エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて14年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

エロシェンコ短編集

2006-03-23 | 読書ノート
 読書ノートの6冊目。
 私の書棚には、今までに買っただけで読んでないエスペラントの(エスペラントだけじゃないけど)本が山ほどある。その中にエロシェンコの作品集も何冊かあり、実は1冊も読んでいなかった。
 ワシリー・エロシェンコ(1890〜1952)はロシア出身の盲目の詩人・童話作家である。イギリスでエスペラントを学び、針治療などで盲人が自活している日本にあこがれて、1914年、24歳で来日。秋田雨雀・中村つね・江口渙・神近市子など進歩的な人々との親交が官憲の目にとまり、1921年、逮捕・追放される。その後魯迅に招かれて北京に滞在、ソ連に戻ってからは盲学校の教師になる。
 エロシェンコの波乱に富む数奇な人生は「盲目の詩人 エロシェンコ」(ア・ハリコウスキー/山本直人訳/恒文社)が詳しい。
 日本における盲人エスペラント運動に残した足跡も大きい。すでに鳥居篤治郎など何人かの盲人がエスペラントの学習をしていたが、1915年にエロシェンコが東京盲学校で生徒有志にエスペラントを教え、鳥居も熱心に参加した。エロシェンコと鳥居は無二の親友になり、鳥居は日本盲人エスペラント運動の中心的なリーダーになる。
 この本は初級者向けの、対訳本である。ページの下には脚注がつけられている。私は「対訳」があまり好きではない。つい日本語訳に目が行ってしまうからである。しかし、実際は脚注も日本語訳も見ることなく、エスペラント文だけを楽に読むことが出来た。
 内容は「枯葉物語ー上海生活の小さい童話風スケッチ」(6編の短編)と「生きるさだめのもの」で、全120ページ、対訳だからエスペラント文は60ページである。植民地中国・上海の街に立つ古い大木が、虐げられた人々の様子を悲しく、静かに見つめている。
 編者の宮本正男によれば、エロシェンコの文章には文法的見地からすると時に誤りがあり、この本ではかなり手を入れたということである。
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エロシェンコ 1915年 1914年 1921年
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