エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて15年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

ボラピュク

2012-03-30 | 読書ノート


 ザメンホフはボラピュクの創始者シュライヤーについては最大限の賛辞を送っている。長い間の人類の夢でしかなかった国際共通語を初めて実用的なものとして作った偉人であると。一方でボラピュク自体については徹底的に批判している。
 Originala Verkaro に収録されている「エスペラントとボラピュク」はボラピュクがどんなものだったかを見せてくれる。エスペラントが発表されて間がなく、まだボラピュクが競争相手だった1889〜90年に発表されたものなので、それだけ激しい論調になっているのかもしれない。その一端をまとめてみる。
 1)ボラピュクはよい音(bonsona)か? ちがう! ボラピュクをほんの少しでも読んだ人は、何という粗野な(sovagxa)な音なんだ!と叫ぶことだろう。もしエスペラントの音が良くないとしても、私(ザメンホフ)が単語を自分勝手に作ったわけではなく、国際的なわかりやすさや合成語を作りやすくするなど様々な法則に従ったからである。一方、シュライヤーは好きなように作っている。それでも両方を比べてみればエスペラントの方が良い音だというのはすぐにわかる。
 2)ボラピュクは発音しやすいか? ボラピュクの中には、a", o", u"(それぞれ字上符ウムラウトがついている)が多用されているが、これは世界の大部分の地域では発音できない。エスペラントでは、例えば jx に不満を言う人がいるが、この音はフランス語から単語をとる場合に必要な音であり、sx の発音がある言語の人には容易な音である。
 3)ボラピュクは日常的に使えるか? シュライヤーは実用的に試してみることが必要だとは考えなかった。たとえ文法が単純であったとしても、その単語は自然語よりも難しい。発表から10年たっても、書くことは出来ても話せる人はほとんどいない。次のような単語を羅列してみれば、聞き取ることが困難だとわかるであろう。
 bap, pab, pap, pa"p, pep, po"p, peb, po"b, bo"b, bob, poo, pup, bub, pub, pu"b, bib, pip, pu"p etc.
 (この頃ザメンホフは ktp でなく etc を使っていたらしい)

   
写真は恵那市阿木川ダムの堰堤の端を登る階段。ダム自体に遊歩道が設置されているのは全国的にも珍しい。この階段だけでなく、(ロックフィルの)堰堤自体を登る歩け歩け大会も行われている。
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Originala Verkaro

2012-03-27 | 読書ノート


 Joh. Dietterle 編集によるザメンホフ原作集。引き続きの読書ノートである。前文に、あまり大部な本にならないように文字を小さくしたとあるように、細かい文字で600ページもあるから読むのにはかなり時間がかかった。しかし文章はおおむね読みやすい。
 内容は、
 1.Antauxparoloj:前文集である。例えば「第一書」の前文など、ザメンホフのエスペラント著作の前文には重要なものが多い。
 2.Gazetartikoloj:「La Esperantistoj」など初期のエスペラント運動誌の記事を集めたもの。
 3.Traktajxoj:ここには少しまとまった論文が集められている。「Esperanto kaj Volapuk」「Esenco kaj Estonteco」「Hilelismo」「Homoranismo」「Gentoj kaj Lingvo Internacia」「Post la Granda Milito」などなど。Fundamenta Krestmatio など他の本にも収録されているものもある。
 4.Paroladoj:世界大会での冒頭演説など。
 5.Leteroj:手紙文である。
 6.Poemoj:ザメンホフ原作の詩はあまり多くはない。

 いくつかの論文や演説集など、いままでに読んだものもかなりあった。現在でははるかに内容量の多い「Plena Verkaro de Zamenhof」(PVZ)があるが、とりあえずザメンホフの著作(とザメンホフ自身)に触れたい人にはお勧めの本である。ただし翻訳は入っていない。
 とくに、 3.Traktajxoj の各論文と 4.Paroladoj は、一度は読むべきエスペランティストの必読文献だと思う。なかでも「Esperanto kaj Volapuk」はあまり読む機会がないかもしれないが、とても興味深い。
 その他の部分は、ザメンホフの大まかな伝記とエスペラント初期の歴史をなにかで読んでおくとおもしろい。
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La Flambirdo

2012-03-23 | 読書ノート


 手塚治虫の漫画「火の鳥 未来編」のエスペラント訳である、10年以上前に発行されたものがいままで本棚に眠っていた。短時間で一気に読んでしまった。
 手塚治虫は私の子供時代から活躍した人だから昔から大好きだった。講談社の全集をほとんど揃えているくらいである。エスペラント化するのなら『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』など青年漫画から選んで欲しかった気もするが、長編が多いから無理かもしれない。
 漫画雑誌に連載されたものを単行本にするときには再編集されることが多い。火の鳥も「COM」という雑誌に連載されたが、大判の本である。これをそのまま小型本にすると台詞の文字が小さくなりすぎる。そこで絵の一部を犠牲にして吹き出しを大きくする。
 火の鳥は何度か再版されているが、エスペラント版はそのうちのひとつを底本にしたのだろうか。吹き出しなどは講談社の全集版とほぼ同じである。ただし、エスペラント版の最後のページが講談社版にはないからこれが底本ではないのかもしれない。表紙の絵も違う。
 おもしろいことに絵柄がすべて左右逆になっている。右開きを左開きにしたためである。これでとくに不自然さは感じない。原本をコピーしてソフトで左右逆にしたと思うが、その時に発生したモアレが見られる。
 台詞以外の、おもに擬音・擬態語の翻訳には苦労されたのではないだろうか。またこれは絵と一体になっているから一つ一つ消して文字を挿入している。細かく見ると消し残したところや書き足したところがわかる。

 少しマニアックになりすぎた。エスペラントに関してひとつだけ書いておこう。
 こんな台詞がある。「Cxu ni estas jam ratoj en sako?」(原文:もう フクロのネズミかな ぼくたちは)ほとんど直訳だが、これで国際的に通用する・・・のでしょうね?
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トゥイーの日記・本文と第2部

2012-03-20 | 読書ノート

 最近の投稿の「カテゴリー」が間違ったままになっていたので、全部訂正しました。今回は Hierauxnokte Mi Revis pri Paco の最終回です。

 日記というのは他人に見せるつもりで書くものではないから、書いた当人にしかわからない表現があるのは当然である。「アンネ・フランクの日記」は、戦後に戦争の記録を公表する計画があることを知ったアンネが書き直しているが、それでもかなり読みにくい。
 トゥイーの日記にはたくさんの個人名が出てくるが、中には直接名前を書いていない場合もあって、それが誰のことを指しているのかかなり注意深く読む必要がある。登場人物の一覧表を作るといいかもしれない。もっともそんなに丁寧に読まなくても彼女の生活とたたかい、気持ちの揺れなどは充分に伝わってくる。
 彼女が戦場に赴いたのは1966年12月、日記は68年4月からである。彼女はずっと日記を書き続けていたが、戦闘の中で最初の2冊が敵に奪われてしまった。おそらく無価値なものとして処分されてしまったのであろう。
 彼女のかつての恋人「M」への想い、医師として、指導者として患者や生徒たちに慕われる喜びと誇り、逆に彼らから多くをまなび成長していく自覚、なかなか自分を受け入れてくれない共産党との関係(自分の弱さへの反省・党幹部への不信など)、様々に揺れ動く彼女の様子が伝わってくる。そんな中で自然の美しさを表現する言葉がきらりと光る。
 日記本文の前半は、時々理解しにくいところもあるが素直に読める。多分後半から訳者が替わっているのではないかと思う。決してまずい翻訳ではないのだが、何となくクセのあるエス文でやや読みにくくなる。

 「第2部」は日本語版にはない部分である。まず50枚近い写真。18才の頃から戦いに出かける直前まで、彼女自身を含む戦場の様子、彼女の墓。
 写真に続いていくつかの興味深い話が載せられている。戦いに出かけ前のエピソードは彼女の人となりの一端を示してくれる。とくに興味深いのは戦場の彼女についてのエピソードである。日記が世に出る10年以上も前から、一部で彼女について語られていた。そして彼女がある映像資料にも登場していた。戦場の彼女についての第3者による証言として貴重である。詳しいことはここには書かないので、ぜひ読んでみて欲しい。

   
写真は恵那市正家の風景
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トゥイーの日記・前文

2012-03-17 | 読書ノート


 エスペラントの本は国際的な視点、世界の誰が読んでも理解できるように注意したいと思う。私が Raportoj el Vjetnamio を作ったときには、固有名詞はベトナム語表記してその近似発音をエスペラントで示した。また理解を助けるために地図や年表をつけ、いくつか脚注を入れたりもした。この本にはそういった配慮があまりされていない。
 この本は3つの部分からなる。日本語版にはないものが多く含まれていて、この本にかけたベトナムエスペラント界の意欲は大いに評価できる。しかし訳者が複数で、3人の外国人エスペランティストによる校訂がどのように行われたのか、訳文のスタイルがひどくまちまちである。

 まずは前文などである。下記のようにかなり豊富に収録されている。
 1.エスペラント版への序文 これはもちろん翻訳ではなくこの本で唯一のエスペラントのオリジナルであるが、かなりの悪文である。これを VEA(ベトナムエスペラント協会)の名前で載せたのは問題だと思う。
 2.ベトナム語版への序文 これは割りに読みやすい。
 3.ベトナム語版の導入部 Raportoj el Vjetnamio 改訂増補版(2007)の最後に載せたものとほぼ同じである。日本のベテランエスペランティストに校正してもらったからエス文はしっかりしている。いくつかの固有名詞に注をつけてくれたらよかった。
 4.英語版への導入部 主人公トゥイー・チャムの生きた時代と活躍した地方を理解するのにとても役にたつ部分なのだが、エス文はかなりひどい。例えばチャンパ王朝の「滅亡」に konkeri を使って意味が逆になってしまうなどの重大な誤訳もいくつか見られる。読むときはベトナムの歴史を自分で研究しながら読まないと理解できない。幸い日本語版にもほぼ同じ内容で収録されているのでそちらを読んだ方が早い。
 5.日記について この部分は日本語版では4とひとつになっている。おそらく英語原文は同じ人が書いたものではないかと思う。そしてこのエス文はなかなか流麗である。ここまで読んでほっとした。訳者が違うとこんなにも違うものなのか!
 6.翻訳(英語版)について ここもきれいなエス文。
 7.年表(英語版からの翻訳) あまりわかりやすいとは言えないかもしれないが、ネットなどで調べればいくらでも詳しいことがわかる。
 8.心の物語 トゥイー・チャムの妹がこの日記がベトナムに帰ってくる経過を書いたもの。エス文は読みやすい。
 以上ここまでで約50ページである。

   
写真は恵那市東野にある常夜灯。秋葉山への街道沿いにあったもの。
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Hierauxnokte Mi Revis pri Paco

2012-03-13 | 読書ノート


 引き続き読書ノートである。この本については「La Revuo Orienta」の最新号にも書いたので、一部重複する内容がある。
 1970年6月、米軍情報担当士官 Frederic Hhitehurst は押収した文書を整理して不要なものを燃やしていた。1冊のノートを火に投じようとしたとき、通訳のベトナム士官がそれを止めた。「燃やさないで下さい。この中にはすでに炎が燃えています」と。これが「トゥイー・チャムの日記」である。
 Dang Thui Tram は戦場で働く女医であった。米軍との最激戦地だった中部ベトナムの森の中に作られた病院は、地下に手術室を持つ特殊な施設である。戦争が激しくなるにつれて病院はたびたび移動を余儀なくされる。米軍は病院であっても容赦なく攻撃をする。このときも米軍に発見されたために移動をしていて、5人の重症患者とトゥイーを含めて3人のスタッフだけが残っていた。米軍の攻撃を受けて、トゥイーは銃を握り120人の米兵に立ち向かって足止めをする。米軍がやっと彼女を殺したときには、病院には誰もいなかったといわれる。
 通訳の助けで日記を読んだ Frederik は軍規に反してこれを米国に持ち帰る。その後 FBI に勤務し、日記のことが気にかかったまま時が過ぎる。
 1993年、あの貿易センタービルの地下駐車場で爆破テロが起きる。爆発残留物の専門家として Frederic もこの捜査に関係するが、その経過で FBI の腐敗と無能ぶりを内部告発し、結局退職することになる。日記に向き合う時間が出来た彼は、ベトナム人の妻を持つ弟 Robert とともにチャムの親族を捜す。幾多の曲折の後、2005年4月に日記のコピーがトゥイーの母親に渡される。
 2005年6月に日記が出版されると、ベトナムではたちまちのうちにベストセラーになる。それまでにもベトナム戦争について書かれた本・記事はいくらでもあったが、多くはたたかいの英雄的な面、後に続く人たちが学ぶべき側面に焦点が当てられたものが多く、戦争の中での個人の赤裸々な感情を綴ったものはなかった。
 私はベトナム戦争のもとでの人々の生活を知りたくて、原稿を集めて「Raportoj el Vjetnamio」(日本語版「生き抜いた人々」)を自費出版した。この本は戦争と人々の生活の様々な面を見せてくれるが、それでもどこか英雄談、紋切り型に近い作品が多いという不満が私の中に残っていた。
 私は2005年の秋頃にこの日記について知り、是非エスペラントに訳してほしいと思ったので、ベトナムの友人にお願いしてみた。ベトナムエスペラント協会(VEA)で翻訳することが決まって約6年、やっと出版されたのがこの本である。その間に日本語を含む多くの言語に翻訳され、ベトナムでは映画にもなった。
 日本語訳は「トゥイーの日記」(経済界・1524円+税)である。映画のCD版(上下2枚)も送ってもらったが、一方は再生できたがもう一方はどうしても再生できなかった。
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様々な登場人物(?)

2012-03-09 | 読書ノート


 Kalevala には様々な人物が登場する。神(Ukko)や精霊たちを除くとその多くは基本的に人間らしいのだが、超人的な力を持っている。Ukko は直接には現れず、困ったときに助けを求める存在であり、奇跡を起こすこともある。他にも地の女神(Akko)、穀物の精・地の精・水の精といった神に近い存在や悪魔に近い Hiisi も現れるが、物語ではいわば脇役である。
 舞台となる Kaleva の地は現在のフィンランド南部からロシアの一部らしい。これに対してライバルの「北の国」(ラップランド)がある。
 主要登場人物の一部を紹介しよう。
 Vainamoinen 主人公格。生まれたときにすでに900才の老人であった。賢人で、最初のシャーマン、音楽家。その歌には魔法の力がある。民族楽器 kantelo(カンテレ・弦楽器)を弾くときにはあらゆる生物が聞き惚れ、太陽と月までがその音楽を聴きに来る。何度か嫁取りに挑戦するがことごとく振られて失敗し、最後にはあきらめてしまう。ちなみにこの物語では嫁探しや結婚が重要なテーマのひとつである。
 Ilmarinen 鍛冶屋の先祖。天空を打ち出したほどの腕前を持つ。 Vainamoinen の頼みでその時どきに必要な道具を作る。Vainamoinen が北の国で Sampo を作ってくれたら娘を嫁にやるといわれ、Ilmarinen も娘をもらうことを条件に Sampo を作る。これは北の国に大きな富をもたらすが、 Vainamoinen も Ilmarinen も娘には振られてしまう。後に Ilmarinen は Vainamoinen との嫁取り競争に勝って北の国の娘を嫁にもらうことに成功する。婚礼の儀式も大きなテーマのひとつ。
 Lemminkainen labilmensa という形容詞がつく。この場合は無責任・放埒といったところか。結構強力な魔法も使う。Saari という島の Kyllikki という美女を嫁にしようと出かけ、島中の女に手をつけてしまうが Kyllikki には拒否される。そこで彼女を強引にさらって嫁にしてしまう。後に北の国の娘を手に入れようとして死んでしまうが、母親がその破片を集めて再生させる。
 Louhi 北の国の女主人。魔法使い。娘たちが Vainamoinen たちの嫁取りの対象になる。Sampo を強奪された腹いせに Vainamoinen たちに戦争を仕掛け、Sampo は海に落ちてしまう。死の国に盲目の恐ろしく醜い巫女がいた。彼女は森の中で眠っている間に風によって妊娠する。この物語2つめの処女懐胎である。出産に苦しむ彼女を Louhi が助け、生まれてきた疫病たちを Kaleva に送り出す。Vainamoinen は呪文などで疫病を退治する。Louhi は Vainamoinen の Kantele 演奏を聞き惚れていた太陽と月をとらえて山の奥深くに隠してしまい、世界は真っ暗になる。Vainamoinen と Ilmarinen は太陽と月を取り返す準備を始め、その様子を見た Louhi はあきらめて太陽と月を解放する。
 他にも悲劇的な出生のもとに悲劇的な人生を送る Kalervido などいろんな挿話があるがこれくらいにして、最終章にだけ触れておこう。
 Marjatta という美しい少女が木の実を食べて懐胎する。この物語3つめの処女懐胎である。ふしだらをしたと思われて出産のためのサウナを見つけられずに苦労するが、彼女は馬小屋で馬の息をサウナの蒸気がわりにして子供を産む。名付け親を頼まれた老人が出自の分からない子供の名付け親になることをためらうと、そこに Vainamoinen が現れて子供を殺すように言う。生後2週間の子供がこれに対して Vainamoinen の過去の行いをあげてなじる。老人は子供を祝福し、Vainamoinen は怒りと恥ずかしさで立ち去り、海の向こうへ旅立っていく。子供はすべての上に立つ王になる。
 この子供はキリストを表し、キリスト教の拡大によって伝統的な信仰が押しやられていくことを象徴しているという。
 以上、私が読み切れていない部分があるかもしれないが、Kalevala の紹介を終わる。
   
写真は六地蔵(恵那市東野)下部が埋まってしまっている。
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天地創造?

2012-03-06 | 読書ノート


 Kalevala はたくさんの口承伝説を集めて作られたので、部分的には矛盾していたり不自然だったりするのはやむを得ないようだ。ストーリーにほとんど無関係な歌が延々と続く場面もある。編者がこれを収録するのが重要だと考えたのであろう。
 最初と最後に歌い手の言葉があり、それを除いて全50章から成る。第1の歌は「天地創造」である。最上神(Ukko)はいるのだが、キリスト教のような絶対神でも唯一神でもない。物語の途中では「この世界を Ukko が創った」といった表現も出てくるのだが、第1歌では世界が不思議な作られ方をする。
 天空を漂う大気の精 Ilmatar は一人でいるのが退屈になり、海に降りてくる。風が吹き波が荒れる海で彼女は懐胎する。処女懐胎である。彼女は臨月のおなかを抱えて900年間、海を苦しんでさまよい、海に降りたことを後悔する。
 そこに海鳥が飛んでくる。海鳥は巣を作る場所を探していたが、このときにはまだ陸地がないから適当な場所がなかった。そこに Ilmatar が膝と肩を波から上げたので、草束か苔が漂っていると思って膝に巣を作る。海鳥は硬い殻の卵を6個、柔らかい卵を7個産む。
 海鳥が卵を温めていると、熱くなって Ilmatar が体を揺らしたので卵が海に落ちて割れてしまう。そのかけらが各地に散っていく。卵の下の部分から大地、上の部分から天空、黄身から太陽、白身から月、殻の多彩な部分から星、黒い部分から雲が出来上がる。
 一方、Ilmatar の胎児は暗くて狭い子宮内にいるのが退屈になってきた。外に出たくて太陽や月・昴星などに助けを求めるが、結局自分で出てくる。詩人の元祖でこの物語の主人公格 Vainamoinen の誕生である。
   
写真は古い街道沿いの妻の神(塞の神)。山と村の境界に立てられ、魔物が入ってこないように集落を守る。
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Kalevala

2012-03-02 | 読書ノート


 久しぶりの読書ノートである。
 フィンランドの叙事詩。Nova Esperanta Krestomatio を読んだとき、興味を引いた本を何冊か注文したうちの一冊である。
 巻末の解説を参考にしながら、この本について書こう。
 フィンランドの古典文学には書かれたものは非常に少ないが、一方で膨大な口承文学がある。1964年時点だが、フィンランド文学協会の事務所には120万行の詩と150万の言い伝え(暦・医療・童話・格言・ことわざ・なぞなぞ等)が集められた。
 これらの収集が盛んになったのは19世紀初頭からで、中でも地方医のElias Lonnrot(1802ー84)は、1828〜45の間に11回、20,000kmもの徒歩旅行をして65,000行の詩と大量の言い伝えを収集した。彼は自らも吟唱詩人となり、集めた叙情詩を編集して Kalevala をまとめた。30言語以上に翻訳されているが、原作の持つ独特のリズムを生かして訳すのは非常に困難だという。
 物語は北極圏のシャーマニズムの世界である。地中海の文化圏は善・悪の二元論だが、北方のシャーマニズムは一元論である。地獄・天国は存在せず、ただ平穏な(たぶん少々退屈な)休息所としての死の世界があるのみである。
 自然界のあらゆる生き物はひとつの大きな共同体であり、それぞれがそれぞれの精神をもち、生きるための努力をしている。ここでは相手を非難し罪に落とす言葉は出てこない。キリスト教の影響が浸透することで、これらの言葉が現れるようになる。
 蛇の毒を消す呪文はこの特色をよく表している。
  「君がキバで刺したのはよくやったよ、だけど君が毒を吸い出してくれたらもっといいよ」(エスペラントから私の拙訳)
 生活はおもに狩猟と焼き畑農業である。狩りの成功を祈るために熊を崇めるのはアイヌ民族にも共通する。厳しい生活の様々な場面で歌が重要な役割を果たしてきた。Kalevala はそれらの歌を全体としてまとまった形に編集し、いくらかは編者の創作を加えて作られている。
 エスペラントに訳したのは詩人で雑誌編集者の Leppakoski。翻訳に30年をかけたという。1964年に第1刷が発行され、1985年に第2刷が発行された。どちらもエスペラント界だけでなく、フィンランド教育省の大きな財政的援助を受けている。
 エスペラント文は読みやすいが、詩としてのリズムは私にはよく分からない。またあまりなじみのない動物・鳥・魚・植物などの名前が多く出てくるので辞書を引いていると時間がかかる。他にも地名が少し分かりにくい。巻末にフィンランドの生活に関する言葉の解説が図入りでまとめられているので参考になる。辞書にない単語もいくつか出てくる。巻末の解説で分かるものもあるが、全く分からない単語も少しあった。
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