mほどを一気に登る。
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トルストイの手紙

2017-05-23 | 読書ノート


 ザメンホフがトルストイにエスペラントの資料を送り、トルストイがそれに対して好意的な回答を寄せたことは知っていた。ボールトンの「ザメンホフ」にはその手紙のエスペラント訳が載せられている。トルストイはザメンホフに直接返事を出したのではなく、その後の出版社の求めに応じて回答を寄せた。
 トルストイはまず諸民族の相互理解と言語の問題とその解決法について簡略にまとめ、国際語の創造が最も理性的で実現可能だとする。そしてエスペラントについての評価をするには自分はふさわしくないとしながら、ボラピュクは自分にはとても複雑だったが、エスペラントは少なくともヨーロッパ人にはとても易しいとする。一方で、真の意味で全世界的であるために、すなわちインド・中国・アフリカ諸国などの人々も一緒にするためにはたぶん他の言語が必要であろうという。
 エスペラントはとても易しくて、文法書・辞書と論文を受け取ってから2時間集中しただけで書くことは出来ないまでも読むことは自由に出来た。私(トルストイ)は相互理解についての機械的な障害から人々が相互に敵対するのを見てきた。少なくともヨーロッパとアメリカの人々にとっては、エスペラントの普及が神の国を打ち立てるキリスト教的な事柄であることは疑いない。

 欧米の人々以外には難しいであろうというトルストイの意見(感想)をその欧米以外の人々はどうとらえるだろうか。ボールトンの脚注には「これはあまりにも悲観主義的な見方であることがすでに示されている」とある。

 
写真は熊野古道・伊勢路で見た茶畑(2017.5.14)
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ザメンホフの家族たち

2017-05-20 | 読書ノート


 ボールトンの「ザメンホフ」にはザメンホフの家族についても一通り述べられている。
 ザメンホフ(Lazaro)は1859年12月15日に生まれた。父の Marko は知識人で理性的、勤勉で冷静、母の Rozalia は愛情深く、感じやすく、献身的で同情心厚く、母親の忍耐と直感的な理解力を持っていた。一見して正反対の二人だが、幸せな家族を作っていた。長男の Lazaro の後に、たくさんの弟・妹が生まれる。
 1860年 Sara、彼女は10才でこの世を去る。62年 Fania、64年 Auxgusta、68年 Felikso、71年 Henriko、75年 Leono、77年 Aleksandro、79年 Ida。
 以下の記述はボールトンの「ザメンホフ」以外の資料にも拠っている。
 Marko は1907年、エスペラント界では Ido 騒動のあった年に亡くなった。Rozalia は1892年、52才でこの世を去った。Leono は熱心なエスペランチストとして活動、第2回エスペラント世界大会(1906年ジュネーブ)で喜劇を演じた。Aleksandro もエスペランチスト。1917年、徴兵を拒否して自殺(ボールトンによる。Vikipedio には1916年、ロシア軍の大佐とある)。Ida はエスペランチストになり、ワルシャワに住むが、1942年、トレブリンカで殺された。Felikso は Lazaro と年の近い兄弟として早くからその思想に触れ、エスペラントで会話をし、「第一書」の普及に尽力、エスペラントの著作活動もして「Fundamenta Krestomatio」にもその作品が収録されている。
 Lazaro は1887年、Klara と結婚、義父の財政援助もあって「第一書」を公刊する。2人の間には Adamo(1888)、Sofia(1889)、Lidja(1904)が生まれる。Klara は Lazaro の死(1917)後もエスペラント世界大会に参加、1924年に死去。Adamo は妻 Wanda とともに父と同じ眼科医に、Sofia は内科医、Lidja は熱心なエスペラント活動家になり、バハイ教に入信する。1925年、Adamo と Wanda の間には息子(Ludoviko)が生まれた。ユダヤ人であった彼らには第二次世界大戦中に苛酷な運命が訪れる。
 1939年、ドイツによる爆撃がザメンホフの家を直撃、貴重な資料が失われた。
 ゲシュタポが家族を逮捕、1940年一月、Adamo と Henriko(Lazaro の弟)が銃殺されたと思われる。他の人たちはいったん自由になるが、ワルシャワのゲットーに住む。1942年8月、Sofia、Wanda、Ludoviko が逮捕されトレブリンカに送られるが、その途中で Wnda と Ludoviko は脱出に成功する。このことについては Ludoviko 自身の著作「ザメンホフ通り」に詳しく述べられている。Sofia は医者としての仕事が待っていると信じていた。2か月後には Lidja もトレブリンカへ。生き延びた Wanda は1954年、交通事故で死亡、Ludoviko は技術者となり、優れたエスペランチストとして活動。

 貧しく狭い家の中で、Lazaro は長男として弟や妹の面倒も見ていた。あるとき、小さな弟の Leono があまりにやんちゃに振る舞うので、思わず「Leono は獣だね」と口にでた。これが Ekzercoj の最初に出てくる「Leono estas besto.」だとか・・・。
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ZAMENHOF

2017-05-12 | 読書ノート


 最近読んだ本、ボールトンのザメンホフ伝。ザメンホフ自身についてももちろんだが、その家族やエスペラント運動自体についてもかなり詳しく描かれている。興味深いエピソードが盛りだくさんである。以下まとまりのない私のメモである。
 ザメンホフが生まれ育った土地はロシア領ポーランドである。ポーランドのユダヤ人はポーランド文化になじんではいたが、ロシア語を話しポーランドの民族統一主義には疎外感を持っていた。しかしロシアへの忠誠は実を結ぶこともなく、根本的には国を出てどこかに自分たちの国を建てるしかない、というのがシオニズムである。若い時のザメンホフもこの考えを持ったが、建国の地としてはすでに居住民がいるパレスチナは適切ではないと考える。そして、お金を集めてアメリカに土地を買おうと提唱する。ごく短い間ではあったが、ザメンホフはモスクワのユダヤ人学生のリーダーであった。
 幼い頃から言語に関心があったザメンホフである。若い頃雑誌に投稿するペンネームには「Gamzefon」「Gofzamen」など、Zamenhof のアナグラムに近いものがあった。後にエスペラントを発表したときのペンネームは D-ro Esperanto である。エスペラントで「希望する人」であるが、この名前は Zamenhof の控えめな楽観主義を表しているだけでなく、彼の家族名を暗示しているという説がある。すなわち、Zamenhof の -hof は短母音の -hoff に近く発音され、これがドイツ語の hoffen (esperi) に通じるというわけである。
 ポーランドのユダヤ人が使うヘブライ語・ユダヤ語には特有の傾向があり、しばしば、例えば S と Sx の混乱がからかいの対象にされたという。ザメンホフ自身、エスペラントでさえこの混同が見られたという。民族語の癖がエスペラントにも現れる・・・R と L などに苦労している我々をいくらかほっとさせるエピソードではないか。
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第30回緑の学校(2)

2017-05-08 | エスペラントな今日


 4日は鹿嶺高原へのドライブ。ここから目の前に眺める千丈岳・甲斐駒ヶ岳の姿は迫力がある。展望台から梵天岩まで散策、往復1時間少々の山歩きである。午後は韓国語講座など。夜の集いではハーモニカ演奏・手品・紙芝居・三味線演奏・ピアノ演奏などなど、みなさんなかなか達者である。私も「帰れソレントへ」(ナポリ語)・「宵待草」(エスペラント語)を独唱。参加者の3才の息子さんが近くで本を見ていたが、私の歌う声を聞いて聞きに行くと部屋の外まで来た。母親が「歌っているときに中に入るのは失礼だから」と部屋に入らせなかったら泣き出してしまったという。
 5日は近くの千代田湖までハイキング。私は数人の参加者と途中で引き返して東尾根遊歩道を歩いた。帰ってきて、昨日の子供のために「オーソレミオ」(エスペラント)と「ふるさと」(日本語)を歌ってあげたが、感激して聞いてくれたかどうかは良く分からない。午後は「バーベキュー」の昼食。焼きそばと具だくさんの汁など。午後2時過ぎに解散。スタッフなどはもう1泊して掃除・後片付けをする。
 この「学校」は受け身でなく自分から積極的に楽しめるのが良い。外国人参加者だけでなく、日本人にも達者なエスペランチストも多いからその気になれば勉強にもなる。少しずつ高齢化してきて人数も減ってきているのが気がかりである。

   
写真は青少年の家入り口の桜
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第30回緑の学校

2017-05-06 | エスペラントな今日


 5月2日から恒例の「緑の学校」に参加してきた。今年は第30回記念である。
 2日は夕食後の「開校式」で始まった。今回はオーストラリアとスイスからのお客さんが参加している。
 夜はおしゃべりだが、翌日に備えて10時半頃には寝てしまう。参加者のみなさんが持ち寄るお菓子や酒類・おつまみはなかなか豊富である。
 毎朝、何人かが早朝散歩・探鳥会を自由にやっている。私も朝6時頃から付近を歩いて自然を満喫する。今年は桜の開花が遅く、まだ咲きはじめの木もある。
 会場が「青少年自然の家」で、広い施設内にはいろんな団体や家族が宿泊し、それぞれに活動している。「朝の集い」では各団体の紹介もあり、信州大学の「YOSAKOI祭りサークル和っしょい」が迫力ある集団演舞を披露してくれた。
 3日の午前中は入笠山登山。登山道には雪がかなり残っていた。頂上から360度の大パノラマで八ヶ岳・中央アルプス・南アルプス・北アルプスを見渡せる。今年は好天で、いつもはシルエットが薄く見えるだけの富士山もくっきり見えた。午後はエスペラント会話などの講座があり、私は例年のように折り紙講座を開いた。夕食後はスイスやオーストラリアについての話や剣舞・福引き大会など。

   
写真は入笠山頂から富士山を遠望する。
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フランスからお客さん(3)

2017-04-25 | エスペラントな今日


 3日目からは日本人5人とフランス人4人で奈良旅行に出かけた。レンタカー(10人乗りのハイエース)を私が運転した。まずは半日かけて石舞台古墳まで、続いて高松塚古墳。高松塚古墳は我々日本人エスペランチストにとっても初めてだった。この日は岩盤浴などもある大きな「健康ランド」に宿泊、温泉を充分に楽しんだ。
 翌日はあいにくの雨模様だったが、奈良中心部を散策した。興福寺(阿修羅像など)〜東大寺〜春日大社という典型的な観光コースである。春日大社では結婚式の風景を見ることができた。昼食は軽めに「万葉粥セット」。宿泊は平城京のすぐ隣にある温泉付きホテル。屋上からライトアップされた大極殿が見えた。朝には、はるかかなたに大仏殿や興福寺の五重塔が見えた。
 最終日は好天。まず平城京へ。資料館で歴史を学んで、大極殿から東院庭園まで歩く。雨の後で足元の悪い場所があった。この後は宇治の平等院を見学。京都のゲストハウスへ午後3時半頃に着いた。ここでお別れして、我々は恵那に帰った。
 息子さん夫婦にとって初めての日本旅行であり、短い日本滞在で出来るだけバラエティに富む旅行を計画したつもりだが、たぶん喜んでもらえたのではないかと思う。少なくとも、日本人エスペランチストたちは満足していた。彼らは京都に2泊した後、G.G. 夫妻は岡山から鳴門に周り、福島・仙台・前橋・東京・横浜などを旅行する。5月2日頃には八ヶ岳エスペラント館にも来る予定である。息子さんたちは充分な休暇が取れず、宮島を訪問して、すでに帰国した。

   
写真は高松塚古墳。
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フランスからお客さん(2)

2017-04-22 | エスペラントな今日


 2日目、4月15日。朝食はパンにしたが、ここではフランスのようなおいしいパンは入手できないからコンビニで買ってきた食パンで我慢してもらう。一緒に出したゴマ豆腐・ジーマーミ豆腐・生湯葉や手作りの柿ジャム、ブルーベリージャム、ドライマンゴーを入れた上質のヨーグルトなどはどれも好評だった。
 今日はまず H さん宅でお茶会である。今までにずいぶん何回もお茶会に出ているが、その度に違った趣向がある。お茶の世界も奥が深い。今回は昼食付きのお茶会で5人限定。エスペランチストの K さんに主客を務めてもらい、お客さん4人で満席。あぶれた3人の地元エスペランチストは近くの道の駅で昼食。
 お茶会が終わって、日本人5人・フランス人4人で岩村の町へ。古い雰囲気を残しながらひどく観光化されてはおらず、しっとりとしたいい街である。地元の人とも気さくに話が出来る。フランス人と会話する我々に目を丸くする人も。古い商家などには自由に入って見学できる。名物のカステラ店で試食したり、地酒の工場見学、試飲なども楽しい。
 今日の宿は築120年を超えるという古民家を活用した宿泊施設「かやの宿」である。何人でも一軒を借り切るので気楽に使える。自炊も可能である。今回は2食付きにした。地元の女性たちが野菜中心の料理を出してくれる。食後は交代で風呂に入りながら、囲炉裏の火を囲んで雑談である。
 明日からは奈良旅行である。

   
写真は奈良・興福寺三重の塔
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フランスからお客さん

2017-04-19 | エスペラントな今日


 4月14日、フランスから4人のお客さんがやってきた。去年の私のヨーロッパ旅行でずいぶんお世話になった G.G 夫妻とその息子さん夫婦である。息子さんたちの家でも夕食をごちそうになった。G.G は数回日本に来ていて、私の家に泊まったこともあるが、息子さんたちはこれが初めての日本旅行である。彼らは日本の文化にとても関心があるという。
 9日に羽田到着の後、横浜のエスペランチストのお世話で東京・鎌倉・箱根・富士五湖などを巡った後、14日の昼過ぎに恵那に到着。まずは我が家で昼食。どんな食べ物がいいのかいつも考えるが、今回はウナギをメインにした。素焼きにしてワサビ醤油と蒲焼きを用意したが、彼らには蒲焼きの方が好評だった。日本に何度も来ている G.G 夫妻もウナギは初めてだという。以前来たベトナムやスイスの人もウナギは喜んで食べてくれた。
 昼食後は中山道広重美術館へ。特別展の「名所江戸百景」をずいぶん熱心に観賞し、「版画重ね摺り体験」を楽しむ。喫茶店で一休みした後、恵那峡へ。「芝桜と花桃の公園」はちょうど今が見頃で大喜び。さらにさざなみ公園の桜も例年より2週間ほど遅く、まさに満開。夕食はレストランで。
 何とかふとんを4組用意した。セミダブルのベッドは幅も長さも足りないので、箱の上に板を乗せて奇妙な臨時拡大ベッドをこしらえた。
 息子さんは若いときにエスペラントを学習したことがある。フランスで会ったときはほとんど話せなかったが、今回はほぼ理解できて、話すこともかなり出来る。フランス語と共通する単語が多くてその気になれば習得は早い。明日は H さん宅でお茶会である。

   
写真は15日に泊まった「かやの宿」付近の風景。「日本一の農村風景」といわれる地域である。
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Bedauxrinda novajxo

2017-03-07 | el mia vivo


 ベルリンからシベリア鉄道を経由して北京にいたり、その後北朝鮮に入って北から板門店を訪れるという SO Gilsu さん企画の旅行団について以前ここに書いた。旅行はベルリンのポツダム広場にある「統一亭」(写真)から始まる。
 しかしマレーシアでの金正男氏殺害や在日米軍攻撃を想定したミサイル発射など、最近の北朝鮮情勢はあまりにも悪く、残念ながら北朝鮮への訪問は取りやめになってしまった。北京から平壌への列車で1泊、平壌で3泊が予定されていたが、その分は出発を2日遅くし、モスクワと北京で1泊が加えられた。最終日には南から板門店に行くことになる。
 とても残念なことではあるが、最近の情勢からは仕方がないかも知れない。
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Esperantista posxkalendaro

2017-03-01 | エスペラントな今日


 ウィーン国立博物館にはエスペラント図書館があり、その蔵書のスキャン画像がネット上で公開されている。同様のことは日本の国立国会図書館でもおこなわれていて、例えば二葉亭四迷の「世界語」などを閲覧できるし、印刷も可能である。国立国会図書館デジタルコレクションから検索できる。
 ウィーン国立博物館のサイトに、最近ザメンホフの全著作がアップされたというニュースが今月号の「La Revuo Orienta」に載っている。そこでちょっとだけ覗いてみた。ザメンホフの著作だけではなく、エスペラント初期の作品がたくさん登録されている。これは以前から知られていたことだが、戦前の「La Revuo Orienta」(1920.7〜1940.7)のスキャン画像もある。



 このサイトをうろついて、「Esperantista posxkalendaro」というのを見つけた。中味の前半は一週間単位で予定表の書き込みが出来る手帳で、所々にエスペラント関係の行事予定などが書かれている。後半は、いわば「エスペラント便覧」で、様々な有益な情報とともに各国のエスペラント会などの一覧がある。アジアではインド・ベトナム・シンガポール・トルコ・ロシアと日本にエス会があり、日本は横浜・京都・三重・東京の4箇所である。





 最後にこの手帳の中の1ページを紹介する。下段は点字のエスペラント文字である。1902年に字上符のついた文字の点字が工夫されていたことが分かる。この文字は今でも使われている。上段は「エスペラント!」と叫ぶときの調子を楽譜で示している。スイスエス会が提案したものとある。これは今でも使われているのかどうか知らない。

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蜂と蛇

2017-02-13 | エスペラントな今日


 私の感覚では「針を持つ昆虫で、羽があって、刺されると痛い」というのが「蜂」である。これは人によってちがうかも知れない。私の少年時代には蜂の巣を見つけると採ってきて中の幼虫をフライパンで炒って醤油をかけて食べた。直径5〜10cm程度の丸い灰色の巣で、たぶんごく普通のアシナガバチだった。我が家の軒下にも時々巣がぶら下がっている。
 この地方で「蜂の子」といえば「地蜂」である。やっぱり幼虫を食べるのだが、栄養豊富な高級食材である。
 「蜂」をエスペラントでどういうか。とりあえず「日エス辞典」で調べると、abelo, vespo, burdo, polisto が出てくるが「蜂」一般ではない。別の辞書で調べて、krabro というのも見つけた。
 PIV で abelo を調べると、himenopteroj の一種だとある。そこで「エス日」でこいつを調べたら「膜翅類」とだけある。これでは何のことか分からないから国語辞典で調べる。しかし「新明解国語辞典」には載っていない。「広辞苑」には「膜翅目」で載っていた。「類」なのか「目」なのかは別にして、どうやら蜂や蟻を含む昆虫の一種らしい。範囲が広すぎて一般的な「蜂」には使えそうにない。ついでに PIV で formiko を調べたら、やっぱり himenopteroj の一種である。
 「昨日蜂に刺されたんだ」をエスペラントに訳すには、自分を刺したハチの種類を見極めなければならないというわけだ。

 我が家の周囲で年に数回、蛇を見ることがある。妻はパニックになってしばらく庭に出られなくなる。蛇には krotalo, pitono, vipuro, kolubro, bungaro, cerasto, elapo, konstriktoro, koronelo, krotalo, najo, tropidonoto, boao, anakondo などなどがあるが、「ヘビ」一般は serpento でいいらしい。エデンの園にいたのも serpento である。

   
写真はインドで見た大きな蜂の巣
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些細なこと

2017-01-31 | 読書ノート


 今月2冊目の読書ノート。「Bagatelaro」は1951年にノルウェーで発行されたエスペラントの読み物である。オスロのエスペラント事務所に泊まったときに頂いてきた。袋とじになっていて、読み進むに従ってペーパーナイフでページを開いていくのが楽しい。
 最初に、もはや「pura komencanto」ではない人たちに比較的易しい様々な読み物を提供することがこの本の目的とある。
 巻頭の短編「Bagatelaro」をはじめ、十数行の詩から40ページほどの中編まで20ほどの作品が収録されている。havi fermitan vizagxon といったあまり見たことのない表現もまれに出てくるが、おおむね読みやすい。全体に軽快で皮肉な作品が多いのだが、ナチスドイツの残虐な行為を描く数編がとくに印象に残った。
 「Mozaiko」はこの本では最も長い小説である。列車のコンパートメントに偶然乗り合わせた人たちが、お互いに相手がどんな人なのかを推理し合うゲームを始める。その中の何人かが、それぞれに異なる立場でナチによる迫害の経験を語る。中でも若いユダヤ人女性は腕と乳房に収容所で施された入れ墨を持っている。彼女の語るその経験は具体的で迫力がある。最初は職業や出身を推理し合いながら、次第にその人の人生の一コマを語っていく構成もなかなか面白かった。

 中にはユーモラスな短い詩もある。以下は私の拙訳。
 Historio el Vermlando (虫の国のお話)
  草の下で若い虫がおいしく腐った落ち葉を食べていた
  その間、明るい光の世界に旅をしようと考えた。
  若くて美しい虫がいつまでも一人ではいられないから
  彼は一寸ほど頭を持ち上げた。
  彼の頭は黒い土の皮を突き破り、
  わが勇敢なる虫は周囲を好奇心一杯で眺めた。
  ほら、別の虫の頭が黒い土からでてきて、
  わが友人の心は希望でときめいた。
  彼は首をもっと伸ばして頭を高く上げて、
  今や細くなってさらに1インチ。
  その美しい頭を見つめて、うめき、あこがれ
  とうとう勇気を出してていねいに言いました:
  素敵な虫さん、私と婚約しませんか?
  だめです、相手はいいました、だって私はあなたの尻尾だから!
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2つのシベリア鉄道の旅

2017-01-27 | エスペラントな今日


 今年はエスペラント世界大会が韓国・ソウルでおこなわれる。この大会にヨーロッパからシベリア鉄道経由で参加しようという企画がある。過去にもこのような旅行は実施されてきた。その一つは実績のある Esperanto-Karavano が組織するもの。ロシアの Tatjana Loskutova が中心に運営する。
 7月4日から、サンクト・ペテルブルグ、モスクワ、イルクーツク、ウラジオストックで観光や地元のエスペランチストと交流しながら旅をして、最後は飛行機でソウルに行く。Esperanto-Karavano で検索すればそのサイトがあり、この旅行の趣旨や過去の記事,今年の計画などを見ることができる。参加者名簿もあり、Novaj aligxoj PLU NE estas akceptataj. とあるから、参加申し込みはもう締め切られたようだ。



 もう一つは、韓国で最も優れたエスペランチストの一人、SO Gilsu さんの企画である。Esperanto-Karavano との大きな違いは、北朝鮮から板門店に行くという点である。大きく3つの部分がある。
 1部:7月1日ベルリン集合(ホテル1泊)、鉄道でモスクワへ(車中1泊)。モスクワで観光(ホテル2泊)、その後イルクーツクへ鉄道で(車中4泊),イルクーツク・バイカル湖観光(ホテル2泊)、モンゴル・ウランバートルへ(車中2泊)ウランバートル観光(観光用キャンプ・ホテルなど3泊)、北京へ(車中1泊)、北京観光・万里の長城(ホテル1泊)。
 ここで2部から参加する人たちと合流。

 2部:7月18日、北京出発平壌へ(車中1泊)、平壌観光(ホテル3泊)、21日には板門店を訪れ、第3部参加の人と軍事境界線を間にして向き合う。最終日22日は、可能なら軍事境界線を越えて韓国に入る。それが実現しない場合は、平壌〜北京経由でソウルへ。大会会場までバスで移動する。

 3部:7月21日、ソウルから板門店観光。

 以上が概略である。日本や中国からの参加者は、2部または3部への参加が想定されているが、もちろん1部からの参加も可能である。1部の参加申し込みは1月31日が期限だから関心のある人は急ぐ必要がある。2部の申し込みは2月28日まで。申し込みは SO Gilsu さんへメールで。
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Vulpo

2017-01-18 | el mia vivo


Kiam mi konstruis mian domon antaux 38 jaroj, cxirkauxe estis suficxe da naturo kaj kamparo. Mi vidis sovagxajn bestojn, ekz. niktereuxto, mustelo.
Pli kaj pli multigxis domoj kaj malaperis naturo, lastatempe mi ne vidis sovagxajn bestojn krom birdoj. Sed tuj najbare de mia domo ankoraux restas kampoj de kasxtano, rizo.
Hieraux mi vidis vulpon. Dum mia 38-jara logxado cxi tie unuafoje vidis gxin. De kie kaj al kie gxi venis?

昨日、我が家のすぐ近くでキツネを見ました。この辺りでは初めてのことです。
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